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東京オリンピック 日本の翳りが心配

2021-08-06 21:04:36 | スポーツ & スポーツ観戦

 本夕のサッカー3位決定戦の敗戦が示すように、チームジャパンに前半戦の勢いが消え翳りを見せている。選手たちが見えないプレッシャーの前に力を十分に発揮し得ていないのではないかと心配である。

 女子レスリングの川井姉妹の金メダルとか、卓球団体の男女メダル獲得など、明るい話題もあるのだが、全体としては期待の種目の敗退が目に付く後半戦のチームジャパンの戦いぶりである。

 その背景として気になるのが、コロナ禍における開催による選手たちに与える見えないプレッシャーではないかと心配するのだ。

 そうした中、本日の北海道新聞に「解読 オリンピック コロナの悲劇」と題するワシントンDC日米協会会長ライアン・シェイファー氏の論文が載った。その記事の見出しとしては「中止は敗北 選択肢はなかった」と付けられていた。ライアン氏の論文は次のような書き出しで始まっている。

 1964年の東京五輪は、日本が世界の主要国の一員だということを示すことが全てだった。 今回の五輪を通して日本は、衰えつつある「過去の強国」ではなく、人類の未来を決定づける最新技術などを持つ国の一つだということを示そうとしていた。悲劇は、その全てが新型コロナウイルスにより葬り去られてしまったということだ。

(中略)

五輪開催が新型コロナの感染者増につながることは否定できない。経済的にも非常にマイナスだろう。しかし日本に中止という現実的な選択肢があったとは思えない。中止の決断は国際舞台における日本の敗北を意味した。

(中略)

 日本がギブアップするのも見たくはない。全ての難題を前に、安全な五輪を成功裏に開催してもらいたい。中止の判断をしていたら多くの人々を落胆させていただろう。

(後略)

 論文はこの後、開催費用やコロナ禍の開催によって生じたコストの問題について論じている。

 オリンピック開催の可否については、私もライアン氏が指摘するように「中止」という選択肢はなかったと思っている。ただそのために誰もが納得できる形(誰もがというのは現実的ではないかもしれない。より多くの人が納得できる形というのが適切であろう)で開催までのアプローチが出来たかというと疑問を感じざるを得ない。コロナウイルスが開催のための最大の敵と誰もが認識しながら、最善、最高の対策を行ってきたか?と問われれば疑問を感じざるを得ない。

 そのことで多くの人が開催することに対して疑問を呈したのではないか。ひいてはそのことが選手たちにあらぬプレッシャーを与えたとはいえまいか?私はネットの世界には疎いので、どのようなやりとりが交わされているのか知る由もないが、匿名性を隠れ蓑にして選手に対して必要以上の誹謗中傷が飛び交っているとも聞く。それを目にする選手たちが極限の緊張状態でのパフォーマンスに影響を及ぼしているのではないか、と心配するのである。選手たちが戦いの後に発するコメントにその影をみるのは私だけだろうか?

 そんな私の心配は杞憂に終わり、明日からの戦いでチームジャパンの選手たちの大活躍を期待したいと思っているのだが…。

 



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