六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

懐かしいものを連続して見つけました。

2009-11-03 18:35:35 | 写真とおしゃべり
 懐かしいものは人それぞれで、それが何であるかによってその人のイメージが分かるとかいいますが 本当でしょうか?私ぐらいの年齢になると目につくもの全てが、というか人があまり目に留めないようなものについ懐かしさを感じてしまうのです。
 
 ですから、道端で写真を撮っていたりすると、「ねえ、なに撮してるの?」と小学生なんかに訊かれてしまうのです。そりゃぁそうでしょうね、その子たちにとってはなんの変哲もない草木の類が目の前にあるだけなのですから。

 最初は「赤まんま」こと、犬蓼(イヌタデ)の群落です。
 昔はこんなもんどこにでもありました。田や畑ののり面などが真っ赤になるくらいあったものです。
 しかし田畑ののり面も今やコンクリート、彼らの生育範囲も限られてしまったのでしょう。

 
 
 ところで、この「犬・・・」という植物の名前、一般にひとさまの役に立たないものや、ある植物の亜種に付けられるきわめて人間中心主義的な命名だとある植物好きの人が怒っていました。
 この犬蓼(赤まんま)の場合は、仲間の柳蓼(ヤナギタデ)が刺身のつまや鮎の塩焼きに添えられて役に立つのに、なんお役にも立たないとして付けられたのだそうです。

 しかしこの犬蓼、赤まんまの別称が示すように、子供たちのおままごとでは立派にお赤飯の役割を果たしています。それを犬だのなんだの・・・。
 それこそ、「蓼食う虫も好きずき」でしょうね。
 そうそう、こうした命名には犬好きの人も怒っていたようなんですが、これはまた動機も違いますから、深入りは避けましょう。

 

 ついで見つけたのは槇の実です。
 これも久々に見ました。近くに槇の生け垣もあるのですが、それは雄株らしく実が付かないのです。
 面白い格好をした実でしょう。熟すと赤くなる楕円形の実の先に、丸い緑の実が付くのです。
 この楕円の方は花托(かたく)といって花を支える部分で、その先のまあるいのが実なのだそうです。イチゴもこれと同様、ひとさまが食べるあの赤い部分は花托で、ごま粒のようにくっついているのが実なんだそうです。

 
 
 なぜこんなことを言うかというと、槇の実の場合もイチゴ同様この花托の部分を食べることが出来るのです。もちろん子供の頃は見つけ次第食べました。甘みがあるねっとりした食感でした。
 そしてその先の丸い実は、鳩鉄砲の弾にして遊びました。

   

 もひとつ見つけたのです。
 「数珠の木」です。私は子供の頃から数珠の木といっていましたが、稲の仲間ですからいわゆる木ではありません。正式な名称はジュズダマ(数珠玉)というのだそうです。
 なぜ数珠玉かというと、熟した実を収穫すると実の中心に孔が通っていて、そこに糸を通せばそのまま数珠になるからです。
 なお、女の子はこれをお手玉に入れていましたが、小豆より重量感があり虫が付かないという利点があったようです。

           

 懐かしいだのなんだのといって所詮は年寄りの昔話じゃないかといわれそうですね。だから最初に、「私ぐらいの年齢になると」と断ったでしょう。

 ところで、以上は歯科医への往き帰りの見聞です。
 自分ではあちこち傷んできていると思っているのに、「お年の割にいい歯です」などといわれて少し嬉しくなった秋の道でした。




コメント (2)
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