田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

映画 燃えよ剣 №327

2021-10-21 15:58:22 | 映画観賞・感想

 司馬遼太郎原作の映画化である。主演の岡田准一は彼の良さが十分に発揮された映画だったとの感想をもった。しかし、私には脚本が不満だった。映画全体は主役である土方歳三が己の人生を回想する形を取った。それがストーリーの連続性を阻害したと私には映ったのだが…。

  

 映画「燃えよ剣」の公開を知った時、「これは観なければ」と思った。そのわけは原作が司馬遼太郎であるうえ、主演が岡田准一と聞いて私の中では期待感が膨らんだ。

 昨日(10月20日)、正午前「シネマフロンティア札幌」に足を運んだ。いくら緊急事態宣言が解除されたとはいえ、平日の昼間である。観客は20数名程度だった。

 映画は土方が箱館戦争において官軍相手に自らの死を前にして、己の人生を回想する形で進行する。その手法が果てして適切であったかどうか?判断の分かれるところであるが、私としては少なくともこの手法を是としては受け入れ難い。というのも、映画の中で折々にその土方が回想する場面が挿入されるのである。そのことによって、ストーリーが寸断され、映画を観ている者が映画に没入できないきらいがあった。いわば土方歳三の人生のダイジェスト版を見せられているような気分に陥ってしまったのである。箱舘戦争の最後の戦闘場面のスケール感などは観ている者を圧倒させるのだが、それすら焼け石に水的に観えてしまった…。

   

 出演したキャストは 土方歳三役の岡田准一、近藤勇役の鈴木亮平、沖田総司役の山田涼介、松平容保役の尾上右近、芹沢鴨役の伊藤英明、歳三の恋人のお雪役の柴咲コウと芸達者ぞろいが好演していたのだが…。

 人間って面白い。惚れてしまうと痘痕も靨(あばたのえくぼ)的にみえるのだが、反対の立場に立つと荒探しをしてしまう。主役の岡田准一は以前から素晴らしい才能を有した俳優だと見ていた。本作においても彼の演技は際立っていたように思えた。彼の場合は彼の硬質な表情、演技が功を奏しているところが大きいと思っている。しかし、本作の土方歳三はその写真からも、伝わる話からも、表面的には優男という評価が高い。その優男が人を斬ることを躊躇せず、怜悧な性格であるところの落差が土方歳三伝説のように現代には伝わっているように思えるのだ。そう考えた時に、はたして岡田准一がベストなキャスティングだったのかどうか、疑問が残るところでもある。

     

 ただ、「土方歳三」はこれまで多くの俳優が演じてきた役でもあるという。その中で岡田准一の土方歳三の評価が高いのも事実である。

 久しぶりに大スクリーンでの映画観賞を堪能することができた「燃えよ剣」だった…。

※ なお、掲載した写真は全てウェブ上から拝借したものであることをお断りします。                                                                           

 


札幌景観資産⑧  指定第21号 「城下医院」

2021-10-20 16:17:05 | 札幌景観資産巡り

 目的の「城下医院」は円山地区の閑静な住宅街の一角に建っていた。前回レポした「杉野目邸」同様に周りが高い木で覆われていたため建物全体の写真を撮ることが難しかった。そこでやむをえず一枚はウェブ上から拝借することにした。

   

 所在地である南5条西21丁目というと、周りは円山の閑静な住宅街である。そうした中に深い緑に囲まれた今見ても斬新に見える住宅が建っていた。南側に円筒形の窓の多い建物が印象的である。この建物は大正から昭和初期にかけて札幌景観資産に登録される住宅を数多く設計した建築家・田上義也の設計によるものである。田上氏はアメリカの著名な建築家フランク・ロイド・ライト氏に師事した建築家としても知られている。

   

 円筒形の外壁と共に、採光、採暖、通風などに配慮した「雪国的な造形」がいたるところに見られる建築だという。

   

 建物は大規模な改修がされ、外壁にペインティングなどが施されているが、基本は建設時の姿を残しているとも言われている。なお、建設当時は医院を開業していたが、現在は医院としてではなく、子孫が住宅として使用されているようである。

   

城下医院 情報》

◇所在地 札幌市中央区南5条西21丁目2-16

◇建設年 1930(昭和5)年

◇構造  木造

◇指定年 2008(平成20)年3月26日

◇その他 個人宅につき非公開 ※敷地内無断立入禁止。

◇訪問日 2021年10月7日


滝野すずらん公園のコキアの紅葉

2021-10-19 17:02:42 | 環境 & 自然 & 観察会

 広い園内に紅葉したコキアが広がっていた。コキアが数本育っているのは街角でも目にすることはあるが、大量のコキアを目にするのは初めてだった。それにもまして見事だったのは園内のカエデ類の紅葉だった。併せて「アシリベツの滝」も訪れてみた。

