『丘を越えて』(原作:猪瀬直樹『こころの王国』出演:西田敏行 池脇千鶴…)
芥川賞、直木賞の創設者の菊池寛。「父帰る」「恩讐の彼方」「真珠夫人」…文学史の知識としては知っているが、作品を読んだことがありません。そういう意味でも、どのような人物なのかを知りたい思いがありました。
まだまだ古い情緒を映し出しながらも、昭和初期、世の中の風潮は“モダン”なライフスタイルを志向していく時代。車や洋服、音楽やダンス…。出版社で働こうと一変する葉子。菊池寛を演じる西田敏行さんがよかった。彼を取り巻く人間の“ドラマ”は…比較的あっさりしたものに感じたのですが。
関東大震災後の社会の混乱や貧困の背景も取り込まれています。
朝鮮独立運動にかかわる青年・馬海松(まかいしょう)と菊池、そして細川葉子。
「君恋し」で踊る、馬との別れのダンスはせつない。
満州鉄道爆破事件のニュースがラジオから聞こえてくる。
今後またもや時代は変わっていくのだ。それは、満州事変、やがて太平洋戦争へと続くその前であることを教えてくれているのです。
と、突然ミュージカルのような場面に変わり、「丘を越えて」の歌とともに出演者が踊っている。ドラマは終わる。
めまぐるしい≪時代≫の変貌を乗り越え生きていく。
タイトルであり、主題歌『丘を越えて』。
♪♪讃えよわが青春(はる)を いざ行け遥か希望の 丘を越えて
讃えよわが青春(はる)を いざ行け遠く希望の 鐘は鳴るよ
ネットで見ました。www.honya.co.jp/contents/archive/kikuchi
私の日常道徳
一、私は自分より富んでいる人からは、何でも欣(よろこ)んで貰うことにしてある。何の遠慮もなしに、御馳走にもなる。総じて私は人から物を呉れるとき遠慮はしない。お互に、人に物をやったり快く貰ったりすることは人生を明るくするからだ。貰うものは快く貰い、やる物は快くやりたい。
一、他人に御馳走になるときは出来るだけ沢山喰べる。そんなとき、まずいものをおいしいと言う必要はないが、おいしいものは明らかに口に出してそう言う。
一、人と一しょに物を喰ったとき、相手が自分よりよっぼど収入の少い人であるときは、少し頑張ってもこちらが払う。相手の収入が相当ある人なら、向うが払うと言って頑張れば払わせる。
一、人から無心を言われるとき、私はそれに応ずるか応じないかは、その人と自分との親疎によって定める。向うがどんなに困っていても、一面織の人なれば断る。
一、私は、生活費以外の金は誰にも貸さないことにしてある。生活費なら貸す。だが、友人知己それぞれ心の裡(うち)に金額を定めていて、この人のためにはこのくらい出しても惜しくないと思う金額だけしか貸さない。貸した以上、払って貰うことを考えたことはない。また払ってくれた人もいない。
一、約束は必ず守りたい。人間が約束を守らなくなると社会生活は出来なくなるからだ。従って、私は人との約束は不可抗力の場合以外破ったことがない。ただ、時々破る約束がある。それは原稿執筆の約束だ。これだけは、どうも守り切れない。
一、貴君のことを誰が、こうこう言ったといって告げ口する場合、私は大抵聞き流す。人は、陰では誰の悪口でも言うし、悪口を言いながら、心では尊敬している場合もあり、その人の言った悪口だけがこちらへ伝えられてそれと同時に言った賞め言葉の伝えられない場合だって、非常に多いのだから。
一、私は遠慮はしない。自分自身の価値は相当に主張し、またそれに対する他人からの待遇も要求する。私は誰と自動車に乗っても、クッションが開(あ)いているのに、補助座席の方へは腰をかけない。
一、自分の悪評、悪い噂などを親切に伝えて呉れるのも閉口だ。自分が、それを知ったため、応急手当の出来る場合はともかく、それ以外は知らぬが仏でいたい。
一、私は往来で帯がとけて歩いている場合などよくある。そんなとき注意をしてくれると、いつもイヤな気がする。帯がとけているということは、自分で気がつかなければ平気だ。人から指摘されるということがいやなのだ。そんなことは、人から指摘されなくても、やがては気がつくことだ。人生の重大事についても、これと同じことが言えるかも知れない。
一、人への親切、世話は、慰みとしてしたい。義務としてはしたくない。
一、自分に好意を持っていてくれる人には、自分は好意を持ち返す。悪意を持っている人には、悪意を持ち返す。
一、作品の批評を求められたとき、悪い物は死んでもいいとは言わない。どんなに相手の感情を害しても。だが、少しいいと思う物を、相手を奨励する意味で、誇張して賞めることはする。
