こんばんわ。
今日も引き続き、特急「ひばり」号の第3回目として、485系300番台非貫通型の写真をお届けいたします。
昨日の200番台貫通型と同様、仙台運転所及び青森運転所の双方に300番台の配置がありました。編成も全く同じなので、外観からは区別が付きません。また、調査はしておりませんが、晩年は秋田区に配置された1000番台も配置された可能性があります。私の目では、写真からは区別が付きませんので、その点はお含みおきください。
昭和56年1月5日 東北本線 白坂駅構内通過線にて
昭和56年1月5日 東北本線 豊原~白坂
東北本線の豊原~白坂間は、白坂寄りの半分の区間が上下線に分かれており、単線のような風景で撮影することができます。ただし、上下線がかなり離れておりますので、かけもちの撮影ができませんので、撮影回数(本数)は半減してしまいます。
また、白坂駅は、上下線の共に中線が島式ホームの停車線となっており、その外側に通過線があるという、東北本線の中では異端な構内配線になっています。構内の通過線に制限がかかりませんので、特急列車は猛スピードで走り抜けていきました。
昭和57年6月21日 東北本線 貝田~越河間にて
昭和57年6月21日 東北本線 貝田~越河間にて
特急「やまびこ」の最後の雄姿を撮りに行ったときの写真です。さすが当時14往復が運転されていた「ひばり」は、目的の「やまびこ」を待っている間に、次から次へとやって来てくれます。サロ・サシ連結の12両フル編成は、特急列車を語るにふさわしい、最後の雄姿となりました。
昭和60年1月5日 東北本線 古河~栗橋間にて 臨時「ひばり52号」
定期特急の「ひばり」は、東北新幹線の大宮暫定開業後においても、昭和57年11月の上越新幹線開業まで本数を削減しつつも走り続けました。同改正で「仙台特急」の役目を東北新幹線に譲って廃止となった「ひばり」ですが、大宮での新幹線乗換えの不便を考慮して、昭和60年の東北・上越新幹線上野開業まで臨時特急として走りました。
既に食堂車の姿はありません。が、編成を良く数えると12両編成になっていおり、6号車サロ(グリーン車)のとなりの7号車にサハ481を連結しているようです。
次回は、過去ログの再掲になりますが、583系の「ひばり」をお届けしたいと考えております。
今日も引き続き、特急「ひばり」号の第3回目として、485系300番台非貫通型の写真をお届けいたします。
昨日の200番台貫通型と同様、仙台運転所及び青森運転所の双方に300番台の配置がありました。編成も全く同じなので、外観からは区別が付きません。また、調査はしておりませんが、晩年は秋田区に配置された1000番台も配置された可能性があります。私の目では、写真からは区別が付きませんので、その点はお含みおきください。
昭和56年1月5日 東北本線 白坂駅構内通過線にて
昭和56年1月5日 東北本線 豊原~白坂
東北本線の豊原~白坂間は、白坂寄りの半分の区間が上下線に分かれており、単線のような風景で撮影することができます。ただし、上下線がかなり離れておりますので、かけもちの撮影ができませんので、撮影回数(本数)は半減してしまいます。
また、白坂駅は、上下線の共に中線が島式ホームの停車線となっており、その外側に通過線があるという、東北本線の中では異端な構内配線になっています。構内の通過線に制限がかかりませんので、特急列車は猛スピードで走り抜けていきました。
昭和57年6月21日 東北本線 貝田~越河間にて
昭和57年6月21日 東北本線 貝田~越河間にて
特急「やまびこ」の最後の雄姿を撮りに行ったときの写真です。さすが当時14往復が運転されていた「ひばり」は、目的の「やまびこ」を待っている間に、次から次へとやって来てくれます。サロ・サシ連結の12両フル編成は、特急列車を語るにふさわしい、最後の雄姿となりました。
昭和60年1月5日 東北本線 古河~栗橋間にて 臨時「ひばり52号」
定期特急の「ひばり」は、東北新幹線の大宮暫定開業後においても、昭和57年11月の上越新幹線開業まで本数を削減しつつも走り続けました。同改正で「仙台特急」の役目を東北新幹線に譲って廃止となった「ひばり」ですが、大宮での新幹線乗換えの不便を考慮して、昭和60年の東北・上越新幹線上野開業まで臨時特急として走りました。
既に食堂車の姿はありません。が、編成を良く数えると12両編成になっていおり、6号車サロ(グリーン車)のとなりの7号車にサハ481を連結しているようです。
次回は、過去ログの再掲になりますが、583系の「ひばり」をお届けしたいと考えております。