 ブログ上で滝野すずらん公園のコキアの紅葉をアップする方が何人もいらっしゃった。それを拝見しているうちに私も見てみたくなった。そこで出不精の妻を誘い「国営滝野すずらん丘陵公園」を目ざした。

   

 ※ 中央口の事務所の建物の壁を這うツタも紅葉していました。

 中央駐車場口から入ると直ぐが「カントリーガーデン」と称するコキアの畑は広がっていた。全体が赤く紅葉したコキアを見るのは壮観だった。しかし、正直に言って私の出陣は「やや遅れたかな?」の感は否めない。私としては緑、ピンク、赤とグラデーションに彩られたコキアを見てみたかった思いがあったのだが、そのためにはもう少し早い時期の出陣が必要のようだ。コキアは別名「ホウキギ」と称して、昔の人たちはこのコキアで庭箒を作っていたとも聞いたことがある。

   

   

   

   

 カントリーガーデンには、すでに花の時期を終えたラベンダーやコスモスの畑も広がっていた。そうした中、まだ枯れずに咲いている花も数種あった。花名が分かったのはバーベナ、サルビアブルーなどである。

   

※ バーベナの群落です。

   

※ こちらはサルビアブルーです。

   

※ 花の名が特定できませんでした。

 カントリーガーデンの丘を登り切ると、そこは東口となりビジターセンター、レストハウス、休憩所など各種施設が並び来園客が楽しめる施設が集まっている。その広場にはハロウィンの季節を意識したデコレーションに彩られていた。

   

   

※ 小さな菊の花を球形に象ったものです。

    

   

   

 東口から中央口へ、上がってきた経路と違う山沿いの道を下った。するとその道々には色鮮やかに色付いたカエデ類の木々が見事の紅葉を呈していた。これまで何度も来園している滝野すずらん公園だが、駐車場を変えたことで新たな発見があった。(私はこれまで東口駐車場を主として利用していた)

   

   

   

   

   

   

   

※ 場所は少し違いますが、イチョウの葉も黄葉していました。

 帰りには「渓流口駐車場」に車を停め、もう何度目になるだろうか?「アシリベツの滝」を見て、滝野すずらん公園を後にした。

   

   

   

 これまで何度も訪れたことのある「滝野すずらん公園」だが、晩秋に訪れたのは初めてだった。晩秋もまたいいものである。 


寒さに震えながらの自然観察会

2021-10-18 18:31:34 | 環境 & 自然 & 観察会

 昨日(10月17日)は、札幌をはじめ道内各地は今年初の寒波に襲われた。雪こそ降らなかったものの、時折り冷たい風雨に見舞われ寒さに震えながら「前田森林公園」で行われた自然観察会に参加した。深まり行く秋の森林公園の中を探訪した。

   

※ この日最も紅葉が美しかったナナカマドの葉です。(最後に別角度からのもう一枚を掲示した)

 前田森林公園は札幌の西の端、小樽湾に近いところに位置する手稲区の総合公園である。この公園でボラティア活動を展開している「凹凸クラブ(デコボコクラブ)」主催の自然観察会が開催され参加した。

 前田森林公園は人工的に造られた長さ600mに及ぶ直線のカナール(運河)が有名で、私も何度か足を運んだことがあるが、自然観察会に参加するのは初めてだった。

   

※ 前田森林公園内の黄葉した林です。

 観察会は事前申し込みは不要というラフな観察会だったが、それでも関心のある地元の人たちを中心に24~5名の参加者があった。

   

※ 参加者たちは皆関心のある方ばかりのようで、とても熱心に参加されていた。

 午前10時、冷たい風が吹きすさぶ中、クラブのガイド役(石田さんと自己紹介された)に導かれ森の中に入った。ガイド役の石田さんはとても植物に詳しい方だった。分かり易く、噛み砕いて初心者にも丁寧に説明された。時には巧みなユーモアも交えて…。

   

※ この日の説明をしていただいた石田さんという指導員の方です。

 最初に案内されたのが紅葉の代表選手であるカエデ類の林だった。イタヤカエデ、ノルウェーカエデ、ヤマモミジ、トウカエデ、ハウチワカエデ、ネグンドカエデ、と…。途中で石田さんは、木の葉が紅葉、黄葉、褐葉する仕組みについての説明もいただいた。(文章での説明は難しいので省略)

