マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

関東バス(荻窪にて)

2007-06-09 23:45:32 | バスの写真館
こんばんわ。

今日は、女房の母親の誕生日のお祝いで、荻窪へお食事会に行ってきました。
荻窪のルミネでしたので、もちろん駅前。駅前といえばバスロータリーと、頭の中は食事よりもバスを撮る時間があるかどうか。
そして食事後、女房と娘は買い物をするという。ということで、待っている間にロータリーへ出撃となりました。

関東バスといえば、車齢的に危機状態にある富士重工製の3扉車たち。果たしてどのくらい残っているのか・・・。


撮影は、すべて平成19年6月9日、荻窪駅北口ロータリーにて

A3450


C5135


C5137

富士重工製の3扉車です。私が結婚する前(15年位前)は、このロータリーは3扉車ばかりで埋め尽くされていたような記憶があります。女房の実家へ向かう下井草行きは、乗ったら100%3扉車でした。今回も台数的にはまだまだ配置されているようですが、年数的にもそろそろ全廃の時期が近づいているようです。


A1147
西日本工業車体のノンステップ車。関東バスでのノンステップ車の奔りとなった車輌です。荻窪でもその存在が目立つようになってきています。


C2011
三菱のエアロスター。平成9年式の車輌です。この車輌もかなりこの辺りで活躍しているようで、そこそこ台数を見掛けました。新しいように見えますが、この車輌でも10年選手になってしまっているのですね。


今回は、デジカメを買ってから初めての荻窪でした。2年前に撮影したときは、たまたまフィルムの取り残しのあったマミヤの645でしたので、撮影中ジロジロ見られて恥ずかしかったのですが、やはりデジカメの手軽さは、サッと出してすぐ撮れ、その場で写りの確認もできますので、バス撮影には本当に便利だなぁと改めて思いました。
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秩父鉄道(300形:急行「秩父路」)

2007-06-09 09:05:35 | 列車・車輌カタログ(私鉄)
おはようございます。

今日は、昨日に引き続き、秩父鉄道の急行列車で使用されていた300形をお届けいたします。

秩父鉄道では、熊谷から三峰口行きの急行「秩父路」が毎日運行されています。つい最近、元国鉄165系の3000形と交代で、元西武鉄道101系の6000形が就役したことで話題になりました。この300形は、3000形の前の急行型車輌でした。

車体形状は同社の普通列車用の新性能車500形に酷似していますが、室内はクロスシートとなっており、また、ベンチレーターにも違いがあります。そして、500形がヘッドライトの2灯化されたのに対し、300形は最後まで1灯のままでした。

以下の写真は、東武熊谷線の撮影に行った際、熊谷駅で撮影したものです。


昭和56年8月28日 秩父鉄道熊谷駅にて 側線に停留中のデハ303編成


昭和56年8月28日 秩父鉄道熊谷駅にて 秩父鉄道サハ352

出番に備えて待機中のデハ304+サハ352+デハ303(手前から)の3連。秩父鉄道では、急行専用車輌として300形を2編成配備していました。そのうち、この編成の中間車サハ352は、ローカル私鉄では珍しいアルミ製車体を用いていることで有名でした。


昭和56年8月28日 秩父鉄道熊谷駅にて デハ301

こちらは、もう1編成ある300形(デハ302+サハ351+デハ301:奥から)の編成。朝方の下り急行の運用に就いていました。こちらの中間車サハ351は、他の車輌と同じく鋼製です。

昭和34年に誕生した300形。この撮影をしたときに既に20年を経過していましたが。塗装から古さは感じましたが、決して時代遅れなデザインではなかったと思います。この写真の時代は旧塗装でしたが、旧国鉄101系転入の際、普通用の500形とともに黄色に塗色変更されました。(500形は茶色のライン、300形はブルーのライン。)しかし、塗装変更後の写真は撮っていませんでした。

長きにわたり、秩父鉄道の看板急行列車として活躍してきた300形ですが、さすがに非冷房で有料急行列車としての看板は守りきれなかったのでしょうか、元国鉄165系改造の3000形に道を譲り、平成3年度をもって引退しています。
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