芥川賞、直木賞の創設者の菊池寛。「父帰る」「恩讐の彼方」「真珠夫人」…文学史の知識としては知っているが、作品を読んだことがありません。そういう意味でも、どのような人物なのかを知りたい思いがありました。
まだまだ古い情緒を映し出しながらも、昭和初期、世の中の風潮は“モダン”なライフスタイルを志向していく時代。車や洋服、音楽やダンス…。出版社で働こうと一変する葉子。菊池寛を演じる西田敏行さんがよかった。彼を取り巻く人間の“ドラマ”は…比較的あっさりしたものに感じたのですが。
関東大震災後の社会の混乱や貧困の背景も取り込まれています。
朝鮮独立運動にかかわる青年・馬海松(まかいしょう)と菊池、そして細川葉子。
「君恋し」で踊る、馬との別れのダンスはせつない。
満州鉄道爆破事件のニュースがラジオから聞こえてくる。
今後またもや時代は変わっていくのだ。それは、満州事変、やがて太平洋戦争へと続くその前であることを教えてくれているのです。
と、突然ミュージカルのような場面に変わり、「丘を越えて」の歌とともに出演者が踊っている。ドラマは終わる。
めまぐるしい≪時代≫の変貌を乗り越え生きていく。
タイトルであり、主題歌『丘を越えて』。
♪♪讃えよわが青春(はる)を いざ行け遥か希望の 丘を越えて
讃えよわが青春(はる)を いざ行け遠く希望の 鐘は鳴るよ
ネットで見ました。www.honya.co.jp/contents/archive/kikuchi
私の日常道徳
一、私は自分より富んでいる人からは、何でも欣(よろこ)んで貰うことにしてある。何の遠慮もなしに、御馳走にもなる。総じて私は人から物を呉れるとき遠慮はしない。お互に、人に物をやったり快く貰ったりすることは人生を明るくするからだ。貰うものは快く貰い、やる物は快くやりたい。
一、他人に御馳走になるときは出来るだけ沢山喰べる。そんなとき、まずいものをおいしいと言う必要はないが、おいしいものは明らかに口に出してそう言う。
一、人と一しょに物を喰ったとき、相手が自分よりよっぼど収入の少い人であるときは、少し頑張ってもこちらが払う。相手の収入が相当ある人なら、向うが払うと言って頑張れば払わせる。
一、人から無心を言われるとき、私はそれに応ずるか応じないかは、その人と自分との親疎によって定める。向うがどんなに困っていても、一面織の人なれば断る。
一、私は、生活費以外の金は誰にも貸さないことにしてある。生活費なら貸す。だが、友人知己それぞれ心の裡(うち)に金額を定めていて、この人のためにはこのくらい出しても惜しくないと思う金額だけしか貸さない。貸した以上、払って貰うことを考えたことはない。また払ってくれた人もいない。
一、約束は必ず守りたい。人間が約束を守らなくなると社会生活は出来なくなるからだ。従って、私は人との約束は不可抗力の場合以外破ったことがない。ただ、時々破る約束がある。それは原稿執筆の約束だ。これだけは、どうも守り切れない。
一、貴君のことを誰が、こうこう言ったといって告げ口する場合、私は大抵聞き流す。人は、陰では誰の悪口でも言うし、悪口を言いながら、心では尊敬している場合もあり、その人の言った悪口だけがこちらへ伝えられてそれと同時に言った賞め言葉の伝えられない場合だって、非常に多いのだから。
一、私は遠慮はしない。自分自身の価値は相当に主張し、またそれに対する他人からの待遇も要求する。私は誰と自動車に乗っても、クッションが開(あ)いているのに、補助座席の方へは腰をかけない。
一、自分の悪評、悪い噂などを親切に伝えて呉れるのも閉口だ。自分が、それを知ったため、応急手当の出来る場合はともかく、それ以外は知らぬが仏でいたい。
一、私は往来で帯がとけて歩いている場合などよくある。そんなとき注意をしてくれると、いつもイヤな気がする。帯がとけているということは、自分で気がつかなければ平気だ。人から指摘されるということがいやなのだ。そんなことは、人から指摘されなくても、やがては気がつくことだ。人生の重大事についても、これと同じことが言えるかも知れない。
一、人への親切、世話は、慰みとしてしたい。義務としてはしたくない。
一、自分に好意を持っていてくれる人には、自分は好意を持ち返す。悪意を持っている人には、悪意を持ち返す。
一、作品の批評を求められたとき、悪い物は死んでもいいとは言わない。どんなに相手の感情を害しても。だが、少しいいと思う物を、相手を奨励する意味で、誇張して賞めることはする。