父は昼食を前に座ったまま寝ていて、看護婦さんが食べさせようと試みるが、右手は頑なに閉じたまま箸も持てない様子。
「お昼食べる?」と訊くと「うん」と答えるが、体も指も固まって動かない。
おばあさんの奇声が今日もあちこちに飛び交う中、寝ている父の隣でボーっと座っていると、目の前でばあさんが隣のばあさんのお皿を引っ張りひっくり返そうとしているのを別のおばあさんが発見し、「あ!大変だよ」と言っているので、慌てて駆け寄ろうとすると、看護婦さんが気付いて対処してくれた。
その中でも父は一向に目覚めやらぬ状態で寝込んでおり、「今食事は無理なのでは」と思った辺りで昔、隣にいたシアワセばあさんの「娘さん、もう少し傍に居てあげてください!」と言われた日のことを思い出したりした。
何回か「お昼食べる?」と尋ねて、茶碗と箸を持たせようと根気強く挑戦してみると、何回目だっただろう、やっと茶碗を持って箸で少しづつご飯を掛け込むようになった。
しかしそれも長くは続かず、茶碗を抱えたまま、またグーと寝た。
「味噌汁だよ、飲む?」と言うと、またウンと言い、それは茶碗を抱えて飲み始めた。中の具もその勢いで口の中に入れようとした。
しかし、何も落ちてこないとグーと寝る。
(それでも茶碗は落とさない、食い意地が張っているのか。)
最低限腹が満たされると、もう自ら食べようと言う意思はみられず、いよいよスプーンで残ったご飯を食べさせることにした。
スプーンでチョンチョンと唇を軽くつつくと父は「アーン」と口を開け、もぐもぐ食べる。それは何回も何回も繰り返し、意識が寝ているから満腹を感じないのだろうか、このまま行けば、限り無くアーンと食べられそうな気がした。
そして、おかずに付け合わせのサラダやスパゲティも完食。食事で1時間近くを費やした。
kekeと私にもこんな日が来るのだろうか。
まだ病院なり施設なりに入れれば良いが、これ家で看るとなったら、とんでもないことになる。
ブルブルブル、そこまで考えて首を振る。なんとおそろしや。。
そう言えば、父が一時期盛んに「オレを施設に入れてくれー」「オレは入る施設をとうとう決めて来た」とたわ言を繰り返し、妹は「あのじいさん、世話になってる娘にどんだけイヤミが言いたいか」と怒っていた時期があった。
もし父がその昔、母親の老いを、兄弟の老いを見つめて、今の私と同じ心境になっていたら、あれらはもしかしたら寝言ではなく、正気薄れて行く中でしがみつくばかりの悲願だったのでは。
また伊藤比呂美さんの「一息ついたと思ったらこんどは親で苦労しております」の文章を思い出して、親についてはまったく苦労していない、たぶんこのまま(もう他に親と呼ぶ存在は居ないのだから)苦労することは無い。
こいつにはその分の余力がある、まだ課題を出せる(こなせる?)と神様がみなしたのか。
挑むしかありません。
肩もこの時期でたしか1年が経ち、今ではブラジャーのホックは普通に止められ、真上までは行かなくても正面から87度ぐらいまでは上がるようになりました。
昨日や先週と比べると何も変わり映えしないけれど、半年前から比べれば良くはなっているのです。当時はブラはクルリと回して前で止めてまた回してましたから。
来年はさらに良くなっているでしょう。
「長い目で見れば何か変わってたりするものだよ。」
と、あの世から母が伝えようとしているのかもしれません。
「お昼食べる?」と訊くと「うん」と答えるが、体も指も固まって動かない。
おばあさんの奇声が今日もあちこちに飛び交う中、寝ている父の隣でボーっと座っていると、目の前でばあさんが隣のばあさんのお皿を引っ張りひっくり返そうとしているのを別のおばあさんが発見し、「あ!大変だよ」と言っているので、慌てて駆け寄ろうとすると、看護婦さんが気付いて対処してくれた。
その中でも父は一向に目覚めやらぬ状態で寝込んでおり、「今食事は無理なのでは」と思った辺りで昔、隣にいたシアワセばあさんの「娘さん、もう少し傍に居てあげてください!」と言われた日のことを思い出したりした。
何回か「お昼食べる?」と尋ねて、茶碗と箸を持たせようと根気強く挑戦してみると、何回目だっただろう、やっと茶碗を持って箸で少しづつご飯を掛け込むようになった。
しかしそれも長くは続かず、茶碗を抱えたまま、またグーと寝た。
「味噌汁だよ、飲む?」と言うと、またウンと言い、それは茶碗を抱えて飲み始めた。中の具もその勢いで口の中に入れようとした。
しかし、何も落ちてこないとグーと寝る。
(それでも茶碗は落とさない、食い意地が張っているのか。)
最低限腹が満たされると、もう自ら食べようと言う意思はみられず、いよいよスプーンで残ったご飯を食べさせることにした。
スプーンでチョンチョンと唇を軽くつつくと父は「アーン」と口を開け、もぐもぐ食べる。それは何回も何回も繰り返し、意識が寝ているから満腹を感じないのだろうか、このまま行けば、限り無くアーンと食べられそうな気がした。
そして、おかずに付け合わせのサラダやスパゲティも完食。食事で1時間近くを費やした。
kekeと私にもこんな日が来るのだろうか。
まだ病院なり施設なりに入れれば良いが、これ家で看るとなったら、とんでもないことになる。
ブルブルブル、そこまで考えて首を振る。なんとおそろしや。。
そう言えば、父が一時期盛んに「オレを施設に入れてくれー」「オレは入る施設をとうとう決めて来た」とたわ言を繰り返し、妹は「あのじいさん、世話になってる娘にどんだけイヤミが言いたいか」と怒っていた時期があった。
もし父がその昔、母親の老いを、兄弟の老いを見つめて、今の私と同じ心境になっていたら、あれらはもしかしたら寝言ではなく、正気薄れて行く中でしがみつくばかりの悲願だったのでは。
また伊藤比呂美さんの「一息ついたと思ったらこんどは親で苦労しております」の文章を思い出して、親についてはまったく苦労していない、たぶんこのまま(もう他に親と呼ぶ存在は居ないのだから)苦労することは無い。
こいつにはその分の余力がある、まだ課題を出せる(こなせる?)と神様がみなしたのか。
挑むしかありません。
肩もこの時期でたしか1年が経ち、今ではブラジャーのホックは普通に止められ、真上までは行かなくても正面から87度ぐらいまでは上がるようになりました。
昨日や先週と比べると何も変わり映えしないけれど、半年前から比べれば良くはなっているのです。当時はブラはクルリと回して前で止めてまた回してましたから。
来年はさらに良くなっているでしょう。
「長い目で見れば何か変わってたりするものだよ。」
と、あの世から母が伝えようとしているのかもしれません。