   

※ あまりきれいな紅葉ではないがカエデ類の紅葉です。

   

※ こうしたグラデーションを呈した葉も面白いですね。

   

※ カエデ類の実はプロペラのような形をして、周りに散らばり種を増やします。

   

※ カエデの葉の一部の紅葉が始まっているところです。葉先から始まるんですね。

 石田さんの説明を聞いていて、前田森林公園が自然林を利用した公園でないことが分かった。前田森林公園は前述のカナールのことでも分かるように、何もないところからおよそ10年もかけて新たに作り出した公園だということだ。だから前述のカエデ類もそのほとんどは他から移入、移植をしたものだということだった。ただ開園してすでに34年。鳥たちによって種子が運ばれたりして、当初植えたものが思わぬところで発芽して、成長している木もあるということだった。

 カエデの林から場所を変え、木の実が結実している所へ向かった。真っ赤な赤い実が枝いっぱいに付けている木が目に入った。「アキグミ」という木である。動物たちも好んで食する果実だという。人間が食べても構わないということで口に入れてみると、小さな実ながらけっこう甘い果実で動物たちも好みそうな実だった。

   

※ アキグミの実です。   

 その傍にもう一つ、小さな赤い実を付けた木があったが、こちらは「ニシキギ」というそうだ。こちらの実は硬くて美味とは言えないようだった。ここでこの日唯一の野鳥ヒヨドリを見ることができたが、私の腕ではカメラに収めることは無理だった。

   

※ こちらはニシキギの赤い実です。

 そしてクルミの森へと場所を変えた。クルミの森には、リスたちが食べたクルミの実の殻がたくさん落ちていた。ガイド曰く「リスたちはクルミの実をきれい割って食べるが、ネズミたちは割らずに殻に穴をあけるようにして食べるので直ぐにどちらが食べたか分かる」そうだ。またクルミの葉は小葉といって葉柄のところから何枚も葉を出しているが、葉の数を数える場合はあくまで一つの葉柄から出ているは何枚小葉が出ていても一枚と数えるそうである。う~ん、難しい!

   

※ エゾリスたちがクルミの実を食べた跡です。

   

※ クルミ類の小葉について説明する石田さんです。

   

※ オオウバユリの実が結実した様子です。

        

※ オオウバユリの高さが見事です。2メートルはありそうです。

 最後に秋の味覚キノコを紹介していただいた。コースの中で一つはヒラタケのようだったが、詳しい方がいなかったために特定することはできなかった。ガイドの方が自信をもって紹介していただいたのが毒キノコとして有名なベニテングダケである。また、倒木したシラカバの木から生えたツリガネダケをも紹介してくれたが、こちらは硬くてとても食用には適さない種であることが見て分かった。

   

※ こんな大きなキノコが公園内に残っているのは食用ではない、と想像されます。

   

※ ベニテングダケの赤い色が退化してしまったものだそうです。

   

※ 釣鐘を逆さにしたような形からツリガネダケと命名されたとか…。

 キノコを探すうちにこの日最も鮮やかに紅葉していたナナカマドを見ることができた。離層した後の気温とそれによって生成されたアントシアン(赤色)の変化の割合が理想的だったことから見事な赤色を呈したものと考えられる。

   

※ 見事に赤色に染まったナナカマドの葉です。

 と説明を受けていた時に、大粒の雨というか霙(みぞれ)のようなものが降って来た。林の中で雨を避けたが、これにて観察会を終了することとした。

 私はこの日、寒さを警戒して下はズボン下に、オーバーズボンも身に付け、上は夏山装備の上に羽毛のベスト、その上にアウターを羽織るという重装備だったが、それでも寒さを感じながらの観察会となった。

 しかし、久しぶりの観察会はいろいろと新しい知識を得ることができ楽しい観察会となった。どうしてもこの種の観察会は右から聞いて左から忘れていくことが常であるが、回を重ねることによって少しは身についてくるのではと自分自身に期待している。

 夏の間、コロナ禍で軒並み中止となっていた自然観察会が今月から来月にかけて札幌市内各地で行われるようなので、できるだけ参加できたらと思っている。


三大学が統合することの意味

2021-10-17 17:38:51 | 講演・講義・フォーラム等

 一昨日、「小樽商科大学創立110周年記念シンポジウム」に参加してきた。シンポジウムのテーマは「新たな価値創造~北海道の未来へつなぐ挑戦」だったが、その底意には来年(2020年)4月に帯広畜産大学、北見工業大学、そして小樽商科大学の三大学が経営統合することを前提とし、統合による効果を活かした地域貢献の在り方について論じられたものと理解したのだが…。

