9月9日は陽数の9が重なることから重陽の節句と呼ばれ、菊が咲く季節でもある。
宮中では古来、重陽の節句では観菊の宴を催し、菊花の香りを移した着せ綿で身体を拭いて長寿を願うのだとか。
澤田瞳子さんの『駆け入りの寺』では、その宴の準備の様子が描かれていた。
【皇女を住持にいただく京都の修学院村の比丘尼御所・林丘寺にも、毎年重陽の宴のために嵐山にある曇華寺から丹精の美しい菊の鉢が贈られる。
「おかげで御所さんにも引けをとりはせぬおひしひしさん(盛大さ)や」。
「径二尺はあろうかという大鉢」、色も形も様々な十数鉢を3人がかりで池の端に並べていく。】
菊の栽培は流行しており、洛中洛外では花の優劣を競う「菊合わせ」が盛んだったともある。
季節を代表する秋の花として菊を思い浮かべることはあっても、新しい秋の七草として菊を候補に上げるのは落第。高浜虚子が「赤のまんま」を選んだのは傑作だと思った、といったことを山本健吉が「秋の心」と題して書いていた。
秋の七草は、元来野山の野草。「かくべつ強く注意を惹く花ではないが、見過ごしがたい花」「華やかな花でなく、貧しく、さびしく、うそうそとして、何か心を惹く花」「何か心に触れる花」、ハギ、オバナ、クズ、ナデシコ、オミナエシ、フジバカマ、キキョウ。
この対極にあるのが栽培され丹精されたキクのような花。
紺碧の秋天のもとの自然の姿が、いっそう美しい花なのだという言葉にはうなづきながら、自然を屋内に取り込んで瓶にさし、ひととき愛でたい。
田の実り。今年はどうなのかしら…。
宮中では古来、重陽の節句では観菊の宴を催し、菊花の香りを移した着せ綿で身体を拭いて長寿を願うのだとか。
澤田瞳子さんの『駆け入りの寺』では、その宴の準備の様子が描かれていた。
【皇女を住持にいただく京都の修学院村の比丘尼御所・林丘寺にも、毎年重陽の宴のために嵐山にある曇華寺から丹精の美しい菊の鉢が贈られる。
「おかげで御所さんにも引けをとりはせぬおひしひしさん(盛大さ)や」。
「径二尺はあろうかという大鉢」、色も形も様々な十数鉢を3人がかりで池の端に並べていく。】
菊の栽培は流行しており、洛中洛外では花の優劣を競う「菊合わせ」が盛んだったともある。
季節を代表する秋の花として菊を思い浮かべることはあっても、新しい秋の七草として菊を候補に上げるのは落第。高浜虚子が「赤のまんま」を選んだのは傑作だと思った、といったことを山本健吉が「秋の心」と題して書いていた。
秋の七草は、元来野山の野草。「かくべつ強く注意を惹く花ではないが、見過ごしがたい花」「華やかな花でなく、貧しく、さびしく、うそうそとして、何か心を惹く花」「何か心に触れる花」、ハギ、オバナ、クズ、ナデシコ、オミナエシ、フジバカマ、キキョウ。
この対極にあるのが栽培され丹精されたキクのような花。
紺碧の秋天のもとの自然の姿が、いっそう美しい花なのだという言葉にはうなづきながら、自然を屋内に取り込んで瓶にさし、ひととき愛でたい。
田の実り。今年はどうなのかしら…。
先日見ていたドラマでしたかで、このたとえを耳にしました。
何度か菊人形展を見たことがあります。
長寿を願う菊とは言え、それで作られた人形となりますと…ね。
トラックに運ばれてゆく菊人形武士や女中は疲れていたり 王紅花
むらさきの色醒め死者よりなほ冷えし菊人形を人ら賞嘆(ほめ)ゐる 和田明子
どなたかの著書で見かけました。
なんかわかりますね。私もすっかりご無沙汰です。
秋の七草>どれも地味な花ですね
野に咲く花らしいです。
反して菊展などでは見事なまでに
人の手によって作られています。
名古屋城は毎年盛大に菊人形展があります。
元気なころは何回も見に行きましたが
無頓着な私もさすが人工に過ぎると感じました。
まさに奇跡的?ともいえる瞬間にも立ち会えるものですね。
花は野に置け、とか。
花は野にあるように、花器にさして楽しむのもいっときの楽しみです。
詳しい説明で、内容が伝わってきました。
ご紹介、ありがとうございました。
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