雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

取りどころなきもの

2014-10-03 11:00:54 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百三十四段  取りどころなきもの

取りどころなきもの。
容貌憎さげに、心悪しき人。
御衣糄𥻨(ミゾヒメ・粥を水に浸して洗濯糊にしたもの)の、ふりたる。
これ、「いみじう万づの人の憎むなるもの」とて、いまとどむべきにあらず。また、「後火の火箸」といふ言、などてか、世になきことならねど、この草子を、「人の見るべきもの」と、思はざりしかば、「あやしきことも、憎きことも、ただ思ふことを書かむ」と思ひしなり。


何の取り柄もないもの。
容貌が憎らしく見えて、しかも性格の悪い人。
ミゾヒメの腐ったもの。
これ(ミゾヒメのこと)は、「万人が憎らしがるものだ」からといって、今さらやめるわけにはいきません。また、「後火の火箸」という言葉なども、これも世間でいわないことではありませんが、この草子を、「人の目にふれようなどと」思いもしませんでしたから、「下品なこと、不快なこと、ただ思いついたことを書こう」と思って書いたのです。



「ミゾヒメの、ふりたる」の部分は、「ぬりたる」となっているものが多いようですが、「洗濯糊として用いているものを塗ったものが取り柄がない」では意味が通じませんので、「ふりたる」としました。
「後火の火箸」とあるのは、「葬式の棺を送りだした後、門前で炊く火に用いる竹箸」らしく、使い物にならない物の例えにされていたらしい。

それにしても、「取りどころなきもの」などは、少納言さまの最も得意なテーマだと思うのですが、人々には相当嫌がられそうなものを二つだけ挙げて、この草子の内容に対する言い訳につなげているのは、どうも少納言さまらしくないような気がしてならないのですが・・・。
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なほめでたきこと

2014-10-02 11:00:32 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百三十五段  なほめでたきこと

なほめでたきこと、臨時の祭ばかりのことにかあらむ。試楽も、いとをかし。

春は、空の気色のどかに、うらうらとあるに、清涼殿の御前に、掃部寮の、畳を舗きて、使は北向きに、舞人は御前の方に向きて、これらは、ひがおぼえにもあらむ、所の衆どもの、衝重取りて、前どもに据ゑわたしたる。陪従も、その庭ばかりは、御前にて出で入るぞかし。
     (以下割愛)


やはり素晴らしいことといえば、臨時の祭り(三月の石清水臨時祭と十一月の賀茂臨時祭が有名)といったところでしょうね。試楽(シガク・祭りの前に清涼殿で行われる予行演習)も、たいそう素晴らしいものです。

春は、空の様子ものどかで、うららかな時に、清涼殿の御前に掃部寮(カモンヅカサ・宮中の施設や清掃などを担当)の官人が、畳を敷いて、臨時祭の勅使は北向きに、舞人は天皇の御前の方を向いて着座し、これらのことは私に記憶違いがあるかもしれませんが(実際に方角が違っている)、蔵人所の衆たち(雑用を務める六位の官人)が衝重(ツイガサネ・食器をのせる台)を取って、それぞれの座の前にずらりと並べているのがすばらしい。陪従(ベイジュウ・舞人につき従う楽人。地下人で通常は天皇の御前には出られない)も、その庭での儀式の時だけは、天皇の御前で進退出来ることになっているのですよ。

公卿や殿上人は、かわるがわる盃を取って、終わりには、屋久貝(貝製の盃か)というもので飲み、座を立つとすぐに、取り喰み(トリバミ・後片付けの下人のことで、残り物を手当たりしだいに取って食べた)という者が出てくるが、男がしても不様なのに、この御前の庭では、女までが出てきて残り物を取るのです。
「人がいる」などと思いもしなかった火炬屋(ヒタキヤ・衛士が警護のために火を焚く小屋)から急に出てきて、「多く手に入れよう」と慌てる者は、かえって取り落としたりしてまごついている間に、気楽にさっと持って行ってしまう者にしてやられたりしましてね。うまいしまい場所として火炬屋を利用して、どんどん取り込んでいるのが、とても可笑しい。