 シンポジウムの構成は、第一部が基調講演で「変わらぬ経営理念、変る経営戦略」と題して石屋製菓代表取締役社長の石水創氏が講演された。

 続いて第二部はパネルディスカッションが行われ、次の方々が登壇しテーマの基づいたディスカッションが交わされた。登壇された方々は次のとおりである。

 ◇大西 希氏(鶴雅ホールディングス取締役副社長) ※小樽商大中核人材養成講座修了

 ◇海野泰彦氏(ファームデザインズ取締役会長) ※帯広畜産大学卒業

 ◇阪内順逸氏(オホーツクビール取締役製造責任者) ※北見工業大学卒業

 ◇塚原敏夫氏(上川大雪酒造取締役社長) ※小樽商科大学卒業

 ◇山崎雅夫氏(北海道経済部 観光振興監)

 コーディネーター 北川泰治氏(小樽商科大学教授)

   

 石水氏の講演の要旨は、現社長石水創氏は先代社長の石水勲氏を心底尊敬していることが伝わってきた。石水勲氏は二代目社長として「石屋製菓」を大きく発展させた人である。勲氏は「お菓子づくりは夢づくり」と標榜し、「イシヤチョコレートファクトリー(現白い恋人パーク)」を開館するとともに、銘菓「白い恋人」を大ヒットさせた。併せて、北海道初のプロスポーツサッカーチーム「コンサドーレ札幌」を誕生させた生みの親としても有名である。

 そんな勲氏が「白い恋人賞味期限改ざん問題」の責任を取って社長を退任した後、創氏はそれから少し間をおいた2013年、若干31歳で石屋製菓の社長に就任した。創氏は先代勲社長の志を受け継ぎながら、時代に即応した経営ビジョンを作成し、次のような行動指針を示して経営に当たっているという。その指針とは①共創、②顧客志向、③海外進出だそうだ。その指針のもとに石屋製菓は今着々と業績を伸ばしているそうだ。(但し、コロナ禍のために2010年は業績がマイナスに転じている)北海道発の菓子メーカーとして石屋製菓が今後ますます発展することを期待したいと思う。なお、創氏は小樽商科大学大学院を修了している。

   

※ 私が入場した時に参加者はまだまだ場内には少なかった。開会中は写真はNGだったので、開会前に一枚撮った。

 続いてパネルディスカッションである。まず注目すべきはパネラーの人選である。パネラー紹介の項の後に※印で学歴を示している。北海道経済部の山崎氏以外の方々は統合する三大学に関係する方ばかりである。私はここに今回のパネルディスカッションのねらいが隠されていると見た。つまりこのシンポジウム自体は小樽商科大学の創立110周年を記念するものであるが、主催する側の目はすでに来年4月以降を見据えた企画だと思われた。

 パネルディスカッションは、登壇者の企業の紹介、企業としての創意工夫、地域との連携、等々について語り合うものだった。私はその具体的内容についてメモし続けたが、そのことについてはここでは割愛したい。

 そのことより、シンポジウムテーマでいう「新たな価値創造」とは、三大学が統合することによって起こる統合効果や変化を期待しているということだろう。しかし、これまでそれぞれ独自の道を歩んできた三つの大学が一つにまとまるということは、簡単なことではないことは容易に想像される。統合が決定されるまではおそらく相当の議論が交わされたことに違いない。小樽、帯広、北見にある三大学が統合されるとは、大袈裟に言えば広い北海道内の遠く離れた地域の大学が一つになることを意味する。(三大学が統合すると言っても一つの大学になるのではなく、それぞれの大学はそのまま存続し、経営を統合するということで「北海道国立大学機構」として統一するということである。)幸い時代は距離の問題を克服するIT時代を迎えている。

 今回はおそらく国主導のもと、人口減少という時代を迎え、入学者の減少に対応する必要があるとの主張が反対論を押し切ったものと推測される。幸い今回の統合は、商学、農学、工学という実業系の単科大学が一つにまとまることによって、新しい価値が創造できる” はずとの理念が関係者の理解を得たのではないかと私は勝手に思っている。

 パネルディスカッションの最後に、鶴雅ホールディングスの大西副社長が「三大学が一緒になってガストロミーに取り組んでほしい」と要望された。私はガストロミーの言葉自体初耳だった。帰宅して調べたところ「食事・料理と文化の関係を考察する」ことだそうだ。三つの特色ある大学が連携することの意味を見出すうえで貴重な提言ではないかと思えた。事程左様に三大学の関係者がこの問題に積極的に関わることによって、きっと新たなサムシング(Something)が生まれてくるような気がする。そのような “期待感” をもって三大学の統合を見守りたい。                           


札幌景観資産⑦  指定第6号 「杉野目邸」

2021-10-16 17:35:04 | 札幌景観資産巡り

 「札幌市の中央区、中心街よりやや離れた住宅街の一角に鬱蒼とした林に囲まれて「杉野目邸」は建っていた。昭和初期(昭和8年)に建てられた洋風の邸宅は当時としては相当に珍しい建物だったのではないだろうか?   

