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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

【ヒデキッ!】私が出会ったヒデキたち

2009-11-06 16:42:31 | 想い出を掘り起こす
 松井秀喜がワールドシリーズのMVPをとったそうです。
 目出たいことですね。数々の負傷に悩まされ、出場場面も制限されてきたかのようなこの時期にそれをとったことに価値があるように思います。
 やはり、逆境に流されることなく、その出来事とちゃんと対面してきた者が味わう美酒なのでしょう。

 TVなどで、「ヒデキ、ヒデキ」と繰り返される中、私が生涯で出会ったヒデキたちの想い出がいくぶん怪しくなった記憶とともに脳内を巡るのでした。

 
            散歩道から・・・苔むすブロック塀

 最初に出会ったのは、東条英機です。
 出会ったといっても、直接会ったわけではありません。私がモノゴコロついたとき、一世を風靡していたのがこの人なのです。
 学校の教師というのはだいたい同じことを訊くようで、国民学校一年生の私もその尋問に遭ったわけです。
 「大きくなったらどんな人になりたいですか?」
 で、私は勢いよく答えました。
 「天皇陛下のような偉い人になりたいです!」
 上昇志向に満たされていた軍国少年の私は、「一番偉い人」と聞かされていた天皇をすかさず選んだのでした。
 しかし、教師は困惑した表情を浮かべ、「天皇陛下にはなれないから、別の人を選びなさい」というのです。
 仕方がないので、一ランク下げて、「東条英機のような偉い大将になりたいです!」と答え教師の尋問は終了しました。
 幼い私が、世の中に世襲制というものがあることを知った最初でした。

 その東条英機の評価が敗戦を機に一挙に転じたこと、その前後にある日本人のある種の無節操についてはいいますまい。
 幼い私は、世上の評価や価値などというものは、ある契機ではかなくも一転することを知ったのでした。

    
            散歩道から・・・名も知らぬ細かな花

 次に知ったのは、湯川秀樹博士でした。
 この人が、日本人で最初のノーベル賞をとったのです。
 今でこそノーベル賞もそこそこのものだと思いますが(あ、とった人たちの業績を否定しているわけではありませんよ。しかし、その平和賞を佐藤栄作がとって以来、その権威にはかげりを感じているのです)、その当時は大変なことだと思いました。

 湯川博士がノーベル賞をとったのは1949(昭和24)年ですが、この同じ年、先頃なくなった古橋広之進氏が全米水泳選手権に登場し、400m、800m、1500mのそれぞれの自由形で世界新記録を連発し、敗戦後うちひしがれていた日本人に、いい意味でも悪い意味でも、大きな自信を与えたのでした。
 悪い意味といったのは、「それ見ろ、大和民族は文武両道にわたって優秀なのだ」という変な自負を自らに与えることによって、戦後処理やその責任の所在を曖昧にする機能を果たしたように思うからです。
 もちろんこれは、湯川博士や古橋氏の責任ではありません。

 
              散歩道から・・・怪しげな影

 ついで、俳優の高橋英樹氏です。
 まあまあ、上手に歳を重ねたように思います。
 なぜこの人を特筆するかというと、彼が我が家に来たことがあるからです。
 岐阜の秋を彩る信長祭りはその信長行列をもって最高潮に達します。そしてその信長役には売り出し中の若い俳優が選ばれます。ちなみに今年は伊藤英明氏でした。
 今を去ること40年ほど前、信長役は高橋英樹氏でした。
 ところで、なぜ彼がうち(の実家)にきたのかというと、岐阜駅の南口(当時の行列の出発点)近くの私の家が出発前の休憩所に指定されたからです。

 私は仕事の都合で立ち会わなかったのですが、亡父や亡母は一世一代のもてなしをしたようです。亡母は茶菓を、亡父は酒を勧めたようですが、「馬から落ちるといけませんから」と茶菓に軍配は上がったようです。
 その折の高橋氏の応答が感じよかったということで、亡父、亡母ともに、生涯、氏のファンでした。

 
           散歩道から・・・松葉牡丹の苗でしょうか?

 あとは、私が泊まったことのあるホテルで、後に死者33人の火災事故死を出したホテル・ニュージャパンの経営者、横井英樹氏ですね。
 なぜこの人を覚えているかというと、幸いにして私が宿泊した日には火が出なかったということばかりではなく、その人物が面白いからです。
 彼は、愛知県中島郡平和町(現・稲沢市)の貧しい農家に生まれ、15歳にして東京日本橋の繊維問屋に丁稚奉公しながら、その後進駐軍に取り入って稼ぎ、それをまた投資し、企業の乗っ取りをはかるなど、現代のヒルズ族も真っ青な快進撃をしてきた人なのです。
 しかし、我が国では、このように新しく台頭してきた企業がちょっとしたミスで消え去ってゆき、結局は旧財閥系の企業が生き残るということのくり返しがあるようで、ここには旧体制が持つビルトインストピライザーの隠れた機能が働いているように思われるのですがいかがでしょうか。

    
        散歩道から・・・たわわな蜜柑と菊のコラボレーション

 最後はわが友、英毅・H氏です。
 彼ほとんど私と同世代なのですが、防衛大など回り道をしてN大にきたため学年差はあります。そして私が社会人になったおり、彼は「T」という面白いママがいる店にバイトに行きはじめました。
 そしてその店は、また70年の全共闘世代もくるようになったため、私はこの「英ちゃん」を介してそれらの世代との知己も得たのでした。
 むろん英ちゃんは単なる媒介者ではありません。彼自身の話がまた面白いのです。
 一度、彼と差しで話しているとき、当時の東映やくざ映画への彼の思い入れが激しく、彼が涙ながらに語るそのラストシーンに、自分もまた釣り込まれ、その画面の中に居るかのようにシンパシーを覚えたものでした。
 その折、「ああ、この人は?のつけない人だな」と確信しました。
 それは間違っていないと思います。

 他にもちらほらとヒデキが去来するのですが、私の印象に残っているのはこれらの人々でしょうか。
 え?西城秀樹はどうかって?
 そういえば、この前まで朝ドラでかっこいいけど奇妙な役をやっていましたね。
 でもこの人に「ヒデキッ!」と叫ぶ年代ではなかったものですから・・・。



コメント (4)
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