思いのほか良い天気になった。2日ほど雨にこめられていたので行こうと誘って、京北町山国の常照皇寺に向かった。
龍安寺、仁和寺の門前を過ぎ、周山街道を三尾の神護寺・西明寺・高山寺に至るころには、道路わきの気温表示も28℃あったのが次第に26℃、23℃、21度とさがっていく。
高山寺の脇に市営駐車場があるが、そこから道なりにもう30分余。トンネルを3つ4つ抜けたあと、美山へと北進せずに右折する。
桂川沿いに山懐へと入っていく風景は、いつ来ても心落ち着く穏やかなたたずまいだ。
清流の向こうに茅葺の屋根が見え、常緑樹に囲まれるようにひっそりと家々が建ち、そこかしこに彼岸花やコスモスが咲き、ススキの穂が群れそよぐのを眺め、山国神社、山国護国神社と過ぎて、そのまましばらく、まだかなと思ううちにお寺への道が現れる。
駐車場から
更に石段を上がって本堂へ
もう何度も訪れているので目新しさってのはないけれど、かなりヒンヤリした風が何とも心地よかった。聞こえるのはカラスとコオロギの声。
縁も板戸も,ずいぶんと傷みが進んでいる。本堂の屋根も修理が必要らしい。北側の縁は日当たりも悪く、雨ざらし吹き曝し、足が汚れそうな気分にさせられる。
天皇陵は寺の北側、更に階段を上った高所に南面している。
南北朝争乱の時代。北朝の光厳天皇は吉野の山中をさまよい歩くなど難渋の日々を過ごされてのち皇位を去って、ついにこの地にたどり着き、終の棲家と定めて落ち着かれた。
「こんな寂しいところにおかわいそう」と言われる人に、そのようなことはなく、ようやくのこと「安心(あんじん)を得てお幸せだったのだ」と住職は言われたとか。
朱印帳を持つことをやめて何年にもなるし、数珠だけ持ってお参りした。
静寂の安堵感の中で、何を考えるでもない。
このただただぼんやりの時間にも、目には見えないけれどなにかとの出会いが生じている。
仏との縁はあとになって気づかされることもあり、仏縁はひそかに結ばれる。
こんなひとときがほしい。
龍安寺、仁和寺の門前を過ぎ、周山街道を三尾の神護寺・西明寺・高山寺に至るころには、道路わきの気温表示も28℃あったのが次第に26℃、23℃、21度とさがっていく。
高山寺の脇に市営駐車場があるが、そこから道なりにもう30分余。トンネルを3つ4つ抜けたあと、美山へと北進せずに右折する。
桂川沿いに山懐へと入っていく風景は、いつ来ても心落ち着く穏やかなたたずまいだ。
清流の向こうに茅葺の屋根が見え、常緑樹に囲まれるようにひっそりと家々が建ち、そこかしこに彼岸花やコスモスが咲き、ススキの穂が群れそよぐのを眺め、山国神社、山国護国神社と過ぎて、そのまましばらく、まだかなと思ううちにお寺への道が現れる。
駐車場から
更に石段を上がって本堂へ
もう何度も訪れているので目新しさってのはないけれど、かなりヒンヤリした風が何とも心地よかった。聞こえるのはカラスとコオロギの声。
縁も板戸も,ずいぶんと傷みが進んでいる。本堂の屋根も修理が必要らしい。北側の縁は日当たりも悪く、雨ざらし吹き曝し、足が汚れそうな気分にさせられる。
天皇陵は寺の北側、更に階段を上った高所に南面している。
南北朝争乱の時代。北朝の光厳天皇は吉野の山中をさまよい歩くなど難渋の日々を過ごされてのち皇位を去って、ついにこの地にたどり着き、終の棲家と定めて落ち着かれた。
「こんな寂しいところにおかわいそう」と言われる人に、そのようなことはなく、ようやくのこと「安心(あんじん)を得てお幸せだったのだ」と住職は言われたとか。
朱印帳を持つことをやめて何年にもなるし、数珠だけ持ってお参りした。
静寂の安堵感の中で、何を考えるでもない。
このただただぼんやりの時間にも、目には見えないけれどなにかとの出会いが生じている。
仏との縁はあとになって気づかされることもあり、仏縁はひそかに結ばれる。
こんなひとときがほしい。
昨日は暑くて閉口しましたが、今日は朝から雨がしとしとと降る一日です。
「安心(あんじん)を得てお幸せだったのだ」という言葉をしみじみ味える静寂さが好ましいお寺です。
桜や紅葉の真っ盛りには訪れたことがなく、いつも機がずれています。
でもそれがいいのです。
空気もより冴えてきますものね。たまにはこんなひとときを楽しみたいです。
山寺もそうですが、敷地内に入ると空気が変わった
そう感じることがあります。
静寂の中にも凛とした秋の空気感が写真からも伝わってきます。
天皇の系譜はあまり知らないのですが、常照皇寺を知ることで光厳天皇を知りました。
さわやかな秋晴れを逃さずに楽しみたいですね。
という事を気づけました😄
秋は短そうですね。