今日から夏休み第2弾です。土日合わせると5連休。
そんなに休めるのは正月以来です。
うちの会社は夏休みは個人のスケジュールに合わせて5日取れます。貼り出したカレンダーにマルをつけるんですけどね。
5日全てマルを入れているのは、まだ私と社長だけ。
「まだ、みんな全部マル入れてないんですね。」
「給料日の後に休み入れようかなと思って・・・ボーナス出ないから、出かけようにも金が無いんだよ。」
なるほど・・・・。
「そうっか~私はもう子供に相手にされてないから、休みと言っても、ただ家で休むだけですからね。お金は関係ないんですよね。」
と言うと、営業Aさんは絶句したようだった。
「sakeさん。。だから(男の子は)いつかそうなるって言っただろ?」
今までは、↑このような言葉を深読みして、いじけたり悔しがったりした私だったが、この時はそうするのを止めた。
「でも、楽しいですよ。平日の昼間スーパーに行くと、すいててね、なんだか専業主婦の奥さんになったみたいなんですよ。それでゆっくり買い物して、掃除して料理して・・それだけで楽しいんです。」
Aさんは言葉を失ったように見えた。
もしかしたら、同情されちゃったかな?
今月は養育費ももう入ったし、夏休みは全て取れそうだし、子供も夏休み前半無事に塾に通う事ができた。結構毎日好きなもの食べて、今はビール1缶飲める贅沢もできている。
これを幸せと呼ばなくて、一体何が幸せなの?
そんな私も、かつては恋愛していた時代もあった。
小さい子供と、夏休みの出かける計画を立ててた頃もあった。
恋愛をしていた頃は、彼氏の居ない人は可哀想だと思ってた。
子供と出掛けてた時代は、子供が居る事で自分も成長していると思ってた。
今は恋愛も無いし、子供も離れてしまったけれど、私はこうして幸せに生きている。それが、今の私の自信、誇り、強み。
これから、想像ができないほどの不幸が自分に襲ってくるかもしれない。でも、その時もちょっと泣いて、ちょっと傷を負っても、また前に歩いていくだろう。
ほんのちょっとの隙間から見えた喜びをかみ締めて生きていけるだろう。
こんな風に思える時、亡き母を思い出す。
花が綺麗に咲いたとか、いい天気だとか、そんな他愛の無い事で喜んでいた母。「幸せだね」「良かったね」と言うのも、口癖だった。
情緒不安定だったから、怒り狂っていたり泣き狂っていたりもよくあったけど、それは病気だったからなのね。「幸せだね」「良かったね」って言う口癖が、母の本当の姿だったのだ。
何であんなどうでもいい事で喜んでいられるのか不思議でたまらなかったけど、今、自分もそれに近づきつつあるみたい。
そっかぁ~、母もこんな心境だったのか、本当に幸せだったんだ。
今になって分かったよ。