フィンランドの伝統的な楽器カンテレの響きはどこか物悲しく私の耳には届いた。小国故に大国に翻弄され続けてきた民族の哀しみが込められているのだろうか?しかし、現在のフィンランドは国民の幸福度が世界一と、誰もが羨むような小大国である。
5月31日(火)夜、札幌市民交流プラザ3階クリエィティブスタジオにおいて「フィンランドウィーク講演会」が開催され参加した。
“フィンランドウィーク”とは、北海道国際交流・協力総合センターなどが主催し、札幌では初めて開催されるという。フィンランドの特色であるサウナや文化、教育&子育て、スタートアップ、ジェンダー平等など様々な分野について一週間かけて関係者が意見を交わすイベントということだ。
私が参加した「フィンランドウィーク講演会」は、サイドイベントという位置づけで、いわば市民向けのイベントだったようだ。
イベントの構成は、第一部が「カンテレ&トンコリ&創作ユカラ」のライブ、第二部が「駐日フィンランド大使の講演」の二部構成となっていた。
カンテレとトンコリは異質の楽器であるが、二つの楽器共にそれぞれの民族に古くから伝わる楽器という共通項で結ばれたようだ。三人のグループ名は「ポロ」と称しているということだった。最初はそれぞれの楽器がソロで演奏された。カンテレはもともと四弦楽器だったというが、現在は進化して奏者の佐藤美津子さんが演奏されたものは39弦のものだという。金属弦の響きは幽玄さを漂わせ、フィンランドの森の奥深くへ導かれるような音色だった。それは同時に哀しみにも似たメロディーに聴こえてきて、フィンランド民族が味わった長く苦しい歴史を思わせる哀しい響きにも聴こえてきた。
※ カンテレ奏者の佐藤美津子さんです。(プロの演奏者?)
一方、アイヌ民族に伝わる弦楽器トンコリは今もって四弦楽器である。やはり四弦楽器の限界だろうか?どうしても音が単調に聴こえてくるところが残念だった。そこにアイヌ民族の高い精神性を感受せよ、と言われても音楽的には辛いところがあるというのが正直な感想である。
※ トンコリの演奏です。(演奏者のお名前は紹介されませんでした)
二つの楽器に、アイヌ民族に伝わるユカラ(ユーカラ?)を交えたものが披露された。話者はアイヌ語が苦手だということだったが、ユカラ自体はアイヌ語で唱えられた。日本語との共通点は全く無く、理解することは難しかった。アイヌ民族は文字をもたない民族である。できればアイヌ語が再興され、民族の物語がアイヌ語で語り継がれる仕組みを作ってほしいと思う。
※ 三人のグループ「ポロ」のリーダーで、創作ユカラの話者を務めた方です。
第二部の駐日フィンランド大使の講演も大変興味深いものだった。その内容もできれば近日中にレポしたいと思うが、お話を聴いていて最も感じたのは、大使ご自身のみならず、きっとフィンランドの人々は “自己肯定感” が日本人と比べるとはるかに強いのではないか、と思われた点である。自己を、自国を肯定することが “国民の幸福度” 世界一に繋がっているのではないか、と思えた講演会だった。近いうちにぜひ講演内容をまとめてみたい。
※ ペッカ・オルパナ駐日フィンランド大使です。
ところでフィンランドというと、今から54年前の1968年の6月に私がヨーロッパ・アジアの貧乏旅行に出かけた時に初めて足を踏み入れたヨーロッパの国だったことで印象深い。もっとも正確に言えば私はその前に当時のソ連に入国しているのだが、共産国であったソ連は街全体にどことなく重たい雰囲気が漂っていたのに対して、ソ連からフィンランドに足を踏み入れると、西欧の醸し出す明るい雰囲気に包まれたことが印象深かったのである。私はフィンランドから家に送った手紙の冒頭に次のようにフィンランドの印象を綴っている。
「今日でヘルシンキに着いて4日目。まったくヘルシンキは気に入りました。人は皆親切ですし、街は落ち着きと華やかさを持っているし、女の人はみなきれい。そして夏といってもそれ程暑くなくて、ちょうどよい季節にきました。(後略)」
実は私はフィンランドには1週間程度しか滞在していないのだが、やはり初めての西欧の国だったことで、ことのほか印象深い国として記憶に残った国だった…。