「掃部寮の者ども、畳を片づけるのが遅い」と待ち切れぬとばかりに、主殿(トノモリ・清掃、灯火、薪炭などを担当する女官の役所)の官人、手に手に箒を持って、庭の砂をならす。
承香殿の前の所で、陪従が笛を吹きたて、演奏するのを聞いて、「早く出て来ないかな」と待っていると、「うど浜(東遊(アヅマアソビ・歌舞の名前)の中の駿河舞の一節)」を謡って、舞台をかこっている低い竹垣のもとに歩いてきて、御琴(ミコト・神楽、東遊の時、和琴のことを御琴と呼ぶ)を掻き弾いている時は、それはもう、「どうすればいいのか」と思うほど、感動いたしました。

一の舞の舞人が、実に端正に袖を合わせて二人ばかり登場してきて、西に寄って御座所に向かって立った。次々に舞人が登場し、足踏みを拍子に合わせて、半臂(ハンピ・袍と下襲の間に着る短い衣で緒がついている)の緒をつくろい(踊りの所作か)、冠や袍の襟などを手も休めずにつくろったうえ、「あやもなき小松」などと謡いながら、舞っているのは、何から何まで、まことにすばらしいものです。
大輪(オオワ・最終場面などで全員で大きな輪となって舞う)など舞いながら廻るところは、一日中見ていても飽きそうもありませんが、そこで舞い終るのは、とても残念ですが、「また、次の舞があるだろう」と思うと楽しみですが、御琴の調子が変わり、今度は、すぐさま竹垣の後より舞いながら登場してきた様子などは、実にすばらしいものです。
掻練の艶も美しく、下襲なども絡みあって、左右の舞人があちらこちらと入れ替わったりするのは、いやもう、改めてすばらしいなどと言うこと自体が野暮というものですよ。
この度は、この舞の後にはもうないと思うからでしょうか、それこそ本当に終わってしまうのが残念です。
舞人が退くと、上達部たちも、皆続いて出てしまわれましたので、寂しくて残念な限りです・・・。


それにひきかえ、賀茂の臨時の祭りは、さらに還立の御神楽(カヘリダチノミカグラ・祭りの夜に勅使や舞人が宮中で再び神楽を奏すること)があって、気持ちが慰められるものです。
庭のかがり火の煙が細く立ち昇っているのに合わせて、神楽の笛がすてきに、震えるような音色で吹き澄まされて高々と響くので、歌の声も、実に身にしみて、とても優雅なのです。
寒く冴えて凍りつくほどひえびえとして、打ち衣も冷たく、扇を持っている手も冷えるが、すばらしさに夢中でそれさえ感じません。才の男(サエノオトコ・こっけい役の男)をお呼びになって、声を長々と伸ばして呼ぶ人長(ニンチョウ・神楽の舞人の長、近衛の官人がつとめる)の得意そうな様子ときたら大変なものです。


宮仕えする前、里にいた頃は、行列を見るだけでは満足できないので、御社まで行って見ることもありました。
私たちは大きな木々のもとに牛車を止めているので、松明の煙がたなびいて、その光で舞人の半臂の緒や衣の艶が映えて、昼間よりずっとひき立って見えるのです。
橋(賀茂上社の御手洗川に架かる橋か)の板を踏み鳴らして、声を合わせて舞うところもとてもすてきで、水の流れる音、笛の音などが一緒になって聞こえる様は、いかにも、神様も「すばらしい」と思っておられることでしょう。


頭中将(藤原実方か。但し彼は蔵人頭にはなっておらず、諸説ある)といわれる人が、毎年舞人になって、本当にすばらしいことだと思っていましたが、お亡くなりになったあとで、上の社の橋の下にその霊がとどまっているらしいという噂なので、「なんと気味が悪い。物事を、そうまで執着すまい」と思うのですが、それでも、この臨時の祭のすばらしさだけは、簡単には思い捨てることは出来そうもありません。

