雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

姨母を棄てる ・ 今昔物語 ( 30 - 9 )

2022-02-18 08:16:42 | 今昔物語拾い読み ・ その8

       『 姨母を棄てる ・ 今昔物語 ( 30 - 9 ) 』


今は昔、
信濃の国の更科という所に住んでいる者がいた。
年老いた姨母(オバ・伯母または叔母)を家に置いて、実の親のように世話をして、長年一緒に暮らしていたが、その妻は、心の中ではこの姨母をひどく嫌っていて、これがまるで姑(シュウトメ)のような顔をして老い屈(カガ)まっているのをたいそう憎々しく思い、常に夫にこの姨母の心はゆがんでいて意地悪だと言い続けていたので、夫は、「わずらわしいことだな」と言っているうちに、この姨母を心ならずも粗略な扱いが多くなり、姨母はますます老いぼれて、腰が二重に折れ曲がった姿になっていった。

妻はますますこの姨母をうっとうしく思い、「いつになれば、この老いぼれは死ぬのか」と思って、夫に「この姨母の根性は何とも憎らしい。どこかの深い山に連れて行って棄ててきて下さいな」と言ったが、夫はさすがにかわいそうで棄てることが出来ないでいると、妻はさらに強く夫を責めるので、夫は仕方なく、とうとう棄てる気になった。
八月十五夜の月がたいそう明るい夜、姨母に「さあ参りましょう、姨母さま。お寺でたいそう有り難い法会があります。お見せしましょう」というと、姨母は、「それは有り難い、参りましょう」と答えたので、夫は姨母を背負った。
高い山の麓に住んでいたので、その山の遙かに高い峰まで登っていき、姨母が一人ではとても下ることが出来ないあたりまできて背から降ろし、男はそのまま逃げ帰った。

姨母は、「おおい、おおい」と叫んだが、夫は返事もしないで家に逃げ帰った。
そして、家に帰ってから「妻に責められて、このように姨母を山に棄ててきたけれど、長年、実の親のように世話をし一緒に暮らしてきたのに、これを棄ててくるとは何とも悲しいことだ」と思い続けているうちに、その山の上から月が明々と差し昇ってきたので、それを見て、一晩寝ることが出来ず、姨母が恋しくそして悲しく思われて、独り言にこのように詠んだ。
『 わがこころ なぐさめかねて さらしなや をばすてやまに てるつきをみて 』
( 私の心を 慰めることが出来ない 姨母を棄ててきた さらしなやまに 照る月を見ても )
と。
それから、またその山の峰に行き、姨母を家に連れて帰った。そして、以前と同じように世話をした。

されば、新しく嫁いできた妻の言いなりになって、つまらぬ心を起こしてはならないのである。今でも、同じようなことがあるのだろう。
さて、それ以後、その山を姨母棄山(オバステヤマ)というようになった。「慰めがたい」という喩えに「姥捨山」というのは、この古事に基づくのである。この山は、以前は冠山(カンムリヤマ)と言っていた。冠の巾子(コジ・冠の上に高く出たところ)に似ていたからである、
とぞ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆


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2 コメント

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Unknown (yo-サン)
2022-01-31 19:10:54
更級や姨捨山の月ぞこれ

確か虚子の句だたと。

昔観た映画、深沢一郎原作の映画「楢山節考」を思い出しました。

このお話、心打ちますが何度読んでも一抹の哀愁が漂いますね。

ときには古典の世界にも。いいですねっ。今宵これにて。
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コメントありがとうございました (雅工房)
2022-02-01 08:42:12
yo-サンさま
今昔物語の中の『物語』の中には、実にすばらしいものがあります。単に現代訳ではなく、自分の文章で、それも真髄を訴えることが出来るようなものを書いてみたい、と思うことがあります。すでに文豪といわれる人たちが取り組んでいることではありますが。
今後ともよろしくお願いいたします。
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