子供が手招きする ・ 今昔物語 ( 27 - 3 )
今は昔、
桃園というのはいまの世尊寺のことである。まだ寺になる前は、西の宮の左大臣(源高明。醍醐天皇の第十皇子。)が住んでおられた。
その頃の事であるが、寝殿の辰巳(タツミ・東南)の母屋(モヤ・寝殿の中央部分で、庇の内側にある部屋。)の柱の木に節穴が開いていた。夜になると、その木の節穴から小さな子供の手が出てきて、人を手招きした。
大臣(オトド)はこれをお聞きになって、たいへん不思議な事と怪しみ驚かれて、その穴の上に経文を結び付け奉ったが、やはり手招きをする。仏の絵像を掛け奉ったが、手招きすることは止まなかった。
このようにいろいろ試してみたが、どうしても止まず、二夜、三夜を隔てて、真夜中の人が寝入った頃になると、必ず手招きするのである。
そうした時、ある人がもう一度試してみようと、征矢(ソヤ・戦陣で用いる矢。)を一本その穴に差し込んでみたところ、その征矢がある間は手招きすることがなかったので、その後は、矢柄は抜き取って、征矢の身(やじり)だけを穴に深く打ち込んでみると、それから後は、手招きすることはなくなった。
これを思うに、何とも訳の分からないことである。きっと、物の霊などの為せることであろう。
それにしても、征矢の霊験が仏像や経文に勝っていて、これを恐れるとはどういうことなのか。
されば、当時の人はこれを聞いて、どうも怪しいと疑った、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
今は昔、
桃園というのはいまの世尊寺のことである。まだ寺になる前は、西の宮の左大臣(源高明。醍醐天皇の第十皇子。)が住んでおられた。
その頃の事であるが、寝殿の辰巳(タツミ・東南)の母屋(モヤ・寝殿の中央部分で、庇の内側にある部屋。)の柱の木に節穴が開いていた。夜になると、その木の節穴から小さな子供の手が出てきて、人を手招きした。
大臣(オトド)はこれをお聞きになって、たいへん不思議な事と怪しみ驚かれて、その穴の上に経文を結び付け奉ったが、やはり手招きをする。仏の絵像を掛け奉ったが、手招きすることは止まなかった。
このようにいろいろ試してみたが、どうしても止まず、二夜、三夜を隔てて、真夜中の人が寝入った頃になると、必ず手招きするのである。
そうした時、ある人がもう一度試してみようと、征矢(ソヤ・戦陣で用いる矢。)を一本その穴に差し込んでみたところ、その征矢がある間は手招きすることがなかったので、その後は、矢柄は抜き取って、征矢の身(やじり)だけを穴に深く打ち込んでみると、それから後は、手招きすることはなくなった。
これを思うに、何とも訳の分からないことである。きっと、物の霊などの為せることであろう。
それにしても、征矢の霊験が仏像や経文に勝っていて、これを恐れるとはどういうことなのか。
されば、当時の人はこれを聞いて、どうも怪しいと疑った、
となむ語り伝へたるとや。
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