京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

この時期、編み物の話ですが

2008年06月10日 | 日々の暮らしの中で
この季節に!?、毛糸、の話ですが、
“姫ちゃん”のためにベストを編んで送ってあげようと、赤い毛糸を買ったのはまだ寒いころ。
私の母が孫娘に編んでくれた赤いベスト。お気に入りで、愛用していました。
よく似たものをプレゼントしよう、暑くなるまでには編んで、と。それがいまだに手つかずです。

雨、雨、雨と続く日も多く、寒さ嫌いの娘にとっては、つら~~い季節が既にやってきている模様。
驚くほど?の重ね着をしているようです。自分が寒いと、ついつい子供にも厚着をさせがちなので気をつけなくてはなりません。
しかし、夫は薄い半袖のティーシャツ姿で笑っています!
「体温が違う!」とはよく娘から聞いていましたものの…。
秋の紅葉の頃に帰国を予定していますから、まっ、それに間に合わせればいいか…と。
結局、明日に明日にと、一日延ばしでとうとう…です。

ちょっと根気がなくなっているのでしょうか。気持ちはあるのですが、とっかかりの“時”を逃しているのか。
いつ、そのタイミングがおとずれるか、今のところ見当がつきません。自分次第ですが。

私も、中学生時代、家庭科の授業が大っきらいでした。
(“私も”というのは、石垣りんさんのエッセイに、「私は編物がきらいでした」とあったからです。)
ワンピースや、手袋、靴下を仕上げて提出しなくてはならない、最後の製作者は母でした。やってもらっていました。
なんでも真面目に?、親の手を煩わせることはほとんどなかったと思うのですが、これだけはだめでした。
私には、全く興味・関心がなく、言われて仕方なくの状態でした。
楽しいと思ったことがありません。

自分に子供が生まれ、それを機に手作りの楽しさを知ったといえます。
自分の服を、持て余す時間の中で作り出していましたが。変われば変わるものです。
何事も時期があり、気持ちが向いた時がスタートとなることはあるのです。と、言うことにしておきましょう。


    ≪手袋と靴下≫ (『焔に手をかざして』石垣りん)

 私は編物がきらいでした。この場合のきらい、は下手の同義語で、編むのがのろければ仕上がりはうまくない。したがって、時間をエンエンと無駄にして、着ばえのしないセーターが季節はずれにやっと一枚できあがる、という寸法なのです。
ことに手袋など、友だちが五本の指の目数など拾いわけながらせっせと編んでいる。そのたのしそうな、余念のないさまを見ながら、買ったほうが早いのに、などと、ひとの手間ヒマを惜しんだりしました。
 (中略)
物を自分で作り上げる、という根気と心やりを惜しんだ私は、……糸目からはずさないように注意しながらそっと手にはめて、はめてない方の手でさすったり伸ばしたりしている、あの優しい仕草を、とうとう自分のものにできなかったのだと思います。    (74・12 「プチせぞん」)


いつも心魅かれる表現があります...
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「雨と言葉」

2008年06月09日 | 日々の暮らしの中で
      ≪ 雨と言葉≫ (石垣りん『焔に手をかざして』)

 町を歩いていて、おや? と、足より先に気持ちが立ち止まる。そっと手のひらをひらいて、次の一滴を待つ。「降ってきたわ」。
 雨ふりは、よく、そんなふうにしてはじまった。このごろは地下道だの、アーケードだのがふえて、だれに言うともない、しいていえば、天からおとずれたものへ
の、声になったり、ならなかったりする、ひそかな言葉も不要になってきた。
 (中略)
 いちにちの勤めを終え、立ち寄った喫茶店で、たたんだ傘をテーブルに立てかけ、コーヒーを下さい、とたのんだらウェートレスに「もう雨はやみましたか?」とたずねられた。この人は朝来たまま空を見ていないのだ。私の耳の中で、言葉がやさしく濡れてきた。 (73.7.15「サンデー毎日」)


