今日は4時にすらなっていないけれど、私にしては「朝」なのだった。
今なら車はすいてるし都内につく頃には明るくなる上、kekeが起きる頃に帰ってこれると、そっと財布を探し、明菜のレンタルCDを入れ、顔に日焼け止めを塗りまくり、水筒に水をつめた所で(一応気を遣って台所ではなく廊下の灯りでつめていたのだが)kekeがむくっと起きたので「これからドライブしてくる」と言うと、「じゃそっちの布団で寝る」と言う。
しかしドアを開けると雨だった。
それからkekeのベッドで借りてきた伊藤比呂美さんの「とげ抜き新巣鴨地蔵縁起」を読むことにした。
kekeが熟睡できずに起きて来ると「ドライブ止めたの、雨だから」と私は言った。
「やきそば食べる?」とkekeが言うので「作ってくれるの?」と私は言った。
面白い本は・・・いや本に限らず、最近の私は「したいこと」をおかまいなしにすると言う性癖があって、これは私だけにとどまらず、人間ある時期-例えば子育てが終わりの時期にさしかかってきたとか、人生お役目ゴメンみたいなものが近づいてきたとか、そうなると今まで当たり前に我慢できてたことができなくなって、買いたいものは今すぐ買わなければいられなくなるとか、それは老眼と同じように、心のピントを柔軟に合わせられなくなると言うのか。
そう言う状況で私はkekeが台所でトントントンと野菜を切っている間もおかまいなく「とげ抜き新巣鴨~」を読み続け、体は起こす事はできないが、声だけはすまないねぇと言い、「年取ると、もう何か頑張れなくなっちゃうのよ」と言うと、kekeは「それは年のせいじゃないよ」と言う。
「kekeもそうなの?」と言うと、返事は無い。
「今日こそ夜美味しいものを作るね」と言うのもその場限りのウソだとばれている。
音はリズミカルにトントン聞こえ、やがて炒める音に変わって行った。
kekeが声を掛けるでもなく、二人前の山盛りの焼きそばが出来上がった。
私はいつものように美味しい美味しいとパクパク食べ、kekeは「塩コショウをしてなかったから味がしまってない」と言い、「これは75点だ」、と言う。
「言われればそうかもしれないけど、おいしいよ。ひき肉も入れたんだね、おいしいわ。」と言うと「ひき肉は賞味期限が昨日までだったから。これだけ野菜の種類を入れたのだから、うまく作りたかった」と言う。
キャベツ・ニンジンは細かく切ってあり、それはそれでまた美味しく、もやしも存在感を主張するほどには入ってないのが、またよろしい。
塩コショウが入っていたらもっと美味しかっただろうけど、これでも普通なら充分だろうと思う。
kekeは皿を流しに片付けてから部屋に入り、私は寝転んで続きを読んだ。
「二十二のとき、苦しい恋愛いたしました。あまり苦しくて、何度も母の前で身をもだえて泣きました。でもお岩のいのりで別れさせてもらおうたいくらなんでも考えていませんでした。そのあとも、苦しい恋愛には絶え間が無く、いな恋愛が苦しくなかったことなど無く、ほかにどんな男を母に知られて願掛けに行かれていたかわかったもんじゃありません。母のどの願掛けが効いて、こうなってああなって今こうしているのかわかったもんじゃありません。わるいことをいっぱいしてきました。しないではいられなかったんです。女がひとりおとなになっていこうとしたら、生臭いこともわるいことも思いっきりしないではいられなかったんです。そのけっか万の仏に疎まれたようなこの苦労、男で苦労し子どもで苦労し、またまた男で苦労して、一息ついたと思ったらこんどは親で苦労しております。」(原文どおり)
「明日を信じて笑顔でがんばりましょう」教より、この文章の方がどれほど説得力のあることか。
赤ん坊としてオギャアと生まれてきた頃か、せいぜいハタチ辺りをピークとして、後は一息ついては苦労のクレッシェンド。
人様もおそらく何かはあるだろうけど、笑っていれば良いことがあると言われることさえ責められてるようで、何も語らず笑顔でいることもできなくはないけど、かえって逆に痛々しい気がして、私は泣けた。