                                                                                                      

 杉野目邸は北海道帝国大学(現在の北海道大学)理学部創設時の杉野目晴貞教授(後に学長を務めた)が自邸と建てたものであるが、北大職員の萩原淳正氏の設計によるものだという。工法はハーフティンバー工法というむき出しの柱や梁の白い骨組みが描く模様、窓上部のアーチなど、16世紀にイギリスで隆盛を極めたチューダー様式を参考にしたそうだ。当時の札幌の住宅では初めての集中暖房と水洗方式が導入された超モダン住宅だったようだ。

      

 邸宅が建っている所は南19条西11丁目であるから、市の中心の札幌テレビ塔から、南に19ブロック、西に11ブロック離れたところなので中心街からはやや離れたところといえる。私は運動を兼ねてウォーキングで訪れたが、かなり時間も体力も使ってしまった。

   

   

 邸宅には現在杉野目晴貞氏のご子息でやはり北大工学部の名誉教授の杉野目浩氏が住まわれているという。そこではたと気が付いたことがあった。この「札幌景観資産」では歴史的な住宅を表記するときに、頭に「旧」を付けたもの邸宅と、付けていない邸宅がある。「旧」と付いたものは、現在は建築した方の手を離れて他の方の手に移ったもの(例:「旧小熊邸」、「旧中井邸」、「旧沼田邸」など)を指している。一方「旧」が付いていない邸宅は、現在も持ち主が変わらず、あるいは子孫に引き継がれた邸宅のようである。(例:「杉野目邸」、「城下医院」、「永井邸」など)

   

 杉野目邸はリートド文でも触れたように、深い林に囲まれていたため思うような写真は撮れなかったが、現在子孫の方が住まわれているのだから、それもいたし方あるまい。                                            

杉野目邸 情報》

◇所在地 札幌市中央区南19条西11丁目1-25

◇建設年 1933(昭和8)年

◇構 造 木骨れんが造

◇指定年 2005(平成17)年3月3日

◇その他 個人宅につき非公開 ※敷地内無断立入禁止。

◇訪問日 2021年10月7日


札幌景観資産⑥  指定第16号「旧沼田家りんご倉庫」 & 指定第11号「旧中井家りんご倉庫」

2021-10-15 17:21:14 | 札幌景観資産巡り

 札幌に残る古い倉庫ということで、私はすっかり「札幌軟石」で造られた倉庫をイメージしていた。しかし、訪ねて行ったところに現れたのは「札幌軟石」の灰色の壁ではなく、赤茶色をしたれんがの壁の倉庫が現れた…。

 「旧沼田家りんご倉庫」は主要道の「水源地通」に面して建っていた。実は沼田家ではほぼ同じ住所のところに「沼田家住宅旧りんご倉庫」という札幌景観遺産の指定を受けた倉庫があったが、こちらはすでに解体されてしまい指定が解除された建物もあったようだ。

   

 リード文に記したが倉庫は予想と違いれんが製だった。考えてみれば近くの江別市はれんが製造が盛んな街であったことから建築素材として優れている(耐熱性、蓄熱性、耐火性、etc)れんがを使用することは理に適ったことだったのだろう。

 さらには赤茶色をしたれんがの色と、目地として使用する白い漆喰の対比が美しく美的にも優れた建物である。

   

 資料によると、この「旧沼田家りんご倉庫」は、軒下にれんがを蛇腹に組み、ひし形タイルを付けるなど、れんが職人の長浦数雄のこだわりがれんが積みの随所に見られると説明されている。

   

 現在はカフェ「LLOYD’S COFFEE 西岡店」として利用されているということだったので、私は内部見学を兼ねてコーヒーを味わおうと入店したのだが、スタッフから「テイクアウト専門です」と話されたことから、ゆっくりできないことが分かり内部見学を断念することにした。

   