あら?雨かな? と、いう状況の始まりではありませんでしたが…。天気予報は的中。
出かけるときは日傘が欲しかったものですから、便利な晴雨兼用の傘を持って出ました。私はとにかく傘を持つのが嫌いで、できることなら日傘も持ちたくありません。理由は簡単、荷物になってしまうからです。バッグに入れておくのもかさばるし、で、ホントにいやなのです。まあ、この時期そんなこと言っていても、仕方ないのですが。

気づくと外は傘の花。午後、帰宅しようとする時間も結構な降りようで、「晴雨兼用」での使い初め?です。
偶然にも雨の日にさしたことはありません。
ブルーのきれいなレース柄になっているので、雨にも対応の仕様なのはもちろんですが、濡れるのはもったいないなあと。

1時間もすると日差しが戻ってきました。明日はお天気になりそうです。
急いでビショビショの傘を広げました。


   “私の耳の中で、言葉がやさしく濡れてきた”  

 どんなふうに味わえばいいのかしら…


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切符を手にする最後の1点

2008年06月07日 | 日々の暮らしの中で
   「切符を手にする最後の1点を誰で取るか、それをイメージしながら寝た」
     セッター・朝長選手の談。

16年間!ひたすら五輪出場を目指してきた荻野選手がその1点を決めました。オリンピック出場を決めた男子バレーチーム。

最終セット、一瞬、まさか?という思いも…、しかし勢いがありましたよね~。
“ゴッツ”のガッツポーズのすごいこと!!気迫が!! ムードメーカー。
男子バレーを今回ほど楽しんだことはありません。やってくれそうな予感。

   「やってて良かった」

一人ひとり、どんな思いで今日のこの勝利を心に刻みつけていくのでしょう。



サッカー、「日本対オマーン」戦を見ながらです。
1点先行されてしまっています。間もなく前半終了…、終わりました。
さて、後半は?
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「夢で人生が変わってくるわけですから」

2008年06月06日 | 日々の暮らしの中で
三浦雄一郎さん帰国のニュース。プロスキーヤーで登山家、75歳。
クラーク記念国際高校で学ぶ生徒さん達に出迎えられて、教育者でもいらっしゃる。

70歳で、そして再び75歳で世界最高峰に立ったあの日、「涙が出るほどつらく厳しくて嬉しい」という言葉が印象的でした。
今日の会見で…,
「空に手が届きそう」な感じなのだそうです…。
「それなりに衰えはあっても、可能性はあると思う」、と80歳での挑戦への思いも言葉にされていらっしゃった。
いくつになっても何かに向かって生きることのできる素晴らしさ。三浦さんの目に“力”・“意志”を感じるお姿でした。

http://www.study.jp/news/interview/talent/miura_yu.html
■いくつになっても人生の冒険家であれ
「人と比較してこれはだめだからとあきらめてしまう。でも、自分でできること、たとえば、高校の数学でできない問題があれば、中学や小学校まで戻ってやり直す。やってみて、これができたという達成感が一番大事な心の土台を作ってくれる。困難を乗り越えてできた時は、涙を流して感動する、こういう世界を繰り返し体験させることが大切」

 いくつになっても人生の冒険家でいるその秘密は、
「もう歳だからと、枠を作ってしまうとだめになる。夢で人生が変わってくるわけですから、ただ富士山を見てきれいだと思うだけでは登れない。生物学の法則に、『鳥は翼があるから飛ぶんじゃない、飛ぼうという意志があるから飛ぶんだ、飛びたいという夢があるから飛ぶんだ』と言われています。人それぞれ、いろんな可能性という翼があり、夢に向かって、小さな鳥でさえ飛び立って頭をぶつけたりしながらうまく飛べるようになるんです」


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金髪の座頭市が、タップダンスを?!

