【 もろもろの穢れの雲も祓いなば
心の月はいつもさやけき
人の心には目に見えない穢れや、法では罰せられない罪が積もっていくものであるが、取り払うと神の心に通じる誠という清らかな心がある…。常に心正しくし、明るく人と和み、誠心を宝として幸福に生きるのが一番である。 】
三年前、新年を迎えて友人と平安神宮に初詣した際におみくじを引いた。気に入って財布にしまって帰り、日記の最初に書き記してきた。
常に清く正しく…は、なかなかの難題だが、自分を支えていくうえで、ちょっとした気持ちの拠り所として気に入っていた。本当なら“仏の心に通じる…”とでもあればよいのかもしれないが、まっ、それほど深刻に考えることもないということで。
で、日記帳を買った。わたしはいつも一年物。メモや貼り付け物、今日という日の記録まで、日々の「トラの子」となっていく。思い切って文庫本サイズにしてみた。紙質は重要、レイアウトと。シンプルで気に入ったものが手に入った。
心のうちも、少しの隠し事も、そっと仕舞い込んでいく玉手箱。
古い衣は脱ぎすてて、気分新たにどんな年頭の一筆にしようかな…。
多くの人で賑わう京都駅烏丸中央口、西側にあるクリスマスツリーを見上げる。4階から10階まで続く171段の大階段。高低差は30メートルだとか。
上から見下ろせば、ここの改札口前も谷底の感がある。
書いておられますが、
亡夫はキリスト教徒として敬虔な・・とはいえませんでしたが、
宗教は心の拠り所、規範にもと常々申しておりました。
私にとっての拠り所は何かと考えてしまいます。
私は特に日記はつけていません。
家計簿(ルーズリーフ)の下半分にその日の
行動、気持ちをメモしています。
これは半世紀以上も続いています。
来る年はどのような年になるのでしょう?
来年もどうぞ宜しく御願いいたします。
「京都駅烏丸中央口」すごく素敵な写真。
それに見合う見事な玉手箱。
心がけることと、生身で生きる現実とのギャップをホンの少し感じながら、諸々をそっと仕舞い込んでいく玉手箱。素敵ですね。
日記は生涯の宝物ですよね。誰にも見せない、見せられないkeiさん自身の生き様。
気分を新たに、さてどんな筆卸になるのでしょう。
信仰心とは別なところで「言葉」は助けになることしばしばです。仏教徒、数珠を持つ手で合掌するのが一番なのでしょう。
柏手を打つのが下手なのか、神様はあまり願い事を聞き入れて下さらない?…ような。
私も「その日」が振り返ってわかる程度の日記です。実に様々なことがメモされています。
今年こそは、の繰り返しです。まだまだ捨てられない夢もあって、またまた心機一転で夢を追うのでしょうか。
一年一年が大切になっていきます。
こちらこそいろいろ教えていただきたく、よろしくお願いいたします。
もう先ずは健康でありたいですね。
伊勢丹、ホテル、劇場等々も隣接し見事なスペースが広がっています。
今年こその計で終わらないようにと年頭の思いですが、生きたあかしで繰り返されていくみたいです。
ひとつくらいは夢を追いながら、楽しく暮らしたいと思います。
気分新たに一区切りして、のスタートですね。
ブログという形で、一年以上続いているのも、keiさんをはじめ、沢山の方々との出会いがあったからでしょう。
クリスマスのこの日、家族やカオスの子供達にも、感謝することについて話をしました。
これからも、keiさんのブログの様に長く続くよう、楽しんで取り組んでいきます^^
今から、サンタの仕事があるのでそれではまた~w
『貴方はサンタじゃなくて、サタンでしょ~』
って!そうそう私はサタン・・・
じゃないわいw
って、カオスの子供達とザビエル記念聖堂で、漫才してました^^;
さもサンタさんがプレゼントを置いて行ってくれたかのように、我が家の婆さまとコッソリ打ち合わせをしていた頃が懐かしいです。
枕元ではなく、夜、子供たちがまだ起きているうちにそのプレゼントは届くのでした。
長いことサンタさんはいると思っていたような…。そんなこといつまでも思っちゃいないでしょうがね。
大人だけではクリスマスなど関係ないような我が家です。…ような、ではなく、関係ない、と言うほうがぴったし。
せめてJessieを喜ばせようとして、その実、自分が一番楽しんでいるようです。
サタン!? ではないでしょう~~(笑)