マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

EF58103(宇都宮仕様に整形されたカマ)

2007-10-21 01:20:03 | EF58のアルバム
今日はゴハチシリーズです。

EF58は全国の直流区間に配置されていたため、気候や運行路線に合わせた様々な仕様があることはご紹介して参りましたが、車輌の広範囲な転属によりその姿を変えてしまった者たちも少なくありません。

今日ご紹介いたします103号機は、新製当初から米原→下関→米原→宇都宮と広い範囲で移動した車輌で、米原区の標準形態である「原形小窓・ワイパーカバー付き」から、宇都宮区の標準形態である「Hゴム・ワイパーカバー無し・デフロスタ取付け」といった変化を見せてくれた数少ない車輌でした。

では、その変化をご覧ください。


昭和52年8月 東北本線 蕨~西川口間にて 普通客レを牽引する103号機

この写真はピンボケで非常に分りづらいかもしれません。画像をダブルクリックして拡大していただくと「原形小窓・ワイパーカバー付き」でデフロスタが未だ装備されていないことが辛うじてお判りいただけるのではないかと思います。

この昭和52年の夏季輸送というのは、EF57が年度前半に休車・廃車となり、全国から早急に代替車を集めなければならないほど客車による臨時急行が運転されました。そんな状況でしたので、おそらくこの103号機も入場→整備など行っている時間もなく、転属してきたままの仕様で運用に入らざる得なかったのではないでしょうか。
ちなみに、次位に連結されているオハニ61かスハニ64と思われる客車は、当時首都圏では見ることができなかった車両で、何故この列車に連結されて上京したのか謎ですが、大変貴重な記録だと思います。



昭和60年3月 東北本線 北浦和~与野間にて 重連単機回送の次位に連結された103号機

この列車は、局報で当時では珍しく重連が組まれるということを嗅ぎ付け、単機回送ではあったがわざわざ撮影に出掛けて撮ったものです。
半逆光でスキャニング画像ではナンバーすら見えなくなっていますが、末期の頃の103号機です。
Hゴム化されデフロスタが装備されていることがお判りいただけると思います。これが宇都宮区の標準形態で、ある意味あまり面白みのない形態になってしまいました。
ちなみに、宇都宮区にやってきたときは、既にヨロイ戸化・パンタのPS15化は行われていた後のようでした。

この103号機は、宇都宮区の牙城を最後まで守った精鋭の1台でありました。
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京成電鉄(3100・3200・3300型:非冷房旧色時代)

2007-10-20 01:23:10 | 列車・車輌カタログ(私鉄)
今日は本当に久しぶりなのですが、私鉄篇をお送りしたいと思います。

今日は、若かりし頃に撮影に行った京成電鉄のむか~しの写真をお届けいたします。
私的にはあまり興味は無かった京成電鉄ですが、高校生になりたての頃、電鉄自体の塗装が変わるとのことで、そこそこ興味はあった「青電」を撮りに行ったとき、余り「青電」が来てくれなかったために、闇雲に撮った写真です。

研究の対象外でもあり、形式なども全く分らない世界なのですが、スライドで保存してあった中で何とか見れそうな写真だけ画像にしてみました。

撮影は、すべて昭和54年5月です。


3104 京成津田沼駅にて



3122 京成津田沼駅にて



3248 撮影地不詳



3344 撮影地不詳


これら4枚並べても、どこがどう違うのか全く区別が付きません。
当時の京成鋼体車は、確かすべて非冷房車でした。昔からあまり儲かっていない会社でしたから止むを得ないでしょうか?
この頃から「青電」が消滅し始め、これらの新型車もファイヤーレッドの暑苦しい色に塗り替えが出現しだしました。
Wikiなどでチョット写真を見てみたのですが、ヘッドライトやテールランプなども改造されたようで、今いる残党と比較しても同じ形式とは思えないほど顔が変わってしまっているようですね。

今回、いつもお邪魔しているlineさまより、ネガからの電子化する方法を教えていただきまして、思い切ってスライドからCD-ROMに落としてもらいました。金額はプリント代見合いの他にCD代が別途500円(100枚まで可)掛かってしまうのですが、プリントにしてスキャニングするより手間もかかりませんので、なかなか良い方法だなと思いました。またこの方法で色々過去ネタ探しをしてみたいと思います。line様、ありがとうございました。
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EF58172(3番目のお召指定機)

2007-10-19 06:40:09 | EF58のアルバム
昨夜も更新せずに寝てしまいました。早起きtimeにてお届けいたします。

今日は、宇都宮区の最終号機車でもあり、60号機・61号機に続いてゴハチ3番目のお召指定機の栄誉を掴んだ172号機をお届けしたいと思います。

172号機は、EF58の最終グループとして昭和33年3月28日に日車・富士重工製として落成しています。170番台の特徴は、側面中央3個の固定窓のうちセンターの1個だけがHゴムとなっており、170号機から最終175号機まで同じ仕様になっています。製造時期の差と思っていたのですが、実際には169号機以前のゴハチも昭和33年2月から4月に落成したものが多数ありますので、なぜ170番台だけがこのようなスタイルになったのか、良く分かりませんでした。
新製配置は沼津区で、米原区→宮原区と渡り歩き、宇都宮区で長きにわたり活躍、昭和57年にはEF58として3機目となるお召指定機に抜擢となり、当時は脚光を浴びました。

