マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

EF62牽引:急行「越前」「妙高」

2007-07-22 01:52:35 | 国鉄・JR機関車(直流型)
こんばんわ。

今日はPC急行列車シリーズです。
横軽経由の列車に活躍していたEF62ですが、彼らの最大の名誉であった夜行急行列車にスポットを当ててみました。


昭和53年3月21日 信越本線 横川駅にて EF621牽引の急行「妙高」

当時、上野~直江津を横軽経由で結ぶ急行は「妙高」を名乗りました。設定はほとんど昼間で169系を使用していましたが、上り下りの最終は旧型客車を使用した夜行列車でした。(他に、169系使用の季節列車で夜行列車が存在していました。)編成は、郵便車、荷物車、A寝台、B寝台、普通車自由席で、グリーン車と普通車指定席は連結されていません。横軽を通過するので、牽引機はもちろんEF62です。

写真は、中学2年の終わり頃、鉄仲間と何故か長野方面へ行くことになり、現地活動時間の節約できる夜行「妙高」に乗りました。上野発が23:58で、定期列車としては高崎線の最終列車でもありました。
この「妙高」に乗ったとき、出発直前になって震度4程度の地震が発生し、安全確認が取れるまで抑止がかかり、日付が変わって0:20過ぎくらいに上野を出発したことを覚えています。
そして、この日の牽引は幸運にもEF62のトップナンバー車でした。この夜行「妙高」は、上野発が深夜、上野着が早朝4:47でしたので、関東圏で走行写真を撮ることはできません。まして当時、京浜東北の初電よりも早く上野に到着してしまうので、中学生には非常に厳しい列車でした。ということで、初めて乗った記念に撮った写真がコレです。
夜間ですのでストロボを焚いてしまっていますが、当時は「交通機関に対してストロボを焚くなんてナンセンス」という風潮が未だ確立していなかった頃ですので、高校1年生くらいまでは使ってしまいました。(もちろん、走行中の列車には焚きませんよ。性能的に無駄でもありましたし。)


続いて、同じく信越夜行急行「越前」です。


昭和55年10月頃 東北本線 蕨~西川口間にて EF6213牽引の急行「越前」

「越前」は、上野から信越本線経由で福井まで運転された、北陸急行の中では1番距離の長い夜行急行でした。編成は、荷物車、A寝台、B寝台、グリーン車、普通車自由席で、普通車指定席は連結されていません。こちらも途中直江津まではEF62が牽引しています。
「越前」は夜行列車でありましたが、上野着が7:05と比較的ゆっくり到着するため、冬期においても上野口での撮影が可能な列車でした。特徴としては、私の知る限り近代化更新後の旧型客車で統一されており、荷物車もパレット積み対応のマニ37(青)で、EF62の前面警戒色以外すべて青で統一されていたイメージがあります。


急行「妙高」は、特急「あさま」の増発により夜行列車のみとなり、夜行急行としては比較的遅くまで運転されていましたが、客車から電車化(189系)を経て平成5年に廃止、愛称が消滅しています。
また、急行「越前」は、上越新幹線の開業と同時に運転区間が金沢打ち切りとなり、上越区間で廃止となった「能登」にその名前を譲って消滅しました。
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481系 赤スカート車 「にちりん」

2007-07-21 12:15:40 | 特急型電車(交直流・交流)
こんにちわ。

今日は、クハ481の初期赤スカート車「にちりん」の写真をお届けいたします。
本来ですと、この赤スカート車は「憧れシリーズ」に入る車輌なのですが、「ヒゲ」が無いだけで私の心証を悪くしているので、このカテゴリでのご紹介となります。

山陽新幹線の博多開業後、それまで「つばめ」や「はと」「しおじ」などで活躍していた481・485系特急車は、九州内アクセス特急の増発用として九州に転配されました。特に、九州へは初期型ボンネット車を中心に送られたようです。

