きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

子供を守れるのは親だけ

2004-09-14 | 母子家庭だから思うこと
それにしても物騒な事件が多くなった。

母子4名が火事に巻き込まれて亡くなったニュースを昼休みに聞き、営業Aさんが「sakeさんも用心しないとね!」と言ったのは何日前の出来事だったのだろうか。間もなくその事件は殺人の後の放火と判り、「え?盗みか?怨恨か?一体誰が何のためにそんな事をしたのやら」と、気になった。今度はそれらも解決しないうちに幼児二人が行方不明だと言う。また「誘拐だろうか、危なくて小さい子もおちおち道も歩かせられないじゃないか」と思っていたら、実は同居している者が最悪の形で事件に関っていたと言う。

私はたまたま母子家庭になったのが就学後だったので、学童もあったし、どうにかなった。それでも、38度程度の熱なら子供を一人で寝かせて仕事に行くくらいの事はした。

必死だった。

元旦那が(不倫相手と暮らすために)家出する時に尋ねた。
「私達が引越しする時に、TVやビデオの配線はどうすればいいのかしら?」
元旦那は「(妹の旦那さんの名前)にやってもらえばいいだろう。」と答えた。

あの時尋ねていたら、彼は何て答えただろう。
学童が終わる時間でも仕事で家に帰れなかったら、どうしよう?
子供が熱を出しても私、休めなかったら、どうしよう?

「親に看てもらえばいいよ」
これが彼の答えだったのだろうか。

あの時から、彼は「誰かがきっと上手くやってくれるよ」って言うしかなかった。子供よりも大事なものが他にあったから。私だって、目先の引越し先のビデオの配線の事を一番先に心配したのだから同じようなものだったかもしれないが。

親はぼんやりしていると、子供の事なんて忘れてしまうんじゃないか?
子供から開放される事が楽チンだって、心の何処かでうっすら思っていやしないか?子供が誰かと一緒に居れば、「うん、子供は仲良くうまくいってる」って、すぐ思いたがってはいないか?

離婚前、階下に住んでいた母子家庭のお母さんが言った。
「子供を守れるのは、自分しか居ないから。」

最後に子供を守る事ができるのは、親だけだ。
「誰かがきっと上手くやってくれるよ」そう思った時に、私達は、その子供の親ではなくなっているのではないだろうか。
「自分は一人親家庭だから仕事が遅くなるから、誰かが子供を看るのが当たり前」だと甘えてはいけない。自分の子供を守れるのは自分一人しか居ないのだ。

白髪染め

2004-09-12 | 私の倹約術
どうせ知っている人は誰も見てないんだから、書いたっていいや。

贅沢にも毎月美容院に通っている。白髪染めをするためだ。
自分で染める事も一時期はしていた。しかし、いかんせん白髪が増えてしまった。
それもある部分だけ全く白髪のグレーゾーン地帯があるのだ。
円形脱毛ならぬ円形白髪ゾーンである。

この白髪ゾーンが発生した(自覚した)のは、離婚の少し後であった。やはりあの時期の必要以上のストレスも原因の一つなのだろうか、と疑ってしまう(たまたまだったのかもしれないけど)。離婚して失う物が多いとはよく言うが、私の黒髪も返してほしい。

ところで、美容院は待ち時間に雑誌を持って来てくれる。
大抵、女性週刊誌と、もう一冊何か雑誌を用意してくれる。
その一冊の雑誌が、最近とても気になっている。
ちょっと前は、そのもう一冊の雑誌が「オレンジページ」や「アンアン」だったのである。なのに最近、『メイプル』とかそういう雑誌の時がある。

ついに私は見た目もマダムになってしまったのであろうか。
自分では見た目はまだ若いつもりでいる事があるので、ここで現実を思い知らされる事になる。頭を冷やし現実を見つめ直す事は大切かもしれない。

