三条大橋の東詰め、京阪三条駅の前に、京都御所を遥拝している高山彦九郎の像がある。ほとんど関心をもったことはなく、どんな人物かも知らないできたが、「高山彦九郎」の名だけはなぜか認識していた。昨日丸善で目的を果たしたあと、ここの三条駅ビル内の中古書店に立ち寄るためにやってきたので、像が目に入り、初めて写真に収めてみた。というのも、「高山彦九郎の土下座」と題した葉室麟さんの短い随筆を読んだことによる(『古都再見』)。
1747年、今の群馬県太田市の郷士の次男として生まれた彦九郎。13歳の時、『太平記』を読んで先祖が新田義貞の家来につながることを知って学問に励み、18歳の時に帯刀し京に遊学する。三条大橋のたもとから御所を拝して「草莽(そうもう)の臣、高山彦九郎」と連呼したとかで、像はそのときの姿を現しているそうだ。新田義貞を討った足利尊氏の墓碑を鞭で打つとか、なにかと奇行が多い人間だったらしい。1793年、九州遊歴中に久留米で謎の自刃をして果てた。享年47歳。墓は氏の自宅がある久留米市内の寺にあるのだという。葉室さんは、彦九郎の天皇観に及んで思いを綴っていた。
氏は2015年2月から京都で暮らし始めた。
「人生の幕が下りる前に見ておくべきものは、やはり見たいのだ」。『古都再見』に収められた68篇の作品は、まず「薪能」で始まる。木曽義仲の最後に触れ、胸に湧いたであろう「絶望」に思いを馳せ、「誰しも最後はひとりだ」と感慨を抱く。そして最後、68篇目は滋賀県大津市にある「義仲寺」を訪れている。「幕が下りる前にしなければならないことがある」と締めくくられた。
そしてそう書かれて1年2カ月ほど後になるか、2017年12月23日に亡くなられてしまった。あらためて最初と最後を読み返し、綴られた「人生の幕が下りる前に」の言葉に、しみじみとした感慨があった。
今日も涼しくて、一日家で過ごしていた。
高山彦九郎、楠木正成、児島高徳等々
かの桜の幹に刻んだと言われる
児島高徳の
「天勾践を空しうすること莫れ、時に范蠡の無きにしも非ず」
覚えていなくてもいいことなのに覚えています。
葉室麟さん>よい人を亡くしてしまいました。
自粛期間に手許にある作品を再読、
再々読して偲びました。
でも、確かにこの像とともに知っているのです。
一度しっかり覚えこんだものは忘れないということですね。
「中心愛国のヒーローだった」と記されていました。
豊富な読書量、知性、交友、人間味、素晴らしい方ですね。