「八幡(石清水)の臨時の祭の日、終わったあとがずいぶん味気ないわ」
「どうして、帰参してからまた舞うことをしないのでしょう。舞えば、すてきですのに」
「ご祝儀を頂いて、後ろの方から退出して行くのが、残念だわ」
などと、私たちが言うのを天皇がお耳になさいまして、
「それでは、舞わせよう」
と仰せになる。
「本当でございましょうか」
「そうなら、どんなにすばらしいことでしょう」
などと申し上げる。

嬉しくなって、中宮様にも、
「ぜひ、『還立の東遊を舞わさせるようになさいませ』とお願いなさってください」
などと、女房どもが集まって、わあわあと申し上げたのですが、本当にその年は、帰参してから舞ったものですから、大変嬉しいことでしたわ。
「まさかそのようなことはあるまい」
と、油断していた舞人は、
「天皇のお召しである」
とお達しがあったので、鉢合わせしかねないほどに慌てるさまは、全く正気を失っているほどです。
自室に下がっていた女房たちが、あたふたと参上する様子ったら、もうひどいものです。他の人の従者や殿上人などが見ているのも知らずに、裳を頭からひっかぶったまま(慌てて着ようとする途中でこのような格好になるらしい)で参上してくる姿を、見ている人たちが笑っているのも可笑しい限りです。



石清水臨時祭と賀茂臨時祭を比較して描かれています。
少納言さまも少々浮かれ気味なほどに、楽しげに描写されています。残念ながら、舞や謡、あるいは東遊や神楽などについて、衣装や所作などは私の力ではうまく描写出来ないのですが、当時の風俗などを知る貴重な章段ではないでしょうか。
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殿などのおはしまさで後

2014-10-01 11:00:17 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百三十六段  殿などのおはしまさで後

殿などのおはしまさで後、世の中に事出で来、騒がしうなりて、宮もまゐらせたまはず、小二条殿といふところにおはしますに、何ともなく、うたてありしかば、久しう里にゐたり。
御前渡りのおぼつかなきにこそ、なほ得堪へてあるまじかりけれ。
     (以下割愛)


関白殿(中宮の父藤原道隆)などがお亡くなりなってから、世の中に事件が起こり、騒がしくなって、中宮様も参内なさらず、小二条殿という所においでになられるのですが、何となくもやもやと、いやなことなどありまして、長らく宿下がりしておりました。
中宮様の御用をする自信がなくなり、とても堪えて勤めることが出来なかったのです。

右中将(源経房)が私の家においでになって、お話をなさいました。
「今日、中宮様のもとに参上しましたら、ほんとに何ともしんみりとした感じでした。女房の装束は、裳や唐衣は季節にぴったりで、気を緩めることなくお仕えされています。御簾の端のあいている所から覗いてみますと、女房たち八、九人ばかり、朽葉の唐衣・淡色の裳に、紫苑重ね・萩重ねなど美しく装って、並んで座っておられましたよ。
前栽の草がひどく茂っているので、『どうしてなのですか。刈り取らせたらいいでしょう』と言いますと、『わざわざ露を置かせてご覧になられるとのことですから』と、宰相の君の声で答えがありましたが、しゃれた気分がしたものですよ。
『少納言の宿下がりは、とても気がかりだわ。中宮様がこのようなわび住まいをなさるような時には、どんなに差し障ることがあっても、彼女ならきっと側にいるに違いないと中宮様は思っていらっしゃるでしょうに、そのかいもなく』と、多くの人が言っていたのは、『あなたにお伝えせよ』と言うつもりなのでしょうよ。
まあ、参上してご覧なさい。情緒に満ちたお庭の眺めでしたよ。台の前に植えられたりける牡丹(白楽天の詩を引用していて、季節外れの牡丹により中宮の淋しい心境を伝えようとしている)などの、それは風情のあることといったら」
などと仰る。


