こんばんわ。
今日はPC急行列車シリーズです。
横軽経由の列車に活躍していたEF62ですが、彼らの最大の名誉であった夜行急行列車にスポットを当ててみました。
昭和53年3月21日 信越本線 横川駅にて EF621牽引の急行「妙高」
当時、上野~直江津を横軽経由で結ぶ急行は「妙高」を名乗りました。設定はほとんど昼間で169系を使用していましたが、上り下りの最終は旧型客車を使用した夜行列車でした。(他に、169系使用の季節列車で夜行列車が存在していました。)編成は、郵便車、荷物車、A寝台、B寝台、普通車自由席で、グリーン車と普通車指定席は連結されていません。横軽を通過するので、牽引機はもちろんEF62です。
写真は、中学2年の終わり頃、鉄仲間と何故か長野方面へ行くことになり、現地活動時間の節約できる夜行「妙高」に乗りました。上野発が23:58で、定期列車としては高崎線の最終列車でもありました。
この「妙高」に乗ったとき、出発直前になって震度4程度の地震が発生し、安全確認が取れるまで抑止がかかり、日付が変わって0:20過ぎくらいに上野を出発したことを覚えています。
そして、この日の牽引は幸運にもEF62のトップナンバー車でした。この夜行「妙高」は、上野発が深夜、上野着が早朝4:47でしたので、関東圏で走行写真を撮ることはできません。まして当時、京浜東北の初電よりも早く上野に到着してしまうので、中学生には非常に厳しい列車でした。ということで、初めて乗った記念に撮った写真がコレです。
夜間ですのでストロボを焚いてしまっていますが、当時は「交通機関に対してストロボを焚くなんてナンセンス」という風潮が未だ確立していなかった頃ですので、高校1年生くらいまでは使ってしまいました。(もちろん、走行中の列車には焚きませんよ。性能的に無駄でもありましたし。)
続いて、同じく信越夜行急行「越前」です。
昭和55年10月頃 東北本線 蕨~西川口間にて EF6213牽引の急行「越前」
「越前」は、上野から信越本線経由で福井まで運転された、北陸急行の中では1番距離の長い夜行急行でした。編成は、荷物車、A寝台、B寝台、グリーン車、普通車自由席で、普通車指定席は連結されていません。こちらも途中直江津まではEF62が牽引しています。
「越前」は夜行列車でありましたが、上野着が7:05と比較的ゆっくり到着するため、冬期においても上野口での撮影が可能な列車でした。特徴としては、私の知る限り近代化更新後の旧型客車で統一されており、荷物車もパレット積み対応のマニ37(青)で、EF62の前面警戒色以外すべて青で統一されていたイメージがあります。
急行「妙高」は、特急「あさま」の増発により夜行列車のみとなり、夜行急行としては比較的遅くまで運転されていましたが、客車から電車化(189系)を経て平成5年に廃止、愛称が消滅しています。
また、急行「越前」は、上越新幹線の開業と同時に運転区間が金沢打ち切りとなり、上越区間で廃止となった「能登」にその名前を譲って消滅しました。
今日はPC急行列車シリーズです。
横軽経由の列車に活躍していたEF62ですが、彼らの最大の名誉であった夜行急行列車にスポットを当ててみました。
昭和53年3月21日 信越本線 横川駅にて EF621牽引の急行「妙高」
当時、上野~直江津を横軽経由で結ぶ急行は「妙高」を名乗りました。設定はほとんど昼間で169系を使用していましたが、上り下りの最終は旧型客車を使用した夜行列車でした。(他に、169系使用の季節列車で夜行列車が存在していました。)編成は、郵便車、荷物車、A寝台、B寝台、普通車自由席で、グリーン車と普通車指定席は連結されていません。横軽を通過するので、牽引機はもちろんEF62です。
写真は、中学2年の終わり頃、鉄仲間と何故か長野方面へ行くことになり、現地活動時間の節約できる夜行「妙高」に乗りました。上野発が23:58で、定期列車としては高崎線の最終列車でもありました。
この「妙高」に乗ったとき、出発直前になって震度4程度の地震が発生し、安全確認が取れるまで抑止がかかり、日付が変わって0:20過ぎくらいに上野を出発したことを覚えています。
そして、この日の牽引は幸運にもEF62のトップナンバー車でした。この夜行「妙高」は、上野発が深夜、上野着が早朝4:47でしたので、関東圏で走行写真を撮ることはできません。まして当時、京浜東北の初電よりも早く上野に到着してしまうので、中学生には非常に厳しい列車でした。ということで、初めて乗った記念に撮った写真がコレです。
夜間ですのでストロボを焚いてしまっていますが、当時は「交通機関に対してストロボを焚くなんてナンセンス」という風潮が未だ確立していなかった頃ですので、高校1年生くらいまでは使ってしまいました。(もちろん、走行中の列車には焚きませんよ。性能的に無駄でもありましたし。)
続いて、同じく信越夜行急行「越前」です。
昭和55年10月頃 東北本線 蕨~西川口間にて EF6213牽引の急行「越前」
「越前」は、上野から信越本線経由で福井まで運転された、北陸急行の中では1番距離の長い夜行急行でした。編成は、荷物車、A寝台、B寝台、グリーン車、普通車自由席で、普通車指定席は連結されていません。こちらも途中直江津まではEF62が牽引しています。
「越前」は夜行列車でありましたが、上野着が7:05と比較的ゆっくり到着するため、冬期においても上野口での撮影が可能な列車でした。特徴としては、私の知る限り近代化更新後の旧型客車で統一されており、荷物車もパレット積み対応のマニ37(青)で、EF62の前面警戒色以外すべて青で統一されていたイメージがあります。
急行「妙高」は、特急「あさま」の増発により夜行列車のみとなり、夜行急行としては比較的遅くまで運転されていましたが、客車から電車化(189系)を経て平成5年に廃止、愛称が消滅しています。
また、急行「越前」は、上越新幹線の開業と同時に運転区間が金沢打ち切りとなり、上越区間で廃止となった「能登」にその名前を譲って消滅しました。