マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

EF81:寝台特急「出羽」

2007-07-26 02:40:11 | ブルートレイン:機関車・客車
今日は、EF81牽引の24系寝台特急「出羽」をお届けいたします。
といっても1枚しか撮っていないのですが・・・。

元は、上野から東北・奥羽・陸羽西線を経由して酒田へ行くキハ58系使用の夜行急行列車でした。
昭和57年11月ダイヤ改正により急行「出羽」は廃止され、代わって上越・羽越線経由の急行「鳥海」を格上する形で上野~秋田間の寝台特急として生まれ変わりました。
寝台特急「北陸」と並び、EF641000番台の牽くブルトレとして注目を集めました。
そして、交流区間はEF81が牽引にあたっていました。

写真は、羽越本線、交流区間における「出羽」です。


昭和61年9月8日 羽越本線 下浜~道川間にて EF8170の牽引する特急「出羽」

初めて自分で長距離運転で撮影に行ったときの写真です。
当時、羽越・奥羽本線は、この「出羽」を含め、「日本海」×2往復、「あけぼの」、そして、ボンネット車が復活した「白鳥」と、撮影の対象となる特急列車がバラエティーでした。客車列車が50系化されてしまったのは残念でしたが、それでもネタは豊富だったと思います。もちろん、都心では撮影の難しいこの「出羽」は、是非とも撮っておきたい1枚でした。

その後、変わらぬ運転形態で運行されていましたが、平成5年12月、後に誕生した寝台特急「鳥海」と統合される形で姿を消してしまいました。

地元沿線は昭和57年頃から金網が張られてしまい、つい数年前まで近所で撮影することは無かったのですが、翌々試してみれば何とか写真を撮ることもできたので、EF641000番台が牽引している「出羽」の写真を撮っておけば良かったと、いつもながら後悔することしきりです。

コメント (2)
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リンクの貼付けと記事の補足について

2007-07-25 23:05:52 | 写真無しの情報など
リンクの貼付けについて

本日より、「おんな親子鉄発車!」のリンクを貼らしていただくことに勝手にさせていただきました。皆さんも是非ご覧くださいませ。


記事の訂正について

今朝ほどアップいたしましたローカルシリーズ「札沼線」で、撮影ポイントを「釜谷臼~石狩太美間」とご案内いたしましたが、なんとなく気になって確認したところ、「釜谷臼」駅が無くなっているではありませんか!
慌ててネットで調べたところ平成7年3月16日に「あいの里公園」に駅名が変わってしまっていました。そう言えば聞いたことある駅名なのですが、新駅ではなくて名称変更だったのですね。
駅名は違っていますが、ポイント自体は変わりませんので、当時のままの表示ということでそのままにさせていただきます。
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ローカルな風景 第23回 (札沼線:キハ27等)

2007-07-25 06:05:00 | ローカルな風景
おはようございます。
昨夜は更新の準備をせずに寝てしまいましたので、早朝からのアップになりました。
楽しみにされていた方、申し訳ございません。

今日は、久しぶりのローカルシリーズで、北海道の「札沼線」をご紹介したいと思います。

札沼線は、札幌から函館本線の滝川に程近い新十津川を結ぶ路線です。正式には、函館本線の分岐点である「桑園」が始点になり、その昔、留萌本線の「石狩沼田」に接していましたが、新十津川~石狩沼田間は廃止となり、バスに切替えとなりました。「札沼線」の名前も「札幌」「沼田」の頭文字に由来するものです。

北海道には何回も行っておりますので、札沼線自体は札幌駅で何度も見たことはあるのですが、撮影には行ったことがありませんでした。そんな中、函館本線に「C623」が復活し撮影に行った際、運転の合間を縫って1回だけ訪れました。






3点とも 平成2年9月6日 札沼線 釜谷臼~石狩太美間にて 石狩川の橋梁を渡る札沼線
※ 3枚目の写真は、列車が画像からとんでしまったため、濃さを加工しています。

郊外に大学ができるなどして、超ローカル線だった札沼線も、近郊線区としてかなり発展いたしました。途中からは相変わらず昔のままのようですが、札幌口から見てみると、初めて訪れた昭和55年頃とは駅設備も車両も列車編成も比べ物にならないほど変わっていますね。
平成2年当時は、北海道カラーの車両は未だ札沼線には進出していなかったようで、タラコのキハ40と、数はかなり減ってきてはいましたがキハ27・56が活躍していました。