2008年06月05日 | 日々の暮らしの中で
大した雨ではありませんが、肌寒い一日でした。

ビートたけし主演の「座頭市」(北野武監督)をDVDで見つけましたので、購入。中古品です。まっ、いいかなと思いまして。
もしかすると、≪「斬る」アクション≫の傾向があるようですから、前回の「丹下左膳」以上に彼は気にいるかもしれません。
その可能性は大でしょう。と、期待して、さっそくに送りました。

金髪頭に朱塗りの仕込み杖を持った“盲目の居合の達人”、市。

勝新太郎の「座頭市シリーズ」さえ、内容は知りません。きちんと、向かい合って作品を見たことがありません。TVでの放映時にチラチラ…程度ですから、これを機に、私も本作品をレンタルで見てみることにしようと思います。
最後に、タップダンスのシーンがあるそうで。「映画的」とか。どこがどう?楽しみにしてみます。

 http://www.office-kitano.co.jp/zatoichi/

ちょっとネットで映像をのぞいてしまいました。これは予告時の画面なのでしょうか…、音楽が気に入ってしまって!ず~~~~~っとそのままで聴いてしまいました。

英語版もあるページですので、Jayに見せてあげようかと考えます。アドレスをコピーしてこの後にでも。

さて、今回の感想はいかに?!


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菊池寛の“日常道徳”観

2008年06月04日 | 映画・観劇
『丘を越えて』(原作:猪瀬直樹『こころの王国』出演:西田敏行 池脇千鶴…)

芥川賞、直木賞の創設者の菊池寛。「父帰る」「恩讐の彼方」「真珠夫人」…文学史の知識としては知っているが、作品を読んだことがありません。そういう意味でも、どのような人物なのかを知りたい思いがありました。

まだまだ古い情緒を映し出しながらも、昭和初期、世の中の風潮は“モダン”なライフスタイルを志向していく時代。車や洋服、音楽やダンス…。出版社で働こうと一変する葉子。菊池寛を演じる西田敏行さんがよかった。彼を取り巻く人間の“ドラマ”は…比較的あっさりしたものに感じたのですが。
関東大震災後の社会の混乱や貧困の背景も取り込まれています。
朝鮮独立運動にかかわる青年・馬海松(まかいしょう)と菊池、そして細川葉子。
「君恋し」で踊る、馬との別れのダンスはせつない。

満州鉄道爆破事件のニュースがラジオから聞こえてくる。
今後またもや時代は変わっていくのだ。それは、満州事変、やがて太平洋戦争へと続くその前であることを教えてくれているのです。

と、突然ミュージカルのような場面に変わり、「丘を越えて」の歌とともに出演者が踊っている。ドラマは終わる。

めまぐるしい≪時代≫の変貌を乗り越え生きていく。
タイトルであり、主題歌『丘を越えて』。
    ♪♪讃えよわが青春(はる)を  いざ行け遥か希望の 丘を越えて
     讃えよわが青春(はる)を   いざ行け遠く希望の 鐘は鳴るよ

ネットで見ました。www.honya.co.jp/contents/archive/kikuchi

私の日常道徳
一、私は自分より富んでいる人からは、何でも欣(よろこ)んで貰うことにしてある。何の遠慮もなしに、御馳走にもなる。総じて私は人から物を呉れるとき遠慮はしない。お互に、人に物をやったり快く貰ったりすることは人生を明るくするからだ。貰うものは快く貰い、やる物は快くやりたい。

一、他人に御馳走になるときは出来るだけ沢山喰べる。そんなとき、まずいものをおいしいと言う必要はないが、おいしいものは明らかに口に出してそう言う。

一、人と一しょに物を喰ったとき、相手が自分よりよっぼど収入の少い人であるときは、少し頑張ってもこちらが払う。相手の収入が相当ある人なら、向うが払うと言って頑張れば払わせる。

一、人から無心を言われるとき、私はそれに応ずるか応じないかは、その人と自分との親疎によって定める。向うがどんなに困っていても、一面織の人なれば断る。

一、私は、生活費以外の金は誰にも貸さないことにしてある。生活費なら貸す。だが、友人知己それぞれ心の裡(うち)に金額を定めていて、この人のためにはこのくらい出しても惜しくないと思う金額だけしか貸さない。貸した以上、払って貰うことを考えたことはない。また払ってくれた人もいない。

一、約束は必ず守りたい。人間が約束を守らなくなると社会生活は出来なくなるからだ。従って、私は人との約束は不可抗力の場合以外破ったことがない。ただ、時々破る約束がある。それは原稿執筆の約束だ。これだけは、どうも守り切れない。