中学生の卒業旅行で九州へ行くことになり、雑誌でしか見たことの無かった九州特急と初めて逢うことができました。中でも、昭和48年頃に撮影した「はくたか」以来の赤スカート車に胸を躍らせたものです。それでもまだ当時は特急列車の本数が今ほど多くありませんので、なかなかお目に掛かることができませんでした。

そして、九州へ上陸してから2日目、やっとご対面を果たしました。


昭和54年3月25日 日豊本線大分駅にて 481系赤スカ車「にちりん」


昭和54年3月25日 日豊本線 列車内から すれ違う481系赤スカ車「にちりん」

本当に久しぶりに逢ったのですが、なんか顔がおかしいんですよ。ヒゲが無いんですよ。
真剣にガックリきました。ヒゲが無いだけで顔の印象がこんなに変わってしまうなんて。
というわけで、憧れの赤スカ車は私の心の中からもいなくなってしまったのです。

そして、国鉄の分割民営化準備に入ってきた頃、広域転配によりこれら赤スカ車を含むボンネット車が、勝田電車区に大挙してやってくることになるのでした。
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D51498 in 陸羽東線

2007-07-20 01:18:48 | 蒸気機関車
こんばんわ。

今日は久しぶりにSLネタです。

平成2年にD51498が初めて陸羽東線に遠征したときの写真です。


平成2年10月14日 陸羽東線 川渡~池月間にて

これは試運転時の1コマです。
沿線に拡がる刈入れ後の田園風景。地方・地域によって稲の束ね方に特色があることに、この時初めて興味を持ちました。この地域では、1本の柱を立て、その柱を軸として四方八方に均等に引っ掛けるタイプです。東北本線の矢吹辺りで見たときは、3束の稲を三脚のようにずらして束ね、田んぼに立てていく方法でした。地元では(今は稲作をしている家はほとんどありません)、物干し台の様なものを作って、足を開いて並べて引っ掛けるタイプでした。もしかしたら、他の方法もあるかもしれません。
こだわりがあるわけではないし、安直な構図の写真ですが、この1ショットは自分なりに気に入ってます。


平成2年10月20日 陸羽東線 東大崎~西古川間にて

こちらは本運転時の写真です。
新庄方面から追いかけてきて既に夕暮れとなり、写真の撮影はまず不可能でした。しかし、この陸羽東線は山間地帯が多く足場が悪いため、満足の行く写真が撮れなかったので、夕日の写真でも無理やり撮ってやろうかなんて想いで撮ってみました。
まぁ、納得の行く写真ではありませんが、ネガの割には良く色が出たな、という感じです。狙っても、時間と天気、地形や気温と様々な条件に、たった1本のSLを当てるわけですから、なかなか難しいですよね。ちなみに、このテの創作写真で一度も成功した例はありませんね。


今年は、9月に再びD51498が陸羽東線を走るらしいですね。しかも旧客で。久しぶりにSLの写真も撮りたいのですが、1年のうちで一番仕事の忙しい頃なので、強行できそうもありません。
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常磐線荷物気動車(キニ55・56・58)

2007-07-19 00:40:22 | 気動車(急行・その他)
こんばんわ。

今日は、私のコレクションの中でも希少な存在となっている、荷物列車の気動車篇をお届けしたいと思います。

常磐線の交流区間へは過去に数回撮影に行っておりますが、つくば万博の前後くらいまでは気動車による荷物列車が走っていました。しかも、日中の比較的条件の良い時間帯に走っていたので、スジは知りませんでしたが捉えることができました。

まずは、取り敢えず写真をご覧ください。




昭和57年10月12日 常磐線 土浦~荒川沖間にて キニ563+キニ553

上の写真が進行方向先頭で、下の写真が後追いです。

1両目の車輌は「キニ563」で、元「キハ5514」からの改造車です。昭和49年12月17日に大宮工場で改造・竣工し、水戸機関区に配置されました。
種車の「キハ5514」はキハ55型の初期車で、妻面にRが付いた独特の形状をしており、改造後もRが付いたままの車体で特徴がありました。昭和61年12月18日付けで廃車となっています。

