先の事を考えてもしょうがないけれど、あと10年経ったら、私はどんな暮らしをしているのだろう?
今は周りの彼らも住宅ローン抱えて、子供抱えて、金が無い無い言いながら暮らしているから、何となく足並み揃った感じで過ごしているけど。
よく考えてみたら、彼らはあと10年経ったら、住宅ローンも先行、いや親の遺産(勝手に死んだ事にしちゃってるけど)なんぞで返しちゃって、給料もそこそこ上がって悠悠自適に生活してるかもしれない。
あと10年経ったら、私だけ置いてきぼり食らったらどうしよう。。。
その時誰が「女手一つでここまで頑張りましたね」なんて言ってくれるだろうか・・・。
もう子供は巣立ち、ただの貧乏なだけの女が1人さ・・。
そんな自分の姿を想像する時に、尾崎豊の『シェリー』と言う歌が頭を回る。
この曲との最初の出会いは、ある人がくれたカセットテープである。その最後に入っていたのが、この曲だった。
最後の辺りでどんどんヒートアップして、「俺はうまく笑えているか」「俺はまだ恨まれているか」「俺は愛される資格があるか」みたいなフレーズが絶叫のように何度も何度も繰り返される。そしてそれを聴いて、ハタチの私は「この歌、怖い」と思って、もう聴く事はなかった。
この歌が尾崎豊の歌で、カラオケでもよく歌われている歌だと知ったのは、それから数年後の事だった。
そして、何か壁にぶち当たる時、ふと、この曲のメロディー(あの何度も何度も繰り返され連呼する部分の箇所)を思い出すのだ。
私は間違っては、いなかったかい?
うちはこれで、よかったのかい?
今はうまく行っているのかい?
そんな感じで、自分自身に幾つものクエスチョンマークを抱えながら・・・。
そして、この前のカラオケで「シェリー」の曲がかかり、初めて通して歌詞を眺める。
♪シェリー あわれみなど 受けたくはない
♪俺は負け犬なんかじゃないから
まるで私のためにあるような歌詞じゃないか。
ただ一つ違う所は、私にはシェリーと言う連れ合いは居ないから、自分のクエスチョンマークを自分で受け止めるしかない。
私は自分自身に問い、そして答えを出す。
「いつか俺は這い上がれるだろう」「いつか俺はたどりつけるだろう」と。
その答えが正しくても間違っていても、関係ない。
最後の最後になるまで、自分も誰にも答えは判らないのだから。