さて、白髪チェックをする。
鏡を見る。やはりこの顔で「アンアン」は罪だろう。あぁ、でもせめて「オレンジページ」とか「レタスクラブ」がいいんだけどなぁと思う。
例の白髪ゾーンを見ると、あと1週間はこれで行けそうである。と言う事で、さっきまでは美容院に行くつもりで、kekeさんにも言ってしまったが、来週に延期する事にする。

1年は計算すると、365÷7=約52週間ある。
白髪染めを4週間に1度にすると、年に13回。
5週間に1度に改めると年に約10回。

従って、1週間白髪染めを延期する事によって、1年で
3500円(白髪染めの値段)×3回=10,500円
ものお金が節約できるのである。10年にすると10万以上になる。

と言う事で、定期的にしている事を1週間延期すると、案外節約につながるのを皆さんはご存知だろうか。
(最も行かない事が一番お金が掛からないのだが)

メモなんて残さないで、さっさとやるべき仕事

2004-09-11 | その前の会社

『私の仕事はここまでです』と囲いを作らないこと!銀行の用件はほとんどあなたで済む用事なんだからメモなんて残さないでさっさと自分でやって!


気が付くと、あの言葉が時々頭の中にエコーするようである。
何の言葉かと言うと、上司BRさんが説教中に私に放った言葉である。
(詳しくは9月9日のブログに書いてある)

机の上には、ある銀行からのFAXが置かれていた。
こちらの銀行にこれから1年以上先までの資金予定表を送らねばならない。上司BRさんの反応を見ると、これは
「さっさと自分でやって!」の仕事のようである。

判らない、できない、浮かばない。

うちの会社は建築会社だ。半年先の工事の受注予定も判らなければ、1年先なんて尚更判らない。一つ大きな仕事を完成すれば、そこのお客さんとの取引はもう終わりなのだ。(小さなメンテはもちろん責任を持ってするのだが)それが建築会社と言うものなのだ。1年先の資金繰りなんて神のみぞ知る、と言うものだ。

銀行担当者に問い合わせると、それはご存知なようで「まぁ、だいたいでいいですから。こちらの稟議で必要な書類なので。」と言う事である。

従って、去年の売上表を用意する。端から数字を眺める。ふんふんこんなニュアンスなのね~と言う雰囲気を大切にして、数字パズルのように数字を入れた。
あまり儲かっているようではウソ丸出しだし、あまり赤字になっているのも印象宜しくないので、いい線上に支払いの数字を入れていく。山あり谷ありで最後はちょっとハッピーエンド風に1年後の資金予想を組み立てる。こんな風になっていればこの世はバラ色だろう。

一晩BRさんの机上に置いておいたが、あまりチェックされた形跡は無い。BRさんに尋ねると、「まぁ、そんなもんでいいよ」と言うので、さっさとFAXを入れる。
では、ヨロシクしますた。

しばらくすると、別の銀行から電話が掛かってくる。
こちらでも融資をお願いしているのだ。こちらは数ヶ月先までの入金予定表を前日FAXで送った。

「それで、今度の融資の返済財源ですけど・・・○○工事の契約はもう取り交わしましたか?」
「いいえ・・話は進んでいますが・・・」
「そうですか・・契約書のコピーが必要なんでね、それでは××工事は?」
「いいえ、これもまだ営業中で・・・」

こう言う会話が延々と続く。BRさんは電話には替わろうともしない。(話はもちろん聞いているのだが)
そのうちどんどん銀行さんも突っ込んで来た。

「確か先月の予定表では、○○工事は今月入金になる予定でしたよね?まだ契約も済んでいないと言う事は、どう言う事でしょう?」
「そうなんですよね・・・・(言葉が出ない)」

そりゃそうだ。先月の予定表も先々月の予定表も全部が全部「希望的観測」に基づく予定表だったのだから。「こうなればいいなぁ~」とこちらが勝手に夢見て作った予定だったのである。現実にそうはならなかったから、お金が入らなかったのだ。