旧沼田家りんご倉庫 情報》

◇所在地 札幌市豊平区西岡4条10丁目7-1

◇建設年 1953(昭和28)年

◇構 造 れんが造

◇指定年 2007(平成19)年3月30日

◇その他 現在「LLOYD’S COFFEE 西岡店」として活用

     内部見学は、お店利用者のみ。

◇問合せ ☎011-855-3939

◇訪問日 2021年10月4日

   

   

 一方、「旧中井家りんご倉庫」は同じ豊平区ではあるが、より札幌市の中心に近い平岸に建っているが同じ日に訪れた。主要道からは外れたところに建っていたが、調べてみると元々は主要道である「平岸通」沿いに建てられていたという。それを1988(昭和63)年に建物ごと動かす曳家(ひきや)という方法で20mほど離れた通りから少し奥まった現在の位置に移されたそうだ。外壁の感じは「旧沼田家りんご倉庫」と同じれんが造りのため似た印象だった。これも資料から得た知識だが、れんがの断熱性をより高めるために中空を設けてれんがを積む「小端空間積み」と呼ばれる工法が用いられているとのことである。

   

 現在倉庫は、「よさこいソーラン祭り」の強豪チームの「平岸天神」の太鼓道場として使用されているということで内部の見学はできなかった。

   

旧中井家りんご倉庫 情報》

◇所在地 札幌市豊平区平岸3条2丁目2-1

◇建設年 1935(昭和18)年

◇構 造 れんが造

◇指定年 2006(平成198)年3月7日

◇その他 現在「平岸天神太鼓道場」として活用

     内部見学は、事前の許可が必要。

◇問合せ ☎011-841-1803

◇訪問日 2021年10月4日


囲碁の世界を話を聴いた

2021-10-14 15:56:39 | 講演・講義・フォーラム等

 囲碁の世界など私にとってはまったく別世界の話である。そんな私が現役の棋士から直接お話を聴く機会を得た。ちょこっとだけ囲碁の世界を垣間見た思いだった。

 (公財)北海道生涯学習協会が主催する「ほっかいどう学」かでる講座が一昨日10月12日(火)に開催された。このかでる講座も4月を除いてコロナ禍のために今季はずっとオンライン講座での開催だった。それが緊急事態宣言の解除によって6カ月ぶりにリアル開催となったのである。

 10月の講座は「着眼大局着手小局 囲碁の世界」と題して、日本棋院 東京本院棋士の遠藤悦史氏(日本棋院8段)が講師として登壇した。遠藤氏は1971(昭和46)年に岩見沢市生まれで50歳である。現在は由仁町在住で、棋士として対局をこなしながら岩見沢市を中心として後進の指導にもあたっているとのことだった。

          

※ ウェブ上から拝借した遠藤悦史氏の近影です。

 ネットで遠藤氏の戦績を調べてみると、382勝351敗と5分以上の勝率で中堅の棋士といったところだろうか?ちなみに今年の7月に現在の囲碁界で話題の仲邑菫二段と対戦し惜しくも敗退したとのことだった。(仲邑二段は10歳で特別プロデビューを果たした女流棋士である)

 遠藤氏は受講する私たちのほとんどが私同様に囲碁について素人であるという前提でお話された。したがって、まずは囲碁の歴史について簡単にレクチャーされた。

 囲碁は中国で生まれ、日本には7世紀ころ伝えられたといわれ、当初は貴族を中心に楽しまれたという。その頃の言葉に「琴棋書画(きんきしょが)」という言葉があり、高貴な身分の人々のたしなみとされていたそうだ。

   

※ かでる講座で講義をする遠藤悦史氏です。

 その後、安土桃山時代ころから囲碁に秀でた者は「碁打ち衆」と呼ばれ時の権力者(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)らに庇護されことがプロ棋士の始まれとされているとのことだった。その「碁打ち衆」の初代名人と言われたのが「本因坊算砂」と名乗った京都・寂光寺の僧・日海だそうだ。

 その後、現代の囲碁界の話に移り、現在は日本棋院、関西棋院併せて486名の現役棋士たちが七大タイトルを競っているという。その七大タイトルとは◆棋聖、◆名人、◆本因坊、◆王座、◆天元、◆碁聖、◆十段の七つである。過去には井山裕太八段が七大タイトルを独占していたこともあったが、現在は井山八段が四つのタイトルを保持し、他は3人の棋士が分け合っている状況だという。

 話の最後は、囲碁のルールを簡単に説明され、7×7の格子状の盤で受講者に考えさせる場面があった。場面が限定されて考える分にはなんとなく付いて行けたが、これが本来の19×19の格子状の盤となると、もうどこに目をやったら良いのか皆目見当がつかない、というのが正直なところだった。