「さあ、どうでしょうか。皆さんが『私を憎らしい』と思っていたのが、反対に、私の方が憎らしいと感じましたものですからねぇ」
と、ご返事する。
「のんきなことを」
と、お笑いになる。
事実、『中宮様は、私のことをどうお思いなのか』とご推察申し上げるようなご不興をかったわけではなく、周りにお仕えの女房たちが、
「少納言は、左大臣道長殿側の方々と、親しい間柄だ」
として、皆さんが集まってお話などしている時も、私が自室から参上してくるのを見かけると、急に話をやめたり、私をのけ者にするような態度なのが、これまでなかったことで憎らしいので、
「参上せよ」
などと、たびたびの中宮様からの仰せ言をも聞き流して、ほんに長い間たってしまったのを、それはそれで、中宮様の周辺では、完全に敵方の者のように仕立て上げて、とんでもない作り話まで流れているらしいのです。


いつもと違って、仰せ言などもなく何日も過ぎているので、心細くて物思いにふけっている時に、長女(ヲサメ・下女たちの長。中宮職の下仕えの者)が、手紙を持ってきました。
「中宮様から、宰相の君を通して、こっそりと賜ったお手紙です」
と言って、この私の家でまで人の目を気にしているのは、あまりに度が過ぎています。
「女房に代筆させての仰せ言ではないようだ」
と思うと、胸がどきどきして、急いで開けてみますと、紙には何も書いておらず、山吹の花びら、ただ一重(ヒトエ)をお包みになられている。(山吹は晩春のもので、この時の季節は秋であり、この頃の山吹の花は「返り咲きの花」といわれた)

それに、『いはで思ふぞ』(「心には下行く水のわきかへり言はで思ふぞ言ふにまされる」という、古今六帖からの引用)とお書きになっているのを拝見しますと、久しい間のお便りの途絶えが悲しかったことも、すべて慰められて嬉しく、そんな私の様子を長女も見つめていて、
「中宮様には、どれほど、何かにつけてあなたのことを思い出してお口にされているそうでございますのに。誰もが『納得のいかない長い宿下がりだ』と言っているそうですよ。どうして、参上なさらないのですか」
と言ったあとで、
「この先の所まで、ちょっと出掛けましてから、お伺いします」
と言って出ていったあと、ご返事を書いて差し上げようとしたのですが、先ほどの『いはで思ふぞ』のもとの歌を、さっぱり忘れてしまっていたのです。
「ほんとに変ねえ。同じ古歌とはいっても、こんな有名な歌を知らぬ人などあるかしら。もう、のどのところまで思い出しているのに、出てこないのは、どういうことかしら」
などと言っているのを聞いて、そばに座っている女の子が、
「『下行く水』と申すのですよ」
と言ったのですが、一体、どうしてこんなに忘れてしまっていたのでしょう。こんな子供に教えられるなんて、いやになってしまいます。


ご返事を差し上げてから、少し間をおいて参上しました時は、「どんなご様子か」と、いつもより気がひけてしまい、御几帳に半分隠れるようにして控えていましたのを、
「あれは、新参の者か」
などと、中宮様はお笑いになって、
「そなたの嫌いな歌なのだが、『この際には、ぴったりの歌だ』と思ったのよ。全然そなたの顔を見かけないのでは、少しの間も気が休まりそうもないのでね」
などと仰られて、以前と変わったご様子などありません。
童女に忘れていた歌を教えられたことを申し上げますと、たいそうお笑いになられて、
「そのようなことはあるものよ。あまりにも知り過ぎて馬鹿にしているような古い言葉などは、そのようなことがありそうね」
など仰せになられるついでに、昔話をなさって、

