この季節に!?、毛糸、の話ですが、
“姫ちゃん”のためにベストを編んで送ってあげようと、赤い毛糸を買ったのはまだ寒いころ。
私の母が孫娘に編んでくれた赤いベスト。お気に入りで、愛用していました。
よく似たものをプレゼントしよう、暑くなるまでには編んで、と。それがいまだに手つかずです。
雨、雨、雨と続く日も多く、寒さ嫌いの娘にとっては、つら~~い季節が既にやってきている模様。
驚くほど?の重ね着をしているようです。自分が寒いと、ついつい子供にも厚着をさせがちなので気をつけなくてはなりません。
しかし、夫は薄い半袖のティーシャツ姿で笑っています!
「体温が違う!」とはよく娘から聞いていましたものの…。
秋の紅葉の頃に帰国を予定していますから、まっ、それに間に合わせればいいか…と。
結局、明日に明日にと、一日延ばしでとうとう…です。
ちょっと根気がなくなっているのでしょうか。気持ちはあるのですが、とっかかりの“時”を逃しているのか。
いつ、そのタイミングがおとずれるか、今のところ見当がつきません。自分次第ですが。
私も、中学生時代、家庭科の授業が大っきらいでした。
(“私も”というのは、石垣りんさんのエッセイに、「私は編物がきらいでした」とあったからです。)
ワンピースや、手袋、靴下を仕上げて提出しなくてはならない、最後の製作者は母でした。やってもらっていました。
なんでも真面目に?、親の手を煩わせることはほとんどなかったと思うのですが、これだけはだめでした。
私には、全く興味・関心がなく、言われて仕方なくの状態でした。
楽しいと思ったことがありません。
自分に子供が生まれ、それを機に手作りの楽しさを知ったといえます。
自分の服を、持て余す時間の中で作り出していましたが。変われば変わるものです。
何事も時期があり、気持ちが向いた時がスタートとなることはあるのです。と、言うことにしておきましょう。
≪手袋と靴下≫ (『焔に手をかざして』石垣りん)
私は編物がきらいでした。この場合のきらい、は下手の同義語で、編むのがのろければ仕上がりはうまくない。したがって、時間をエンエンと無駄にして、着ばえのしないセーターが季節はずれにやっと一枚できあがる、という寸法なのです。
ことに手袋など、友だちが五本の指の目数など拾いわけながらせっせと編んでいる。そのたのしそうな、余念のないさまを見ながら、買ったほうが早いのに、などと、ひとの手間ヒマを惜しんだりしました。
(中略)
物を自分で作り上げる、という根気と心やりを惜しんだ私は、……糸目からはずさないように注意しながらそっと手にはめて、はめてない方の手でさすったり伸ばしたりしている、あの優しい仕草を、とうとう自分のものにできなかったのだと思います。 (74・12 「プチせぞん」)
いつも心魅かれる表現があります...
“姫ちゃん”のためにベストを編んで送ってあげようと、赤い毛糸を買ったのはまだ寒いころ。
私の母が孫娘に編んでくれた赤いベスト。お気に入りで、愛用していました。
よく似たものをプレゼントしよう、暑くなるまでには編んで、と。それがいまだに手つかずです。
雨、雨、雨と続く日も多く、寒さ嫌いの娘にとっては、つら~~い季節が既にやってきている模様。
驚くほど?の重ね着をしているようです。自分が寒いと、ついつい子供にも厚着をさせがちなので気をつけなくてはなりません。
しかし、夫は薄い半袖のティーシャツ姿で笑っています!
「体温が違う!」とはよく娘から聞いていましたものの…。
秋の紅葉の頃に帰国を予定していますから、まっ、それに間に合わせればいいか…と。
結局、明日に明日にと、一日延ばしでとうとう…です。
ちょっと根気がなくなっているのでしょうか。気持ちはあるのですが、とっかかりの“時”を逃しているのか。
いつ、そのタイミングがおとずれるか、今のところ見当がつきません。自分次第ですが。
私も、中学生時代、家庭科の授業が大っきらいでした。
(“私も”というのは、石垣りんさんのエッセイに、「私は編物がきらいでした」とあったからです。)
ワンピースや、手袋、靴下を仕上げて提出しなくてはならない、最後の製作者は母でした。やってもらっていました。
なんでも真面目に?、親の手を煩わせることはほとんどなかったと思うのですが、これだけはだめでした。
私には、全く興味・関心がなく、言われて仕方なくの状態でした。
楽しいと思ったことがありません。
自分に子供が生まれ、それを機に手作りの楽しさを知ったといえます。
自分の服を、持て余す時間の中で作り出していましたが。変われば変わるものです。
何事も時期があり、気持ちが向いた時がスタートとなることはあるのです。と、言うことにしておきましょう。
≪手袋と靴下≫ (『焔に手をかざして』石垣りん)
私は編物がきらいでした。この場合のきらい、は下手の同義語で、編むのがのろければ仕上がりはうまくない。したがって、時間をエンエンと無駄にして、着ばえのしないセーターが季節はずれにやっと一枚できあがる、という寸法なのです。
ことに手袋など、友だちが五本の指の目数など拾いわけながらせっせと編んでいる。そのたのしそうな、余念のないさまを見ながら、買ったほうが早いのに、などと、ひとの手間ヒマを惜しんだりしました。
(中略)
物を自分で作り上げる、という根気と心やりを惜しんだ私は、……糸目からはずさないように注意しながらそっと手にはめて、はめてない方の手でさすったり伸ばしたりしている、あの優しい仕草を、とうとう自分のものにできなかったのだと思います。 (74・12 「プチせぞん」)
いつも心魅かれる表現があります...