歌が夫を呼び戻す ・ 今昔物語 ( 30 - 10 )

　　　　　　　　『　歌が夫を呼び戻す　・　今昔物語 ( 30 - 10 )　』


今は昔、
下野の国［　欠字　］の郡に住んでいる人がいた。
長年、夫婦仲良く暮らしていたが、どういう事情があったのか、夫はその妻のもとを去って、別の妻をもうけたので、夫はすっかり心変わりして、その本の妻の家にあった道具類などを、何一つ残さず新しい妻のもとに運び出そうとするのを、本の妻は「何と情けないことだ」と思ったが、ただ男のするに任せて見ていると、塵ほどの物も残さず、全部持ち出してしまった。
僅かに残った物といえば、馬船（馬の飼い葉桶）一つだけであった。

ところが、この夫の従者で、馬飼として仕えている童がいた。名を真梶丸というが、夫はその童を使いとして、その馬船を取りに来させたので、本の妻はその童を見て、「もう二度とここには来ないのね」と言うと、童は、「どうして参らないことがありましょう。浅はかなことを言わないで下さい」と言って、馬船を持って行こうとするので、本の妻は、「お前の主人に申したいことがあるが、伝えてくれるかい」と言うと、童は、「確かにお引き受けいたします」と言ったので、本の妻は、「手紙を差し上げても、きっとみて下さるまい。ですから、言葉で伝えて下さい」と言って、
『　ふねもこじ　真梶もこじな　けふよりは　うき世のなかを　いかでわたらむ　』
（　馬船も帰って来るまい　真梶丸も二度と来るまい　船も梶も失った私は　今日から　このうき世の中を　どう渡っていけばいいのでしょうか　）
という歌を詠んだ。

童はこれを聞いて帰っていき、主人に「このように仰せられました｣と伝えると、男はこれを聞いて、「哀れなことだ」と心を動かされたのであろうか、運んできた道具類などを、みな運び返し、本の妻のもとに帰って行き、もとのように他の女に目を移すことなく、睦まじく暮らすようになった。
されば、情緒を感ずる心のある者は、こういう事もあるのだ、
となむ語り伝へたるとや。　

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