「なぞなぞ合わせをする時、方人(カタウド・左右に分かれた味方の人)ではないのですが、そのようなことに巧みな人が、『左方の一番手は、私が出題しよう。そのつもりでいて下さい』などと請け合うので、『まさか、下手な出題はされまい』と頼もしく嬉しく思い、人々皆がなぞなぞの問題を作り出し、それらを選んで決めていると、『一番の謎の問題は、私に任せてあけておきなさい。こう申すからには、決してつまらない問題ではありませんよ』と言います。
『もっともだ』と思っているうちに、行われる日が間近になりました。『やはり、その問題の中味を教えて下さい。万が一にも同じ問題が重なることもありますから』と言うのを、『じゃあ、もう知りませんよ。私を当てになさるな』と、機嫌を損ねるので、気がかりではあるがそのままで当日となり、なぞなぞ合わせを行う人たちが、男も女も左方右方に分かれて座につき、検分役の人なども大変大勢居並んで、いよいよ開始となると、例の左の一番を出題する人が、いかにも心中期するところがあり気に、もったいぶっている様子は、『いったいどんな問題を出すのだろう』と見えるので、味方の人も敵方の人も、皆が今か今かと見つめているうちに、『なぞ、なぞ』と問いかけるあたりは、大した貫禄です。

ところがね、『天に張り弓』と言ったのです。(三日月などの弓張月のこと。子供でも知っている問題)
右方の人は、『実に面白くなった』と勝を確信していますが、左方の人は、あっけに取られて、一同憎らしくて白けきってしまい、『 敵方に心を寄せていて、自分たちをわざと負けさせようとしたんだな』などと、しばらく疑っていると、右方の一番の人が、『実に悔しい、なんて馬鹿なんだろう』と笑って、『これはこれは、全然わからないな』と言って、口をへの字に曲げて、『そんな問題は聞いたことがない』と、猿楽のようにおどけ始めた途端、かずを刺させました。(歌合や物合などで、一番ごとの勝を記録するため竹の串を刺した)
『それはけしからぬ。このようななぞを知らない者がどこにいるか。勝を取られるわけなどない』と抗議しましたが、『知らないといったからには、どうして負けたことにならぬというのか』と言って、二番以後の勝負も、この人がね、全部弁じたてて勝たせたそうなのです。よく人々が知っている言葉でも、思い出さない時は、知らないということになってしまうのでしょうが、『どういうわけで、知らないなんて言ったのだ』と、後で右方の一番の人はお仲間に恨まれたそうよ」
などと、お話されましたので、御前に伺候している女房たちはみな、
「それはそう思ったことでしょう。なんて、まずい答えをしたのでしょう」
「左方の人々の心中は、最初少しだけ聞いた時には、どんなに憎らしかったことでしょう」
などと笑う。

このお話は、忘れたことなものですか、「いはで思ふぞ」などは、誰でも知っている言葉なので、おとぼけなのでしょう、と言う中宮様のお気持ちなのでしょうか。



この章段も、とても重要な意味を持っています。

中宮定子の父道隆の死去により、定子を取り巻く勢力は一気に力を落とし、定子の兄など周辺の人々が左遷追放される大事件が起き、定子自身も謹慎状態になっていました。
その中で、少納言さまは、今や日の出の勢いの道長と親しかったため、定子付きの女房たちから何かと疑いの目で見られ、いや気がさしたのでしょう、宿下がりをしてしまいました。
本段は、そのような、少納言さまが敬愛してやまない定子にとっても、また少納言さま自身にとっても大変辛い時期の記録なのです。

なお、最終の部分ですが、中宮の話の意図を、誰でも知っている『いはで思ふぞ』の上の句を少納言さまが忘れていたということを、「そんなはずがない、おとぼけでしょう」とからかったのか、「この話のように、本当は知っているはず」と言うことを周りの女房たちに聞かせようとしたのか、少納言さまも真意を掴みかねているようです。
私は、後者として受け取りました。




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