一、貴君のことを誰が、こうこう言ったといって告げ口する場合、私は大抵聞き流す。人は、陰では誰の悪口でも言うし、悪口を言いながら、心では尊敬している場合もあり、その人の言った悪口だけがこちらへ伝えられてそれと同時に言った賞め言葉の伝えられない場合だって、非常に多いのだから。

一、私は遠慮はしない。自分自身の価値は相当に主張し、またそれに対する他人からの待遇も要求する。私は誰と自動車に乗っても、クッションが開(あ)いているのに、補助座席の方へは腰をかけない。

一、自分の悪評、悪い噂などを親切に伝えて呉れるのも閉口だ。自分が、それを知ったため、応急手当の出来る場合はともかく、それ以外は知らぬが仏でいたい。

一、私は往来で帯がとけて歩いている場合などよくある。そんなとき注意をしてくれると、いつもイヤな気がする。帯がとけているということは、自分で気がつかなければ平気だ。人から指摘されるということがいやなのだ。そんなことは、人から指摘されなくても、やがては気がつくことだ。人生の重大事についても、これと同じことが言えるかも知れない。

一、人への親切、世話は、慰みとしてしたい。義務としてはしたくない。

一、自分に好意を持っていてくれる人には、自分は好意を持ち返す。悪意を持っている人には、悪意を持ち返す。

一、作品の批評を求められたとき、悪い物は死んでもいいとは言わない。どんなに相手の感情を害しても。だが、少しいいと思う物を、相手を奨励する意味で、誇張して賞めることはする。
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クマのプーさん柄のネクタイ...プレゼントかしら

2008年06月03日 | 日々の暮らしの中で
電車内で向かいの席に座られていた男性のネクタイに目が行きました。

ご年配の方、背筋を伸ばし、両手をそれぞれの膝に乗せて...、記念写真でも撮るかのような“構え”でした。崩れることなく揺れに身をまかせながらお見事です。
が、ごくまれに、瞬間、両肩をすくめるようにして...、もしかすると、筋肉の緊張をほぐしておられたのかもしれませんね。「やっぱり疲れるのかしら?この姿勢では」などと勝手に想像しているうちに、何やら胸のあたりにオレンジ色のものがチラチラするのに気が付きました。
その小さなオレンジの正体は!

≪クマのプーさん≫でした。
クマのプーさん柄のネクタイをされていたのでした。

なぜその柄のネクタイなのか、どうでもいいのに、その背景に思いを巡らし!?(失礼)結果、
第1位は、「父の日のプレゼント」
第2位は「敬老の日のプレゼント」
第3位は「自分の好み」

余計な御世話だ、ほっといて、と言われそうなことですね。
きっとどなたかからのプレゼントなのではないでしょうか。
小さなプーさんですから、プーさんばかりが浮き上がって存在を主張してはいません。気がつけば、「あらっ、プーさん」って感じですから、かわいいですよ。

外見の風貌からすると、小さな発見をした思いで、心の中ではクスッとしてしまいました。

今月は、父の日がやってきます。
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matsuさんに心ゆすられ 「薬師寺展」

2008年06月02日 | 日々の暮らしの中で
http://blog.goo.ne.jp/matsu-fumi70
matsuさんのブログを拝見して、この展覧会が開催中である事をすっかり忘れていたことに気づきました。
光背を取り外すので、両菩薩像のお背中を拝見できる機会だということ、確かにニュースで聞いた記憶があります。
が、その後は、忘れてしまいました!
思い出させていただいたわけですが…、調べてみました、6月8日まで!とありました。
90分待ちで入館されたご様子。期日も迫り、日曜日ともあって“超長蛇”の列だったのでしょうね。
折しも一日は私は奈良での散策を楽しみ、matsuさんは東京で薬師寺展を堪能なさって。ご縁でしょうか…(と、かってに)

90分待ちはまだ幼かった子供たちと実家の母とで、東京ディズニーランドに行ったときに経験しました。
小学生でしたが不平も言わずに辛抱強く、遅遅たる前進を繰り返していましたっけ。(余談)

関西のもの???だから?と、東京行きを軽く聞き流してしまったのかもしれません。
しかし!このような機会は2度とないのですか?
東京でのみの開催ですよね?
薬師寺にもどられてから再度ということはないのですか?
これはこの機会を逃すべきではありませんか?
こころがゆれますね、これは。
行くか!?どうしよう…。行こうかな?行きたいなあ。急には無理かな?
息子の所に泊めてもらおうかな…、日帰りするかな。
えっと….、matsuさんは?

