昨日は買い物から帰ると、もうkekeが出かけた後みたいだ。
(今日は仕事の日だったのか。)
さっきまで寝ていたのだ。
目覚ましを掛けて、夕方起きて家を出る。
3~4年前ぐらいは私は正社員の道しか見えていなくて、「仕事を探さなくていいのか」とそんなことばかり言って夜中でもケンカをして、kekeも部屋から出てこなかった。
それが今は「こんな暮らし方もありかもな」と思うから不思議なものだ。
私達にはこういう暮らしがあっているのかもしれない。
いろんな人に合わせて、頭をつかって神経をすり減らして、人一倍ビシバシ働いて、たくさん給料をもらって・・・・という暮らしより、無理しないぐらいに働いて、そこそこ給料をもらって、ささやかな物に囲まれながら静かに暮らす、それで充分じゃないか。
リネン(自分にとっては高級品)のカバーのついた布団にゴロンとなった。
さっきまでkekeが寝ていた布団である。
その当時kekeに「どんな仕事につきたいの?」と言うと、kekeは「自販機のジュースを補てんする人とか。」と答えた。
「なんだ、それはいったい。」と私は言うと、kekeは「何をするか決まっている仕事がいい。」と答えた。
言われてみれば、私もそうなのだ。自分なりの工夫で喜ばれる仕事ならいいが、ノルマがあったり、競争があったり、何も無い所から何か生み出すような仕事は苦手なのだ。
(それは個性なんだろうなァ)とぼんやり考えた。
私達は考えてテキパキ動くのが苦手なのだ。
決まった仕事を淡々とこなす、そして自分なりに小さく工夫したりしながら、周りの人とニコニコ共存していく・・そのスタイルが好きなのだ。
花で言えばカスミソウで充分なのである。
(こんな生活で充分しあわせだ。)と私は思う。
胸に手を当てれば(このままでこの先どうするのか?!)と言う声も聞こえなくはないけれど・・・未来におびえて自分をムチ打つより、自分をおおらかに許して、今の暮らしを満喫しよう。
今日の陽気、今日のご飯、今日の布団・・・この味覚、肌触り、心地よさに酔いしれよう。
自分がみたされると、人に優しくなれると言うのも本当だった。
近藤麻理恵さんの本を読んで、布団カバーをこまめに洗うことにして新しいカバーを買ったのは私には正解だったようだ。
毎日満足する布団カバーで寝て、時に風にそよいでいる布団カバーを見ていたら、何だか気持よくなって、部屋を片付けたのがゴールデンウィーク。すぐに元に戻るかと思っていたが、まだその状態が続いている。
それから会社にずっと使われていない手ぬぐいがあるので、捨てるぐらいならと持ち帰り、何かリメイクできないかな、と考えた。
(弁当袋とかいろいろ考えたけど、まだミシンを出すまでには至らず。)
片付けている途中で、昔いただいたアクセサリーがあったりして、1日1つ身に着けてみることにした。
別に手ぬぐいもまだリメイクできてないし(一生できないかも)、アクセサリーも誰の目にも止まってないけれど、自分一人がそんなことを考えて楽しんだ。
もう人の目なんか、いいんだ。
私の毎日がそれでちょっと楽しく思えたら、それが一番なんだ。
それに気がついた。
今までは人に認めてほしい、こんなに頑張っているのに、誰々みたいにもっと頑張らなきゃ、そんなことばかりでいつも人の目を気にして、自分の心にムチ打っていた。
kekeもずっとそうだったのかもしれない。
「もうそんなに頑張らなくていいんだよ。」
今は心からそう言える。
大切なのは、今こうして「今日も楽しかった」と思えることなんだ。
誰とももう比べない。
自分の感性で、自分の考えで楽しければ、それが全てなのだから。
ずっとお金が大切だと思っていた。
でも、この感覚はお金では買えないと思う。
(今日は仕事の日だったのか。)
さっきまで寝ていたのだ。
目覚ましを掛けて、夕方起きて家を出る。
3~4年前ぐらいは私は正社員の道しか見えていなくて、「仕事を探さなくていいのか」とそんなことばかり言って夜中でもケンカをして、kekeも部屋から出てこなかった。
それが今は「こんな暮らし方もありかもな」と思うから不思議なものだ。
私達にはこういう暮らしがあっているのかもしれない。
いろんな人に合わせて、頭をつかって神経をすり減らして、人一倍ビシバシ働いて、たくさん給料をもらって・・・・という暮らしより、無理しないぐらいに働いて、そこそこ給料をもらって、ささやかな物に囲まれながら静かに暮らす、それで充分じゃないか。
リネン(自分にとっては高級品)のカバーのついた布団にゴロンとなった。
さっきまでkekeが寝ていた布団である。
その当時kekeに「どんな仕事につきたいの?」と言うと、kekeは「自販機のジュースを補てんする人とか。」と答えた。
「なんだ、それはいったい。」と私は言うと、kekeは「何をするか決まっている仕事がいい。」と答えた。
言われてみれば、私もそうなのだ。自分なりの工夫で喜ばれる仕事ならいいが、ノルマがあったり、競争があったり、何も無い所から何か生み出すような仕事は苦手なのだ。
(それは個性なんだろうなァ)とぼんやり考えた。
私達は考えてテキパキ動くのが苦手なのだ。
決まった仕事を淡々とこなす、そして自分なりに小さく工夫したりしながら、周りの人とニコニコ共存していく・・そのスタイルが好きなのだ。
花で言えばカスミソウで充分なのである。
(こんな生活で充分しあわせだ。)と私は思う。
胸に手を当てれば(このままでこの先どうするのか?!)と言う声も聞こえなくはないけれど・・・未来におびえて自分をムチ打つより、自分をおおらかに許して、今の暮らしを満喫しよう。
今日の陽気、今日のご飯、今日の布団・・・この味覚、肌触り、心地よさに酔いしれよう。
自分がみたされると、人に優しくなれると言うのも本当だった。
近藤麻理恵さんの本を読んで、布団カバーをこまめに洗うことにして新しいカバーを買ったのは私には正解だったようだ。
毎日満足する布団カバーで寝て、時に風にそよいでいる布団カバーを見ていたら、何だか気持よくなって、部屋を片付けたのがゴールデンウィーク。すぐに元に戻るかと思っていたが、まだその状態が続いている。
それから会社にずっと使われていない手ぬぐいがあるので、捨てるぐらいならと持ち帰り、何かリメイクできないかな、と考えた。
(弁当袋とかいろいろ考えたけど、まだミシンを出すまでには至らず。)
片付けている途中で、昔いただいたアクセサリーがあったりして、1日1つ身に着けてみることにした。
別に手ぬぐいもまだリメイクできてないし(一生できないかも)、アクセサリーも誰の目にも止まってないけれど、自分一人がそんなことを考えて楽しんだ。
もう人の目なんか、いいんだ。
私の毎日がそれでちょっと楽しく思えたら、それが一番なんだ。
それに気がついた。
今までは人に認めてほしい、こんなに頑張っているのに、誰々みたいにもっと頑張らなきゃ、そんなことばかりでいつも人の目を気にして、自分の心にムチ打っていた。
kekeもずっとそうだったのかもしれない。
「もうそんなに頑張らなくていいんだよ。」
今は心からそう言える。
大切なのは、今こうして「今日も楽しかった」と思えることなんだ。
誰とももう比べない。
自分の感性で、自分の考えで楽しければ、それが全てなのだから。
ずっとお金が大切だと思っていた。
でも、この感覚はお金では買えないと思う。