マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

常磐緩行線103系1000番台「代々木公園行き」

2007-07-17 20:45:18 | その他電車
こんばんわ。
昨日は朝から晩まで地震続きでした。近くではないので我が家にはあまり心配のない揺れでしたが、被災地の皆様には心からお見舞い申し上げます。

今日はあまり時間がありませんので、1枚ものですが常磐緩行線の103系をご覧いただこうと思います。

といいましても、ご覧いただくというほど良い写真ではありません。
昭和48年頃、武蔵野線が開業してまもなく、何故かよく乗りに行ったのですが、その時に開業間もない新松戸駅で見た風景です。


昭和48年頃 常磐線 新松戸駅にて 千代田線乗り入れ車 103系1000番台

行き先は、今では懐かしい「代々木公園」行きです。当時は未だ小田急線へはつながっていませんでしたので、代々木公園←→我孫子を往復しておりました。(もちろん、綾瀬や霞ヶ関など途中折返しもありました。)
103系よりは、むしろ6000系の斬新で非常に興味はありましたが、当時は写真が非常に高価だったので、ほとんど撮ることはできませんでした。列車本数もかなり少なかったように思います。

その後、103系1000番台を撮ろうと思えばいくらでも撮れた筈なのですが、とにかく通勤型には興味はありませんでしたし、増してや常磐線にはあまり良いイメージがなかったので、特急以外はほとんど撮ることはなく、気が付けば103系の快速すら撮ることなく引退してしまいました。

もう過去を取り戻すことはできませんので、これからはもう少ししっかり撮っておかなければなぁ~とこの歳になって反省することしきりです。
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EF58+マニ30

2007-07-16 20:48:10 | EF58のアルバム
こんばんわ。

今日はちょっと変わったところで、現金輸送車「マニ30」の写真をご紹介したいと思います。

「マニ30」は日本銀行所有の現金輸送車で、「マニ34」として6両が製造されました。「マニ34」は昭和23年製の旧型客車で車体も茶色塗装でしたが、外観は他の荷物車とは一線を画す様相をしていました。(後に「マニ30 2001~2006」に改番。)

この元「マニ34」の老朽代替車として誕生したのが「マニ30」の2007~2012で、昭和53年~54年にかけて製造されました。

私の所有している写真は、2007~2012の後期製造車で、「マニ50」に準じた車体構造のものです。


昭和56年1月頃 上野駅にて 東京機関区所属 EF5888の牽引する回送列車

東北新幹線の東京乗入れ工事が始まる以前、品川客車区から尾久客車区への回送は東京~上野間の回送線(現在の電留線)を使用していました。現在では、山手貨物線経由で東大宮操車場まで行き、折り返して尾久へ持ち込む経路となっていますね。(写真は、次位に「マニ30」、その後が旧シナ座のスロ81系お座敷編成で、暖房の関係からEF58の限定運用です。)
「マニ30」はその車輌の特殊性から、回送であっても一般旅客車には連結されることがありませんので、このように乗客を乗せていない回送列車や荷物列車へ併結するか、単独での回送となることがほとんどでした。(晩年は荷物列車が廃止されたため、高速コンテナ列車に併結されたそうですね。ちなみに、私は目撃したことはありません。)



昭和56年 東北本線 蕨~西川口間にて EF5859の牽引する「マニ30」

この列車は、どのような状況の下に運転されたのか、経緯はわかりません。高崎第二機関区所属のEF5859号機に「マニ30」と「スニ40」が連結された回送列車です。
客車列車の場合は全てに言えるのですが、単独で暖房設備を持たない旧型車や50系客車は、原則として電気暖房又は蒸気暖房装置を搭載した機関車が限定で運用されます。したがって、首都圏ではEF58、EF62、EF64、DD51又はDE10のSG搭載車といった機関車でないと、「マニ30」のような客車を牽引できないわけです。この点については、原則暖房を要しない夏季期間についても限定が指示されます。(一部イベント等の特例で、EF65PFが旧型客車を牽引した実績がありますが・・・。)


私が高校生時代、通学の途中で尾久客車区に停留する「マニ34」も目撃したことがあり、大変興味を持っていました。しかし、その後まもなく後期車に道を譲ってしまったらしく、自らの手で写真を撮ることはなく、消滅してしまいました。
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新たなリンク貼り付けのお知らせ!

