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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

『母なる証明』と祖母と私の風邪

2009-11-10 11:19:09 | 想い出を掘り起こす
 韓国映画『母なる証明』を観た(原題は単に『母』、監督はボン・ジュノ)。
 前説に、「息子の冤罪をはらす母」とあったので、情愛に駆られた母が奔走をしてめでたしめでたしかなとも思った。それなら日本の二時間ドラマでもありそうなのだが、前に観たこの監督の『殺人の追憶』が印象深かったので、そんなに単純ではあるまいと思って観に行ったら、期待を裏切らず一筋縄では終わらない映画だった。
 様々に変転する物語は、緻密な脚本によって構成され、どのカットも見逃せない。それらのストーリーを縫って韓国の現在の若者たちの風俗が織り込まれ、作品にリアリティを与えている。
 母親役のキム・ヘジャの演技は特筆物だが、息子役のウォンビンの表情を主とした表現も光っている。

           

 といったところだが、これ以上映画について語るのはよそう。
 むしろこれから連想される私自身の思い出について語りたいのだ。
 映画の冒頭に(終わり近くにもあるのだが)、この母が押し切り器で枯れ草のような物を切断するシーンがある。そのザクッ、ザクッという音がこの映画の緊迫感をリズムとして表現しているのだが、このシーンを観た途端、この母の仕事が分かってしまった。
 というのは、これと同じシーンを六〇年以上前に見ながら育ったからである。

 私の母方の祖母(生きてれば130歳ぐらいか)がこれと同じことをしていた。私が疎開していた母の実家の農村での話である。
 祖母は農家の主婦でありながら、一方、「生薬屋」をしていた。生薬とはいわゆる漢方薬である。
 映画の母ほど多くの薬草を在庫してはいなかったが、祖母がいた納屋の内側には乾燥した薬草がぐるりと吊してあって、その真ん中で祖母はやはり押し切り器でそれらを刻んでいた。
 祖母の集落には一軒ぐらい診療所はあったかも知れないが、そこの人たちは、「腹痛」や「風邪」ぐらいでは滅多に医者にはかからなかった。その代わり祖母のもとにやってくるのだった。祖母はその症状をきいて、薬草を調合して渡していた。むろん、資格などないから立派な薬事法違反であったが、集落の人からは感謝され一目置かれていた。おそらく謝礼が安かったのだろう。

     
 
 映画の母は生薬と同時に鍼を打っていたが、祖母は鍼はやらなかった。その代わりある種の占いをしていた。
 占いといっても、運命を占うといったたいそうなものではなく、悩みを聞いてやる(カタルシス)、そしてそれとなく示唆や慰めを語る(サゼッション)といった程度で周辺からは「巫女さん」などといわれていたようだが、口寄せや心霊現象を扱うというほどではなかったようだ。

 生薬の話に戻るが、五年間の疎開生活の間に、私も結構そのお世話になった。怪我や火傷もそうだが、一番覚えているのは風邪の折である。センブリだかゲンノショウコだか忘れたが、それらを煎じた苦くて堪らない褐色の熱い液体をどんぶり一杯分飲まされた。
 あまりの苦さに途中で厭だというと、「良薬は口に苦しじゃ」と祖母はキッとなっていうのだった。
 飲み終わるとネルかなんかの厚手の寝間着にくるまれて、汗をかくほど暖かくした布団に寝かされるのだが、私が寝付くまで祖母は傍らにいてくれた。
 そして翌朝、昨日の風邪は嘘のように完治しているのだった。

     

 映画を観終わって外へ出ると、ブルブルッと悪寒がした。2、3日前から気だるかったのだが、いよいよ本格的な風邪に取りつかれたようだ。体の節々が虚脱したようで力が入らない。熱も出てきたようだ。
 夕方から今池で友人たちを会う約束だったが、万一をおもんばかってそれをキャンセルし帰宅する。
 熱燗を引っかけて、火傷するほどの風呂に入り、体が冷えぬ間に布団に入って就寝した。祖母譲りの治療法の私流のアレンジである。

 それが効いたのか、今朝は昨日に比べればずいぶん調子がいい。
 しかし、念のために近くのクリニックへ行った。
 「まあ、お前も年だから、それも仕方ないだろう」という祖母の声が聞こえるようだった。


コメント (1)
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