まだ朝は8時。
なんでもできる時間。
今なら車はすいてるし都内につく頃には明るくなる上、kekeが起きる頃に帰ってこれると、そっと財布を探し、明菜のレンタルCDを入れ、顔に日焼け止めを塗りまくり、水筒に水をつめた所で(一応気を遣って台所ではなく廊下の灯りでつめていたのだが)kekeがむくっと起きたので「これからドライブしてくる」と言うと、「じゃそっちの布団で寝る」と言う。
しかしドアを開けると雨だった。
それからkekeのベッドで借りてきた伊藤比呂美さんの「とげ抜き新巣鴨地蔵縁起」を読むことにした。
kekeが熟睡できずに起きて来ると「ドライブ止めたの、雨だから」と私は言った。
「やきそば食べる?」とkekeが言うので「作ってくれるの?」と私は言った。
面白い本は・・・いや本に限らず、最近の私は「したいこと」をおかまいなしにすると言う性癖があって、これは私だけにとどまらず、人間ある時期-例えば子育てが終わりの時期にさしかかってきたとか、人生お役目ゴメンみたいなものが近づいてきたとか、そうなると今まで当たり前に我慢できてたことができなくなって、買いたいものは今すぐ買わなければいられなくなるとか、それは老眼と同じように、心のピントを柔軟に合わせられなくなると言うのか。
そう言う状況で私はkekeが台所でトントントンと野菜を切っている間もおかまいなく「とげ抜き新巣鴨~」を読み続け、体は起こす事はできないが、声だけはすまないねぇと言い、「年取ると、もう何か頑張れなくなっちゃうのよ」と言うと、kekeは「それは年のせいじゃないよ」と言う。
「kekeもそうなの?」と言うと、返事は無い。
「今日こそ夜美味しいものを作るね」と言うのもその場限りのウソだとばれている。
音はリズミカルにトントン聞こえ、やがて炒める音に変わって行った。
kekeが声を掛けるでもなく、二人前の山盛りの焼きそばが出来上がった。
私はいつものように美味しい美味しいとパクパク食べ、kekeは「塩コショウをしてなかったから味がしまってない」と言い、「これは75点だ」、と言う。
「言われればそうかもしれないけど、おいしいよ。ひき肉も入れたんだね、おいしいわ。」と言うと「ひき肉は賞味期限が昨日までだったから。これだけ野菜の種類を入れたのだから、うまく作りたかった」と言う。
キャベツ・ニンジンは細かく切ってあり、それはそれでまた美味しく、もやしも存在感を主張するほどには入ってないのが、またよろしい。
塩コショウが入っていたらもっと美味しかっただろうけど、これでも普通なら充分だろうと思う。
kekeは皿を流しに片付けてから部屋に入り、私は寝転んで続きを読んだ。
「二十二のとき、苦しい恋愛いたしました。あまり苦しくて、何度も母の前で身をもだえて泣きました。でもお岩のいのりで別れさせてもらおうたいくらなんでも考えていませんでした。そのあとも、苦しい恋愛には絶え間が無く、いな恋愛が苦しくなかったことなど無く、ほかにどんな男を母に知られて願掛けに行かれていたかわかったもんじゃありません。母のどの願掛けが効いて、こうなってああなって今こうしているのかわかったもんじゃありません。わるいことをいっぱいしてきました。しないではいられなかったんです。女がひとりおとなになっていこうとしたら、生臭いこともわるいことも思いっきりしないではいられなかったんです。そのけっか万の仏に疎まれたようなこの苦労、男で苦労し子どもで苦労し、またまた男で苦労して、一息ついたと思ったらこんどは親で苦労しております。」(原文どおり)
「明日を信じて笑顔でがんばりましょう」教より、この文章の方がどれほど説得力のあることか。
赤ん坊としてオギャアと生まれてきた頃か、せいぜいハタチ辺りをピークとして、後は一息ついては苦労のクレッシェンド。
人様もおそらく何かはあるだろうけど、笑っていれば良いことがあると言われることさえ責められてるようで、何も語らず笑顔でいることもできなくはないけど、かえって逆に痛々しい気がして、私は泣けた。
まだ朝は8時。
なんでもできる時間。