京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 「来ぬかぁ 来ぬかぁ」に…

2015年10月08日 | 催しごと

中京区にある黄檗宗 医徳山薬師院で織田信長公ゆかりの来ぬか薬師如来像が1年に1度開扉されると知って、「来ぬかぁ 来ぬかぁ~」の声に引き寄せられるご縁をいただき参拝した。

「略縁起」によれば、【桓武天皇の御代782年、伝教大師(最澄)が16歳のときに彫られた七尊の薬師仏のうちの一仏が本尊で、延暦寺の根本中堂本堂と二体のみが現存している。
後白河院の世になって天下に疫病が流行り多くの死者が出た年、院主の夢にお告げがあった。一切の病苦の衆生 我の前に来たらば 諸病ことごとく除くべきに 「来也・来也(こぬか・こぬか)」と言われた。感涙し広く触れたところ、聞き知った遠国からの参詣人は群衆をなし、疫病諸病はたちまち平癒。みな白寿まで長生きしたのだそうな。そこで「来也薬師(こぬかやくし)」と称するようになる。
信長が美濃国の斉藤道三より伝来したこの如来像を京のこの地に移したものだと書かれてある。広かった境内は蛤御門の変でことごとく灰燼となり、明治22年に縮小して再興された】


 痛いところ、悪い所を触ってもらって、ご加持。中国語での読経も含め、黄檗宗の賑やかな読経の要素は初めて耳にした。
「人の言葉に素直に耳を傾けられる心が大事」「未来の自分を描きたければ、今の自分を見つめてみること。過去の自分を振り返れば、今の自分がいる。過去にも未来にも、あるのは今の自分…」。本山からの和尚さん、こんなことを話されたかな。
 そして今日は、2年間の修業を経て新しく住職につかれた若い和尚さんのご挨拶があった。30年前、父親がこの寺に来た時には屋根瓦は落ち本堂の床も抜けた、ひどく荒廃した状態だったとか。ここまでになって、3年前に父親が他界。後を継ぐべく本山の門前で5日間頭を下げ続け、ようやく禅の世界に入ることが許されのだとか。初対面の印象は、なかなか気持ちのいいご住職だった。

1時間半ほどのちご開扉、本堂内へ。両脇には日光・月光菩薩、御本尊は親指の爪の先ほどの大きさだと聞かされて、…眼鏡もなくって、…息災を願ってただ合掌。

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