昨日は歓送迎会で帰りが遅くなりました。私はアルコールはやらないので酔っ払いはしませんが、とにかく眠い。
ここ2日、非常にアクセスが低調なのでネタ出しをどうしようか悩んだのですが、取り敢えず特急シリーズで行くとしましょ。
今日のネタは、常磐特急の「ひたち」。485系で国鉄オリジナル色時代のボンネット型だけを集めてみました。
昭和51年頃 上野駅にて クハ481「ひたち」ボンネット車の並び
上野駅で1日いるとこのような風景に短時間ですが出くわすことがあります。
「ひたち」と「ひばり」が共通運用のため、片方のヘッドマークを取り替えた瞬間に見られる風景です。実際には、「ひたち」同士の同方向への並びはありませんので、どちらかが「ひばり」だと思われます。
昭和54年頃 上野駅にて クロ481「ひたち」
「ひたち」には仙台運転所持ちのクロを含む9両編成の運用があり、「あいづ」と共通運用が行われていました。このうちの数往復がクロを含む編成でしたが、あまり撮影していなかったようです。
昭和57年10月12日 常磐線 荒川沖~土浦間にて
上越新幹線が間もなく開業となる頃で、「みちのく」が廃止されるために撮影に行ったときのものです。
この頃の「ひたち」は、上信越スジのイラストマーク化に遅れをとっており、まだ文字マークでした。私的にはこちらの方が好きなので、この時撮っておいて良かったと思います。まだ仙台運転所持ちの時代です。
昭和60年9月5日 常磐線 万博中央~荒川沖間にて
つくば万博関連でエキスポライナーなどの撮影に行ったときに撮った写真。
東北・上越新幹線の上野開業に伴うフリークエンシー整備により、九州から大量のボンネット車が異動してきました。
仙台運転所持ちの車両は、上野方先頭にクロ以外のボンネット車がありませんでしたが、九州からボンネット車が流れてきたことにより、グリーン車は中間へ連結、上野方にもクハのボンネット車が連結されるようになりました。
この頃は、既に勝田区に集約されるようになっています。
九州時代にヒゲを消されてしまったため、非常に違和感の顔をしており、私的には嫌いでした。また、転属当初は赤スカート車が運用されていた筈ですが、この写真を撮りに行ったときは既にクリーム化されてしまっていたようです。
この写真の頃には、全てイラストマークが導入されていました。
平成元年3月12日 常磐線 大甕~勝田間にて
九州からやってきたボンネット車が大勢を占めるようになり、「ひたち」の殆どの列車がボンネット車を連結した編成となります。転入車は全般検査に入るごとに塗装の標準化が進められ、赤スカート色の廃止はもちろん、ヒゲも全て復活しました。
平成元年5月5日 常磐線 荒川沖~土浦間にて
平成元年5月5日 常磐線 荒川沖~土浦間にて
スカートにタイフォンが付くタイプは全て九州から来た流れてきたもので、起源は481系のときの元赤スカート車が多いようです。中には開閉型のタイフォンを改造したような形態もあり、番号が判らないと解明できない部分があります。
時代背景的には、483系誕生時にスカートにタイフォンが付くタイプがありましたが、雪の付着が問題になり、比較的早い時期にヘッドマークしたに移設されました。
ですので、この形態でイラストマークというのは個人的にかなりの違和感を感じています。できれば文字マーク時代(仙台運転所持ちの時代)に転入してきて欲しかったですね。
このあと、常磐線用に「ひたちカラー」なるものが誕生し、485系の魅力を地に落としてしまいました。これには私も引いてしまい、1枚も写真を撮っておりません。
ここ2日、非常にアクセスが低調なのでネタ出しをどうしようか悩んだのですが、取り敢えず特急シリーズで行くとしましょ。
今日のネタは、常磐特急の「ひたち」。485系で国鉄オリジナル色時代のボンネット型だけを集めてみました。
昭和51年頃 上野駅にて クハ481「ひたち」ボンネット車の並び
上野駅で1日いるとこのような風景に短時間ですが出くわすことがあります。
「ひたち」と「ひばり」が共通運用のため、片方のヘッドマークを取り替えた瞬間に見られる風景です。実際には、「ひたち」同士の同方向への並びはありませんので、どちらかが「ひばり」だと思われます。
昭和54年頃 上野駅にて クロ481「ひたち」
「ひたち」には仙台運転所持ちのクロを含む9両編成の運用があり、「あいづ」と共通運用が行われていました。このうちの数往復がクロを含む編成でしたが、あまり撮影していなかったようです。
昭和57年10月12日 常磐線 荒川沖~土浦間にて
上越新幹線が間もなく開業となる頃で、「みちのく」が廃止されるために撮影に行ったときのものです。
この頃の「ひたち」は、上信越スジのイラストマーク化に遅れをとっており、まだ文字マークでした。私的にはこちらの方が好きなので、この時撮っておいて良かったと思います。まだ仙台運転所持ちの時代です。
昭和60年9月5日 常磐線 万博中央~荒川沖間にて
つくば万博関連でエキスポライナーなどの撮影に行ったときに撮った写真。
東北・上越新幹線の上野開業に伴うフリークエンシー整備により、九州から大量のボンネット車が異動してきました。
仙台運転所持ちの車両は、上野方先頭にクロ以外のボンネット車がありませんでしたが、九州からボンネット車が流れてきたことにより、グリーン車は中間へ連結、上野方にもクハのボンネット車が連結されるようになりました。
この頃は、既に勝田区に集約されるようになっています。
九州時代にヒゲを消されてしまったため、非常に違和感の顔をしており、私的には嫌いでした。また、転属当初は赤スカート車が運用されていた筈ですが、この写真を撮りに行ったときは既にクリーム化されてしまっていたようです。
この写真の頃には、全てイラストマークが導入されていました。
平成元年3月12日 常磐線 大甕~勝田間にて
九州からやってきたボンネット車が大勢を占めるようになり、「ひたち」の殆どの列車がボンネット車を連結した編成となります。転入車は全般検査に入るごとに塗装の標準化が進められ、赤スカート色の廃止はもちろん、ヒゲも全て復活しました。
平成元年5月5日 常磐線 荒川沖~土浦間にて
平成元年5月5日 常磐線 荒川沖~土浦間にて
スカートにタイフォンが付くタイプは全て九州から来た流れてきたもので、起源は481系のときの元赤スカート車が多いようです。中には開閉型のタイフォンを改造したような形態もあり、番号が判らないと解明できない部分があります。
時代背景的には、483系誕生時にスカートにタイフォンが付くタイプがありましたが、雪の付着が問題になり、比較的早い時期にヘッドマークしたに移設されました。
ですので、この形態でイラストマークというのは個人的にかなりの違和感を感じています。できれば文字マーク時代(仙台運転所持ちの時代)に転入してきて欲しかったですね。
このあと、常磐線用に「ひたちカラー」なるものが誕生し、485系の魅力を地に落としてしまいました。これには私も引いてしまい、1枚も写真を撮っておりません。