「それでは、K工事はどうなってますか?」
ほい来た!それは担当はBRがしておりますから、と即座にBRさんに電話を代わってもらう。

     ******************

BRさんは電話が終わり、ガシャンと切ると、私に言った。
「sakeさん!もっと自信を持って!「わかりませ~ん」とか言ってちゃ、銀行だってお金が貸せないんだよ。俺達は銀行からお金が引き出せれば、それでいいの!その時はその時になんなきゃ判らないんだから、とにかくはっきり自信を持って、『大丈夫です!返済できます』って言わないと、彼らだって困るだろ!!」

BRさん・・・


『私の仕事はここまでです』と囲いを作らないこと!と言われても、この仕事はやっぱり私の仕事ではない・・・経営者の仕事だと思う。。。 やっぱムリ・・

二桁のゼッケン

2004-09-10 | 日記
そう言えば、巻き寿司を作った事がなかった。

スーパーでネギトロ巻きを買うと1人2パックも食べるから高くつく。家で巻けば安く上がるな~と思って、只のネギトロ1パックと見切り品のマグロの刺身を買って帰る。
まきすは前から100均で買っておいた。さぁ、挑戦。

ぐるぐる巻いている所にkekeさんが部活から帰ってきた。
「おぉ~今日はうちで巻いたネギトロ巻きだよ~」と言っても、反応がいまいちだった。だが、それにも気付かずネギトロ巻きをぐるぐる巻いていた。

やがて、kekeさんから、「これ縫って」と言う声がした。
(また~どこ破いたんだよぉ)と思って、にゅっと覗くとゼッケンであった。

「おぉ~~^o^、ゼッケン取れたんだ~」と喜ぶも反応がいまいちだった。
「20番以内に入らなかった・・」とkekeさんは言った。
この前の保護者会で、1年生の最近の成長ぶりが著しく、今ではピッチャーも1年生で1年生が何人も試合に出ている事を聞いていた。

「(仲のいい1年生の)O君にも抜かれた・・
「O君は小学校の時からうまかったからね~お父さんも上手だし・・・私は運動は苦手だからね~なかなか・・・1年生は何人20番以内に入った?」
「1,2,3・・・6人。」
「2年生だけで20人以上いるんだから、それじゃ真ン中辺に入ってるじゃん。良かったよ~今日はたまたまお寿司だし、お祝いしよう。^o^」

こんな慰め方があるのかなぁ~?と思いながら、この程度の言葉しか思いつかない母親であった。「この2ヶ月間、部活が終わってからも友達と練習した事は、いつかきっと役に立つ時が来るよ!」と我が子に言うのも、私のキャラクターだと余りにも白々しいお世辞になるような気がして、口から出なかった。

でも、頑張ってきた事、すごく良かったと思う。
(私もちっとは見習わないとなぁ~)


kekeさんは「このにぎり、経済的なにぎりだね」と食べながら言った。
「あら?ご飯の量多かった?」と言って、食べてみると本当にシャリの味しかしない。この半分位で握るんだったか~!ネギトロ巻きも最後の端っこが上手く切れないのでそのままかぶり付く。

次回に向けて、やたら課題の残る自家製寿司となった。
今度は穴子やツナを巻いてみよ~。

未来は霧の中

2004-09-09 | その前の会社
昨日は社長が大激怒した。

下地はいろいろあったのだが、仕事が取れてない入金が少ないお前等たるんどる、と言う事で、上司BRさんと営業部隊がこてんぱんに怒られた。

「あ~私は蚊帳の外でよかったわ~所詮しがない事務員だもんね」とも言ってられない。
社長が出て行ってしまうと、BRさんは今度は私に説教を始めたのだ。
「判るだろう?sakeさん。俺は体一つで、現場を見て見積りをして銀行の相手までしてるんだぜ。PCがおかしいとみんな俺ン所だろ?!それからボランティアまでしてるしさぁ(彼は、営業も兼ねて自ら地元のボランティア団体に属しているのである)。もっと俺の仕事を積極的に手伝ってくれよ~。『私の仕事はここまでです』と囲いを作らないこと!銀行の用件はほとんどあなたで済む用事なんだからメモなんて残さないでさっさと自分でやって。」