   

※ 遠藤氏の講義を聞き入る受講生たちです。

 私のような凡人から言わせると「いったい棋士たちの頭の中はどうなっているのか?」と思うのだが、囲碁にかぎらず各界におけるプロと言われる人たちは持って生まれた才能と努力によって現在の地位を得たのである。今回のお話を聴いて、プロの世界の厳しさを実感するとともに、遠藤氏の囲碁界における今後の健闘を祈りたいと思った。

 なお演題の「着眼大局着手小局」は良く聞く言葉であるが、今回の講座では特にそのことには直接は触れなかったように思われた。

 


明かりが見えた? 豪に勝利! WCアジア最終予選

2021-10-13 17:16:59 | スポーツ & スポーツ観戦

 昨夕のWCアジア最終予選、森保ジャパンにとって予選B組の最大のライバルと目されるオーストラリアに対して2対1ときわどい勝利をものにした。暗雲漂っていた森保ジャパンに一筋の光明が見えた思いがした。昨夜の対戦を振り返ってみたい。

 私は自らをけっしてコアなサッカーファンだとは考えていないが、それなりに関心のある層の一人だとは思っている。その私から見て、来るべきFIFAワールドカップカタール大会2022のアジア最終予選は、いつもの予選大会ほど盛り上がっていないのではと感じている。それはコロナ禍のこともあり、それどころではないという人々の意識はもちろんあるだろう。それと共に、今最終予選の海外での対戦を地上波のテレビ局が中継できず、唯一DAZNが放送権を握っていることが盛り上がりを欠かしている原因ではないのだろうか、と思っている。

   

※ 対オーストラリア戦を勝利し、スタンドのサポーターと歓びを分かち合うイレブンです。

 そうした中、昨夜は対戦が国内ということもありゴールデンタイムにテレビ朝日系列が中継放送をした。そのことで多くの人たちがテレビ観戦したのではないだろうか?

 これまでの戦績が1勝2敗と、多くのファンが期待した結果を出していない森保一監督は監督の座の継続も危ぶまれていた。その森保監督が昨夜は思い切った手に打って出た。一つはこれまで取ってきたフォーメーションの変更である。これまでの森保ジャパンは4-2-3-1だったが、それを4-3-3に変更してきた。そして変更した中盤にサウジアラビア戦で先発した柴崎、鎌田に代えて、守田、田中を起用してきた。さらに累積警告出場停止明けの伊東がサイドアタッカーとして帰ってきた。

 この変更によって日本の攻撃は活性化したように私には映った。守田も田中も積極的にボールに絡み、前へ押し上げる役を担った。そのためもあり、日本は波状的にオーストラリアゴールを脅かした。明らかにフォーメーションの変更、二人MFの投入が功を奏しているように思えた。その成果が試合開始8分、早くも結果として現れた。田中の前への押し上げに南野が反応し、素晴らしいサイドパスが通ったことで田中のビューティフルゴールが生まれた。

   

※ 対オーストラリア戦の殊勲の一人、田中碧選手の試合後の表情です。

 オーストラリアも最終予選に入って3連勝という強豪だから黙っているわけではなく、何度か日本ゴールを襲うものの、GK権田のファインセーブなどで日本ゴールを割ることができなかった。最大のピンチは前半44分、相手シュートにGK権田が反応し、指先にボールが触れたことでポトスを直撃することになり難を逃れることができた。

 後半、日本の攻勢は前半ほどではなく、オーストラリアにボールを持たれる時間が増えたが、危険を感ずるシーンはそれほどはなかった。「このまま行ってほしい」との願いが生じ始めた後半20分、攻守に汗を流していた守田が相手を倒しゴール前でFKを献上してしまった。(このプレーは当初 PKと判定されたが、VARによってFKに変更された)しかし、このFKをオーストラリアに決められ、試合は振出しに戻ってしまった。

 殊勲は後半33分、南野に変わってピッチの入った浅野だった。浅野は積極的にゴールに向かう選手である。この日もピッチに入った直後にミドルシュートを見舞ったが相手GKに阻まれてしまった。日本に歓喜の瞬間が訪れたのは後半41分だった。吉田からボールを受けた浅野が左サイドやや遠い位置から思い切ってシュートを狙うと、相手 GKが弾きボールがポストに当たり跳ね返ったところで相手DFに当たってOGとなり、貴重な追加点&決勝点となった。

   

