きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

父のエプロン

2012-06-27 | 父の記録と母の思い出
もう6月終わりですか。
なんて早いんでしょう。

これからが夏だ花火だ祭りだ、みたいな気持でこの時期が来るので
毎年実感がないまま、秋になってはたと今年も終わり掛けて行くのに気がつく
毎年のパターン。

伊藤比呂美さんの「とげ抜き~新巣鴨地蔵縁起」が近くの本屋にあったので、買おうと思って2日間待った。
ほぼそのつもりだけど買ってしまうと、もうそれきりになってしまいそうで、「明日買おう、とうとう明日こそ買っちゃおう」と言う気持をまだしばらく秘めていたいのである。
(680円なんだけどね。)

週末の父は元気で箸でご飯をかき込んで食べていたが、最近やはり言葉が通じてない。
「もうすぐご飯だよ」と言っても「ご飯」がよく分かっていないし、看護師さんが「エプロン掛けますね」と言った時には「エプロン?」とつぶやいていた。

「この触ってる青いのがエプロンよ」と教えることが優しいのか、(でも次の瞬間忘れるわけだから)余計なことを考えさせないで何も言わないのが優しいことになるのか。

遠い昔、祖母が足腰立たなくなって(それでも家で看ていた)、はいつくばってトイレに行ってた光景を未だに忘れられず、その時母(実の娘)は「少しでも自分でやらせないといけないから」と言っていた。
何故その光景が忘れられないかと言うと、祖母の足に少量ながらもウ○コがついていたからである。そしてそれがついたまま祖母は自分の布団にはいつくばって戻って行った。。。

今、父を見て、「少しでも自分でやらせなければ」ならないので、お昼は箸で自分で食べてもらうようにしている。(施設でもその方針)
しかし、エプロンの解説はそれとはちょっと違う気がして、言うことが混乱を招くだけのような気がして悩む。
「この青いのは今身につけているもの」と言う概念すらたぶん理解できないのではないかと。。。

いつも私が来る時間と同じ時間にきて、自分の父親にスプーンでご飯を食べさせている60代の女性はまたその日も同じように来て、一通り食べ終わるとサッサと帰って行った。
私はまだそこまで徹しきれずに、しばらくその場にいたりするのだが、今更会話も無く、特に最近支離滅裂なので返事に困る。
(例えば私の腕を指さして「これはどうやって入れるの?」と言ったりする。)

尋ねて明確に返事をしたくても、思考自体が支離滅裂なので尋ねて解明する意味が無いと言うか、本人を混乱させるだけと言うのも分かってる。

そして途方に暮れたながら、私は席を立つ。
居ても居なくても分からない様に、だんだんと会話を避け、声を出さず、ではサヨナラの言葉もなく、すーっと消える。

間違いなく近い将来、父はあの世に行くんだろうなぁ。
分かっているような分かってないような感じで、後悔も焦りも何もなく、私はすーっと消える。

でも、それだけでもない。
あの60歳の女性も、たぶん気持は同じではないかと思う。

今目の前にいる父と、遠いいろんな思い出のある父とはまだ一緒になってこないと言うか。
考えちゃうとどこまでも行ってしまうから、ここで止めておく。