はぁ。。だって、余計に仕事をしても残業手当が出ないんだもの。
私は部下に仕事を振る事ができないから、うっかり余計な仕事を引き受けると、後で憂き目に遭うのだ。
(家の仕事は当然あるし)

何となく皆が最近だれて来た理由は、春の昇給が無くなったのと、夏のボーナスが何の説明も無く自然消滅した事がはずせないと思う。だからと言ってちゃんと給料は頂いているのだから、ちゃんと働かなくてはいけないのだが、そこは人間。やっぱりだれる。
普段ボーナスをいっぱい貰っている人からだれて、それを見ている私らも、どんどんだれて来る。

今、プロ野球のストの話題で盛り上がっているようだ。詳しい事は知らないけれど、「赤字だから撤退しましょう」と言う経営陣に対して、何らかの抗議アクションが可能な環境にある人々が羨ましい。(認識が間違っていたらごめんなさい)
うちの会社は、赤字が膨らんでリストラしたら、
もうそれまでよ。「お前はリストラ」と言われて、無残にリストラされた人員も実際数名居る。「そんな会社ならストしてやる」、なんて言った時点で即、解雇行き。ストをして、経営陣へ楯突く社員は必要無い。一緒に反論してくれる社員(orファン)など居ない。
やっぱりこれが中小企業なのだろう。

      ******************

夜、夏休みの宿題は終わったと言うkekeさんに、「それじゃ、次は中間テストだね」と言った。
「まだ、幾らなんでも早いよ」とkekeさんが言うので
「今からやっておけば、平均点以上取れるよ」と言った。

それから
「いい高校行って、いい大学行って、大きな企業に入った方が給料たくさん貰えるよ。」
と言った。
こんな事、私の親は子供に言った事が無かった。
子供にこんな事言ってしまう私は何なんだろう?

勉強したくなければ、しなくていい。
でも、勉強したらどうなるか、勉強しなかったらどうなるかは、あるような気がしてる。

「別にいい大学じゃなくてもいいだろ。」とkekeさんは言った。
あら、ひょっとして、この子大学まで行く気があるのかしら?と、ここで初めて思った。

「そう、いい大学じゃなくてもね。働きながら夜大学行く事もできるしね、そう言う所だったらそんなに難しい試験を受けなくても入れるんじゃないかなぁ?」(なんて言ったものの実際に夜間って今、どうなんだろう??)

何か伝えたかったのに、上手く言葉がまとまらなかった。
kekeさんは将来何の職業につくんだろう。
もう2~3年経ったら、きっと未来も決まりかけて来るはずだ。

その時、私はkekeさんの未来をどんな気持で見送っているのだろうか。
そして、今日のこんな出来事をどんな風に思い出すだろうか。

コーヒーを入れたまま忘れる

2004-09-08 | その前の会社
ある朝、出勤すると、もう既に社長にお客さんが見えていた。
(さてさて、飲み物でも出しましょうかね~^o^)と思って冷蔵庫を開けると、冷蔵庫の飲み物専用ボトルはコーヒーもお茶も全てほとんど空っぽであった。

(でも、昨日の夕方に気が付いてアイスコーヒーたくさん作ったのに・・)と思って、よくよく探すと、今回はコーヒーメーカーの中に昨日入れたコーヒーが並々とそのまま寂しく取り残されていた。

また、コーヒーを入れたまんま、放置してしまった。
しかも、今回はそのコーヒーを丸一晩そのままコーヒーメーカーに放置してしまったのである。
このコーヒーは一体飲めるものなのだろうか。

相変らずの自分のズボラさに呆れる。
そして、このコーヒーメーカーに置かれたままの妙~なアイスコーヒーが目に移っても、そのまま何も想像せず考えず、そのコーヒーを冷蔵庫に入れもせず捨てもせず、そのまま無関心でいてくれる、我が社の男性社員のおおらかさに感謝した。