形態的には、関西にいた期間が長かったためか、ヨロイ戸化、Hゴム化など標準スタイルとなっており、パンタグラフはPS15と、側面中央窓のHゴム以外はあまり特徴が無いスタイルとなっています。



昭和59年4月 東北本線 与野駅にて 品川客車区81系お座敷列車を牽く172号機

EF58が最後まで活躍できた理由がこのシナ座。電気暖房が必要なこの車輌は、EF58の寿命を多少でも延ばす事に貢献した命の恩人でもあった。



昭和59年10月18日 宇都宮駅にて EF58172牽引の荷物列車

理由あってISO1600のフィルムを使ったため非常に荒い画像になってしまいました。
このときは、高崎二区のEF58は全廃となり、東北・上越の荷物列車はすべて宇都宮区持ちとなりました。

この頃は臨時列車を含めてEF58が活躍する機会が多々あり、臨時運用を念入り調べては突撃するという生活をしていたような気がします。
残念ながら、お召し装備をしたときの写真は撮っていませんでしたが、同区で最後まで在籍活躍した172号機を誇らしく思います。
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板谷峠の赤い機関車(その1)

2007-10-18 00:05:28 | 国鉄・JR機関車(交流・交直両用型)
こんばんわ。

交流機シリーズの準備が整いましたので、週1~2回織り交ぜながらアップしていきたいと思います。
今日は、奥羽本線板谷峠で活躍したEF71&ED78の第1回目をお送りしたいと思います。


昭和60年6月19日 撮影区間不詳 ED78+EF71重連+50系



昭和60年6月20日 大沢~板谷間にて ED78+EF71重連+貨物列車



昭和60年6月20日 大沢~板谷間にて ED78が牽くサロンエクスプレス東京



昭和60年6月20日 大沢~板谷間にて EF7115+50系


初めて訪れた板谷峠。2~3両の客車でも重連仕業があり、条件の厳しい勾配区間らしさを感じさせます。
もっと早く行っていれば、50系化されずに旧客が残っていたのですが、奥羽本線は東北本線に比べて50系化が早かったようです。残念・・・。

※写真ごとに特色があるわけではないので、特に解説は付けません。

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EF58146(宮原区の原形機:補機に助けられ・・・)

2007-10-17 00:50:52 | EF58のアルバム
今日はEF58に戻ってみたいと思います。

今日のネタは、宮原区に配置されていた146号機です。

138号機から151号機までは、昭和32~33年に掛けて148号機を除き宮原区に新製配置されました。
当初の形態はほぼ同じものであったと思われます。その後、所々の号機が宇都宮や竜華へと抜けて行き、連番の体制がくずれ、さらにその移動した先ではその地域にあった改造を受けてしまっています。
そして、宮原区に残ったカマたちは、ほとんどがHゴム改造を受けずに、比較的原形の美しい姿で最後まで残りました。

その生え抜き原形機の中でもこの146号機は、西日本地区に珍しく最後まで原形エアフィルタのまま活躍した名機と言えるでしょう。最終期に原形小窓、原形フィルタで残ったカマは他には存在しなかったようです。ちなみに、宮原区の生え抜きですので、寒地仕様はなく、パンタグラフはPS15を搭載していました。

では、そんな彼の活躍のシーンです。


昭和57年10月4日 山陽本線 瀬野~八本松間にて

荷物列車を牽引する146号機。この日は編成が長かったのか、EF61200番台の補機が連結されていました。瀬野八では何本かEF58牽引の荷物列車を撮影しましたが、どの列車も補機は連結されておらず、この写真が唯一キャッチしたものでした。Sカーブで、運良く補機を捉えることができました。



昭和57年10月6日 名古屋駅にて 休憩中の146号機

写真を整理していた初めて判ったのですが、上の写真を撮った翌々日、帰り道に行程の都合で名古屋に寄った時に撮った写真で、まさか同じ146号機とは思いませんでした。もちろん、この頃EF58に関する知識などそれほどありませんので、ただ撮っただけなんですが。
上の写真が正面になってしまい、原形フィルタであることの判別がつきませんが、偶然にも撮った2枚目の写真のお陰で、その美しいサイドの姿を捉えることができました。

最後まで残り、その時代に「最も美しい」と評判だったカマが、今手元の写真として残っていたことを嬉しく思います。
ちなみに、昭和58年10月現在ではまだ宮原区に在籍していますが、末期(昭和59年)には下関区へ転属したようです。

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