※ 殊勲の浅野選手を取り囲み、手荒い祝福を浴びせるイレブンです。

 オーストラリアはWCのアジア予選で11連勝を続けていたという。その連勝を日本は阻んだということになる。過去6回連続WC本選に進出している日本としては “殊勲!” とは言い難いが、予選の最大のライバルを倒した意味は大きいと思う。

 この1勝で最終予選の成績は2勝2敗の五分に戻した。しかし現時点での予選B組の順位は6か国中で第4位である。WC本選の切符を自動的に得るには2位以内に入らなければならない。道はまだまだ厳しいがその可能性を残したことに意味がある。

   

※ 日本の精神的支柱、頼もしい吉田麻也キャプテンです。

 危機感を露わにした監督、選手たちの今一層の奮起を期待したい。これまで感情を表に出すことのなかった森保監督が、国歌斉唱時に涙を見せたり、試合後のスタンドに向かった拡声器もない中でサポーターたちに「一緒に戦い、ワールドカップに行きましょう!」と叫んだ姿から選手もスタッフも一層奮い立ってくれるのではないか。

 明かりは見えてきた!森保ジャパンのこれからの6試合で日本の底力を見せてくれることを信じたい。

※ 掲載した写真は全てウェブ上から拝借しました。


映画 武士の一分 №326

2021-10-12 18:10:19 | 映画観賞・感想

 庶民や下級武士の哀歓を描くと右に出る者はいないと言われる藤沢周平の作品を名匠・山田洋次監督が映画化したものである。主演の木村拓哉が思いのほかとも思える演技で、上質の作品に仕上がった作品だった。

        

 昨日レポしたように、私が所属する生涯学習グループ「めだかの学校」の今年度後期の学びとして、藤沢周平作品を映画化したものを6回連続して観賞し、その感想を交流することにしている。その1本目が昨日上映された「武士の一分」である。

 映画は2006(平成18)年制作で松竹から配給された映画である。作品の舞台となる東北の小藩・海坂藩の下級武士で剣の腕はあるもののそれは生かされずに毒見役に軽んじられている三村新之丞(木村拓哉)は妻の加世(壇れい)と慎ましく暮らしていた。ところがその毒見役の役目でつぶ貝の刺身を試食したのだが、貝毒のために死線をさまよった末に失明してしまう。ここから新之丞の運命は暗転してしまうのだった…。以下はネタバレとなるため省略するが、主題は故事ことわざに「一寸の虫にも五分の魂」ということわざがあるが、そこから着想を得たものだろう。つまりいくら下級武士とはいえ、上役からあまりにも虐げられたときには命を賭して反撃する魂があるという、武士としての誇りを描いたものと私は解釈した。

  

※ 盲目の新之丞が仇敵の藩の重臣島田藤弥(坂東三津五郎)と対決するシーンです。

 さてこの映画で主演を務めた木村拓哉であるが、多くの関係者からその演技力が評価されている俳優の一人である。私はそれほど多く彼の演技を観たわけではないが、彼の演技を見ていると巧さゆえの木村拓哉の臭いを感ずる場合が多かったように思える。(そこがいいのだ!というキムタクファンが多いのだと思うが…)ところがこの作品においてはその木村臭さをあまり感じなかった、というのが正直な私の感想である。特に彼が失明してからの所作や失明したがための目の動きなど、その自然の動きは私を画面にくぎ付けにした。(山田監督の指導?それとも木村の持って生まれた巧さ?)

 ストーリーの展開も良かった。新之丞はある屈辱的な事件のために妻を離縁してしまった。しかし新之丞はそのことを悔いていた。そして、それからは奉公人の徳平(笹野高史)が作る不味い食事に耐えねばならなかった。そんなある夜、徳平は飯炊き女を招き料理を作らせた。その料理を口にした新之丞はその味に記憶を揺さぶられたのだった。その味は紛れもなく離縁した妻の加世の味だった。

   

※ この映画の主要な三人である新之丞、加世、徳平が揃ったシーンです。

 恐る恐る新之丞の傍に寄った加世は新之丞に問いかける。「私が、お分かりでがんしたか?」すると新之丞は「アホだの~、お前の煮物の味を忘れるわけねぇ。」

 徳平の温かな配慮が二人を復縁させたのだった……。 ジ・エンド…。

 映画を観終えた私はしばし感動と共にエンドロールを見続けた。何よりも木村拓哉の自然な演技がそうさせたのだと思った。併せて、木村拓哉、壇れい、笹野高史の三人が醸し出す温か~いやりとりが私をほのぼのとした気持ちにさせた。何よりもバイプレイヤーとしての笹野高史の存在感は素晴らしい!!!