現在ではタラコ色でさえ見ることのできなくなってしまった北海道の気動車ですが、古い写真をほじくり出して見ては、古きよき時代に想いを馳せるのでした。

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113系:総武快速・「アポロ」号

2007-07-24 20:45:28 | その他電車
こんばんわ。
昨日の113系総武快速に続きまして、今日も若干ですが113系の話題です。

今日ごらんいただく写真も、横須賀線とのスルー運転前のものになります。


昭和55年頃 総武本線 錦糸町駅にて 113系 総武快速電車

昨日の写真では編成のお話はしておりませんでしたが、総武線快速は基本9両+付属4両の13両編成で運転されておりました。ちょうど、横須賀線の15両フル編成からグリーン車2両を除いた編成と言って良いでしょう。
東京駅乗り入れの車両は、全てA-A基準(難燃化)施行車で、1000番台を名乗っていました。また、総武快速線の錦糸町~東京(後に品川)間はATC設置区間ですので、地下乗入れ車はATC機器を運転席に搭載した関係で、タイホンが車体下部に移設されているのが特徴です。このことについては、鉄道ファンの方ならほとんどの方がご存知でしょう。
113系13両編成という、首都圏では珍しかった総武快速電車の編成が良く分かる写真です。

次は、ちょっと珍しい写真かもしれません。
昭和53年に船の科学館で「宇宙博」というのが開催されました。私は特に興味を持っていたわけではないのですが、大層好評だったらしく、翌昭和54年にも開催されたようです。
この時、「アポロ」のヘッドマークを取り付けて運転された、品川発の総武快速電車がありました。


昭和54年 総武快速区間 品川駅にて ヘッドマークを付けた113系「アポロ号」

こちらは、クハ111-1053を先頭(尾灯が点いていますが、折り返しが「アポロ号」となります。)とする、窓全開の冷房準備車で組成された編成です。

正直なところ、この写真が昭和53年のものなのか、昭和54年のものなのか、はっきりしない部分があります。これ以外にモノクロで撮った写真があるのですが、その写真は自分でフィルム現像をしているので、高校生になってからということで昭和54年で間違いないのですが。リバーサルは中学2年くらいから使っていたので、このダイレクトプリントの写真が同じ昭和54年のものなのかどうか。
実は、この写真を以前からアップしようと、色々インターネットや時刻表で情報を集めようとしたのですが、インターネットではこの列車の運転について全くHITしませんでした。また、昭和53年、昭和54年の当時の時刻表も見てみたのですが、定期列車にヘッドマークを付けただけの設定らしく、臨時列車も該当なし、休日に名称が付く快速もなしと、全く手掛かりがありません。(品川発は確か14:30くらいだったと思います。)
事実として、「間違いなく昭和54年には走っていた」としか言えない、ベールに包まれた列車であります。

アップしておいて何なのですが、もし、この「アポロ号」の詳細をご存知の方は、是非お教えいただきたいと存じます。気長にお待ちしておりますので、よろしくお願いいたします。
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113系:「青い海」「白い砂」

2007-07-23 20:25:00 | その他電車
いよいよ世間一般的には夏休みになりましたね。
私はカレンダーどおりの仕事ですので、これといった夏休みとなる日がないため、適当に9月いっぱいまでどこかで休むという、ある意味「活力を養う」とか「仕事の区切り」というような意義のあるものではないのが不満ではあります。それでも、今日から電車が少し空くかと思うと、ホンの少しでも気持ちが楽になります。

その昔、関東で海水浴といえば房総、房総といえば海水浴臨と考えられていた時代もありまして、房総各線ではおおよそ7月20日から8月末頃まで「夏ダイヤ」というのが実施されていました。特急列車が高価だった時代、急行だけではなく、臨時の快速列車が多数運転されていたのも房総各線の特徴と言えましょう。
今日は、その中でもヘッドマーク付きで運転され必ず注目を浴びていた、快速「青い海」と「白い砂」の写真をご覧いただきたいと思います。





いずれも昭和54年8月 総武線快速区間 品川駅にて

「青い海」「白い砂」は、いずれも東京地下駅発の館山・千倉・安房鴨川行きとして運転されていましたが、横須賀線との乗り入れ運転の進捗に伴い、一時期において地下線区間のまま品川駅まで開業していたことがあります。
この写真は、横須賀線が未だ東海道本線と同じ線を走っており、総武快速線は品川駅折り返し運転を行っていた頃のものになります。
この翌年には、横須賀線の品鶴線(東海道貨物線)への切替え工事が完了し、併せて総武快速線とのスルー運転が実施されるようになりました。

現在では、海水浴といえども自動車の利用が一般的になってしまい、特別な海水浴臨を運転するまでも無く、快速や特急をそのまま増発すれば良しという感じで、これら恒例であった夏の臨時快速も運転されることはなくなってしまいました。
コメント (9)
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