2007-07-16 19:25:51 | ノンジャンル
このたび、noz様が運営しております「くろがねのみち」というホームページへのリンクを新たに追加いたしました。

同ホームページは、日本だけではなく、中国や台湾といった海外の蒸気機関車なども網羅しており、私のブログにはない国際的な視野で鉄道を捉えています。
一方、noz様の地元である「蕨(わらび)」の沿線で撮影された列車・車輌を昭和20年代頃から紹介しており、同じ地元の私としても非常に感銘を受けた次第です。

その中でこの私が、無謀にもこの「蕨を走った列車たち」に写真提供の協力をさせていただくことになり、今回その提供写真をアップしていただきました。

私のブログをご覧の皆様にも、過去資料として大変参考になる写真が満載となっておりますので、是非ご覧いただきますよう、よろしくお願いいたします。

← リンクは、左側下の方にある「くろがねのみち」をクリックして下さい。
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485系「はくたか」

2007-07-15 03:59:59 | 特急型電車(交直流・交流)
タイトルを見て、「はくたかは489系でしょ!」と思われた方も多いのではないでしょうか?このあたりは年代差が影響していると思います。

「はくたか」と言えば、上越新幹線の開業で廃止になるまで、金沢運転所の489系(「白山」と共通運用)というイメージがあると思いますが、昭和54年頃までは向日町運転所の481系又は485系が使用されていました。昭和40年代、新幹線博多開業以前は、「雷鳥」や「なは」「日向」「みどり」「しおじ」「しらさぎ」といった広範囲の仕業と共通運用でした。
その後、50・3改正で山陽特急が全廃となり、「しらさぎ」が金沢運転所に移管されるなどの大幅な改編が行われましたが、「雷鳥」の一部や「北越」との共通運用により、昭和54年頃に金沢運転所に移管となるまで、向日町運転所の運用が継続されていました。

今日ご紹介いたします写真は、向日町運転所の481系や485系を使用していた頃の「はくたか」の写真です。


昭和48年頃 西川口~蕨間にて 赤スカートのクハ481を連結した「はくたか」(再掲)

クハ481の赤スカート車は、60Hz車の象徴であり、西日本でしか見ることのできない憧れの車輌でしたが、唯一東日本で見ることができたのがこの「はくたか」でした。
私が安いカメラを買って、2本目のフィルムで初めてカラー写真を撮ったのがこの写真です。初めて見る赤スカート車には、それまで一番好きだった583系への想いを揺るがすほどのインパクトを与えられました。


昭和51年頃 上野駅にて 尾久客車区から回着した金沢行き「はくたか」

中学生になり、お小遣いである程度の範囲を電車で移動して写真を撮れるようになった頃。赤スカート車の写真を撮りたくて、上野駅へ行くと必ず「はくたか」をチェックしましたが、上の写真のとき以来、逢うことはありませんでした。おそらく、新幹線博多開業後に九州(南福岡電車区)に集中配置され、関西からも消えてしまっていたのでしょう。


昭和53年3月頃 東北本線 西川口~蕨間にて 金沢を目指して走る「はくたか」

489系への置換えが迫った頃ですが、そのときは知る由もありません。ご注目いただきたいのは、手前が最後部の上野よりクハ(1号車)ですので、489系ではないことがわかる写真です。

赤スカートの写真が撮りたくて、結構まめに「はくたか」をつけ回していたのですが、結局ダメでした。しかし数年後、九州から勝田区へこの赤スカート車たちがやってくるとは夢にも思いませんでした。

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急行「八甲田」(その2):ヒサシ付きEF58牽引

2007-07-14 20:34:38 | EF58のアルバム
こんばんわ。

前回アップいたしました「八甲田」で終わりと思っていたのですが、別ストックにしてあるEF58の写真群の中にまだ4枚も残っていました。しかも、EF58の終焉まで残ることなく廃車となってしまった「ヒサシ付き」が3枚もありましたので、今日追加でご覧いただきたいと思います。


昭和52年 東北本線 蕨~西川口間にて EF5858の牽引する旧客「八甲田」

時刻表で調べましたところ、50・3改正以前は上野~青森の全区間でB寝台車を連結していましたが、同改正で仙台~青森間の増結のみとなりました。どうも昔の写真を探しても、B寝台が連結されていた頃の「八甲田」は見当たらないようです。
ところで、この「EF5858」ですが、語呂が良いので好きでした。


昭和52年 東北本線 大宮駅にて EF58153牽引「八甲田」

上の写真と季節は違うかもしれませんが、同じ年代の写真です。したがって、編成内容やグリーン車に帯が付いている点も同様です。
こちらも58号機と同じヒサシ付きの153号機です。


昭和56年5月 東北本線 蕨~西川口間にて EF58152牽引 12系化後の「八甲田」

こちらは、12系化後の「八甲田」で、前回アップのときは気が付かなかったのですが、荷物車が「ワサフ8000」→「スニ40」に変わっています。また、鉄道郵便の廃止に伴い、オユ10も連結されていません。私の年代だと12系は「臨時列車」専用車のようなイメージがあるので、荷物車を連結していなかったら「八甲田」とは思えないでしょうね。


昭和56年 東北本線 南浦和~蕨間にて EF58119牽引「八甲田」

上の写真と同じ頃でしょうか。そろそろEF58に廃車の危機が迫ってきた頃です。
この翌年、57・11改正で119号機、152号機、153号機とも休車となり、そのまま廃車されています。
そして、EF58の運用はさらに減り続け、「八甲田」の牽引機もEF65PFにバトンタッチすることになりました。
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