薬師寺は、今は亡き母と二人で、関西を旅した思い出の1ページにもあります。
猿沢の池に立ち寄れば、「(女学校時代)この鎖を飛び越そうとして引っ掛かって、けがしちゃったのよ。ここの傷がそのときの」という言葉を思い出します。
池の近くの旅館に泊まり奈良を回ったのでした(スポンサーは私)。
あの時、父はお留守番。仕事があったからというだけの理由でしたかしらね。

    行く秋の
     大和の国の薬師寺の
      塔の上なるひとひらの雲
                  佐佐木信綱

この絵画的な歌が好きでしたね。

有間皇子を偲んでという、聖観音菩立像のお姿も本当に美しいですね。
両菩薩像の間に入って拝観できるとのこと。薬師寺で拝観するのとはまた趣は異なるでしょう。ましてや光背が外されているのですから、いうなればご本体だけです、どうなのでしょう。

Matsuさん、心を揺すってくださってありがとうございます。
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一日中歩いていたような気がします

2008年06月01日 | 日々の暮らしの中で
盲導犬のユーザーの方、視覚障害のある方がたと一緒に、今日一日、奈良の散策を楽しもという催しに参加しました。
朝から好天気。日差しも強く、日焼け止めクリーム持参となりました。

10:20近鉄奈良駅集合。グループ分けがなされ、さあ、スタートです。50名を超えました。
駅の上が奈良会館で、まずそこから。
東大寺大仏さんの鼻の穴と同サイズの空間をくぐったり、大仏さんの手と同サイズのもので、手のひらに乗って指の格好や全体の大きさを触って確かめてみたりです。
ユーモアを交え、詳しくじょうずに説明してくださった方は、なんと藤原鎌足の87代目の子孫だということでした。

商店街を抜け猿沢の池へ。そして南円堂への階段を上がり、興福寺の五重の塔の前へ。盲導犬と鹿とのトラブルももちろん無し。
春日大社へと向かい、さらに若草山のふもとまで歩いて、1時過ぎやっとお弁当を開く時間となりました~。
休憩もそこそこで、出発。二月堂へ。上からの眺望を楽しみ、東大寺へと向かうのでした。
大仏殿を拝観し……、駅近くの商工会議所まで戻り、そこで休憩。
各グループともが集合できて4時頃でしたでしょうか。

「ほら、見て」と示された万歩計は19000歩を超えていました。
その方によると8000歩は歩くようにしているとのことでしたが、倍以上。
ず~っと歩き続けた感じです。足を止めるのは、後続との調整でのみ?
「とにかくよく歩いた!」という実感は皆に共通のようでした。

そして、楽しかったという多くの言葉が。
盲導犬や視覚障害のある方と歩くのは初めてという参加者もたくさんおられました。
駅で初顔合わせで、一日を共に過ごすのですが、終わってみれば、「機会があればまた参加したい」と。
自分も楽しもうという気持ちがあれば、楽しい時間が過ごせるはずです。

地元奈良の方々の協力を得ました。大阪や滋賀から見えていた方も。母娘でとか、読売わいず倶楽部の案内で知ってとか。
ネットや何らかの形で一般参加を募る情報を得てやってきたという方たちも。
一緒に散策を楽しみたいという機会を、案外多くの人が望んでいるのを知りました。

昨年の今頃も、孫の“姫ちゃん”同行で奈良公園周辺や東大寺を、お弁当持参でまわりました。
一人で頑張って歩くのですが、疲れるのでしょう、道の真ん中でしゃがんでは一休みが繰り返されて、なかなか目的地に着かなくて…。
「鹿さんにあたまこんこんこん」されたことを身振りを交えて訴えてたこと。
思い出しながら歩きました。
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