江戸末期に高野長英という傑出した蘭学者がいた。彼は幕府の鎖国政策に異を唱えたために投獄された。その長英が破獄して逃亡の末、最後には捕吏によって惨殺されるまでの全貌を吉村昭の冷静で克明な筆致が私を夢中にさせた。今回もまた毎夜、私は吉村ワールドに酔い続けた。
※ PMF関連のレポがもう一本あるのだが、多少食傷気味なのでは?との思いからちょっと趣向を変えてみることにします。
文芸評論家の赤松大麓は言う。「吉村はさまざまな資料に目を通し、各地を踏査した。徹底した資料収集と綿密な現地調査は吉村の特技である」と…。高野の6年間にわたる逃亡劇は本州・四国の全てを転々とするほど広大であるが(地図を参照ください)、吉村は小説化にあたって、それらのほとんどの地に足を延ばして現地を調査しているのである。事程左様に吉村は小説化に当たっては厳密に自らを戒め、けっして妥協を許さない姿勢で執筆を始めるのはこの「長英逃亡」ばかりでなく、全ての作品に共通した姿勢である。
この作品はあくまで長英の6年間にわたる逃亡劇に焦点を当てたものであるが、その中で長英の人となりも紹介している。それによると、長英は自らの理想を追い続けるために親(育ての親)との縁も断ち切って長崎において医師シーボルトに師事し、オランダ語を学ぶ中で頭角を現し、海外事情に精通していくことになる。当初は西洋医学を学び医師を目ざしていたのだが、次第に国事に関心を抱くようになり、幕府の鎖国政策を批判する「夢物語」を著したことが契機となり捕らえられ永牢(終身刑)処分となる。入牢5年後に脱獄し、全国を逃亡することとなった。
※ 高野長英の肖像画です。
それからの逃亡劇は、微に入り細に入るスリリングな内容だった。長英が長崎で培った人脈は相当に太いものであり、また彼の名声が全国にとどろいていたことが困難な逃亡劇を助けた要因でもあった。現代と違い、人が通ることのできる道は限られ、川には橋もなく、関所を乗り越えて進むことは想像に絶した難行苦行であったが、吉村はそうした困難な道を往く長英の姿を克明に描いてみせた。
※ 高野長英の逃亡路を表したものです。
前出した評論家・赤松大麓は吉村昭をこのようにも評する。「情緒に流されぬ抑制のきいた硬質な文章で叙述や描写を一貫させている」、そして「文明開化の “夜明け前” を照射し、激動の時代に殉じた先駆者的思想家の完全燃焼した人生を描き上げたこの長編小説は、題材の独自性とすぐれた文章力が光っており、吉村文学の代表作として長く読みつがれていくだろう」と…。
私は赤松氏のように表現する力は持ち合わせていないが、まったく同感である。さあ、次は吉村の何を読もうか??