2両目の車輌は「キニ553」で、元はキハ10系の2エンジン車「キハ5110」からの改造車です。3は昭和40年9月2日に多度津工場で改造・竣工し、他の1・2・4とすべての車輌が竣工とともに水戸機関区に配置されました。キニ55の2と3が昭和58年6月17日に、1と4が昭和59年5月8日に廃車され、10系気動車として最後まで残った形式でもあります。



昭和60年8月25日 常磐線 神立~高浜間にて キニ56+キニ58

この写真は後追いです。
番号は未確認ですが、後尾車(右側)の「キニ56」は水戸機関区に1台のみの配置ですので、「キニ563」で間違いないでしょう。
先頭車(左側)は「キニ58」で、老朽化した前述「キニ55」の代替車として、2エンジングリーン車である「キロ58」からの改造で誕生しています。昭和53年7月から9月にかけて名古屋工場・幡生工場で3両が改造・竣工し、全車水戸機関区に配置になっています。荷物輸送の廃止により、昭和61~62年にかけて全車が廃車になっています。(「キニ581」は「碓氷峠鉄道文化むら」にて保存・展示。)

水戸機関区配置の荷物気動車は、全国に配置された改造荷物気動車に比べてバラエティーさには欠けますが、常磐線用に2エンジン車を配置していたのが特徴といえます。これは、平坦路線の常磐線ですが、電車のダイヤに影響させないための措置と聞いております。
交流又は交直両用の荷物電車が今もって製造・改造されたことが無かったのは、交流区間における普通列車が客車列車主体であり、特別に専用の荷物電車を用意する必要がなかったという時代背景でしょう。もし、現在も荷物輸送が活発に行われていれば、もしかしたら誕生していたかもしれません。

これら荷物気動車にも関心があったのですが、四国や中国地方に多く存在しており、なかなか逢いに行く機会がありませんでした。そして、荷物輸送そのものが廃止になってしまい、昭和62年の初め頃にはすべての荷物気動車は廃車となってしまいました。
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クモヤ90102+381系回送

2007-07-18 20:20:46 | 旧型国電
こんばんわ。

今日は、私にとっては珍しいネタなのですが、西日本系の事業用車をご覧いただきたいと思います。

飯田線の旧型国電の撮影を終え、浜松へ向かう前に豊橋駅でチョット駅撮りをしていたとき、思わぬ珍編成がやって参りました。
それがこの写真です。


昭和58年6月28日 東海道本線 豊橋駅にて クモヤ90+381系

私も比較的事業用車は好きなのですが、わざわざ事業用車の撮影だけのために地方へ出掛けることはありませんでした。それ以外にも目標としている列車たちもたくさんいましたので。しかし、偶然来たとなっては放っておくわけには行きませんので、短い編成に追いつくように、ホームを走って撮ってきました。

なんとも「珍」な編成です。381系は、その特殊な性能から他の系列と手をつないで走ることはありませんので、このような編成は工場の入出場ならではのシーンと言いえるでしょう。
また、このアコモ改造の「クモヤ90100番台」も初めて見ましたので、大変感激いたしました。

ちなみに、100番台の中でも、101番は旧車体のままのクモヤ90ですので、このアコモ改造のクモヤ90は102番以降となります。

偶然にしか頼らずに撮影している事業用車ですので、特に首都圏以外の車輌はほとんど写真を撮っていません。特に、このアコモ改造の「クモヤ90」は首都圏に全くおりませんでしたので、「クモヤ143」もどきの茶色塗装は非常に興味がありましたし、私にとっては貴重な1枚となりました。

ついでなので、同車の消息を調べましたところ、終始「神領電車区」から離れることなく、平成13年6月29日付けで廃車になったということです。
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