客は居る。
まともな飲み物は無い。
お茶は急ぐ。
この陽気で熱い茶はありえない。

一体飲めるものなのだろうか、と思いながらも、気がつくと私はそのやばいかもしれないコーヒーを氷がたくさん入ったカップについでしまっていた。そして皆さんに出した。
そして、水出し煎茶を作りながら、あと2~3時間(煎茶ができるまでの間)暫定的にそのコーヒーも飲み物になるだろうと思い、飲み物専用ボトルに入れ、冷蔵庫に置いた。

やがて数時間経ち罪の意識も薄くなった頃、nanuさんが「sakeさん~」と大声で呼ぶので、「へ?」と思って見た先にあのコーヒーを入れたボトルがあった。

「このコーヒー、賞味期限いつ~?」と大声で訊くので
「それは昨日作ったコーヒーですよ~・・・」と言ってしまった。一晩常温で放置されたコーヒーだとは言えなかった。

そんなやり取りもあったため、ますますそのコーヒーはすぐには捨てられなくなってしまった。

夕方になると、そのコーヒーのボトルは皆で飲み尽くされ、ほとんど空っぽになっていた。私は2~3日どきまぎしながら過した。
しかし、どうやら誰もお腹の具合は悪くならなかったようである。

と言う事で、コーヒーは夏場一晩常温保存でも飲めるらしい。。。デス。

井上親子にも幸せになってほしい

2004-09-07 | 日記
今まで井上親子をさんざ敵視していた私だが、昨日の「東京湾景」を観て、心からご同情申し上げた。結婚式の衣装に着替え、これから結婚披露宴だと言う所で、花嫁さん(主人公の美香さん)が恋人を追いかけて逃げてしまったのだから。

「おらおら美香さん~恋人を追いかけていけ~」と思いながらも、その後井上親子がどうなったかが気になってたまらない。井上親子のその後は来週放映されるのであろうか。井上母は面目丸潰れで鬼のように怒り狂うだろう事は必至。大勢の親戚友達取引先の前で赤っ恥をかかされた父もちょっとやそっとでは許すまい。石坂浩二(美香さんの父)はビジネス界でも周りを敵に回したも同然である。あの美香さん一家は破産して自宅はきっとこの後誰かに取られてしまうに違いない。さようなら、愛しき我が家。

今まであれだけ冷静で優しい美香さんが、一番酷いやり方で井上弘一さんを裏切ってしまったのは、返す返すも残念だ。せめて弘一さんだけには、出る前に声を一声掛けてほしかったようにも思う。

まぁ、今までの井上一家を思えば、そう告げた途端、きっとあの父母が身の上さらって、婚姻届を無理やり書かせて役所に出してしまっただろう・・そう思うと、石坂浩二が美香さんをそっと逃したのも、井上一家の性格を知り尽くしていたからかもしれない。
しかし、元々はと言えば、石坂浩二が最初から、「お前とあの男は異母兄弟なんだ!」と(誤解とは言え)美香さんに言ってれば恋愛もここまで盛り上がらず、こんな披露宴間際のドタバタ騒ぎにはならなかったのではないか~?胡散臭いとは思っていたけれど、どこまでお騒がせな父なのであろうか。それでも、最後の手紙で奥さんから一番愛されていたのが自分だと判って涙を流すシーンはもらい泣きしそうになって、kekeさんにじーっと観察されてしまった。

最後に美香さんが記憶喪失になんてなってしまって、来週までイライラすることになってしまった。はぁ~!青になっても、よく見て横断歩道は渡らないといけないよ!美香さん!!
それでも、あの二人は最後に記憶が戻ってくっつくとして、やはり井上親子の行方が気になる。

もう美香さんに復讐する時間は(残り一話だから)無いはずだから、自分達が今まで美香さんを強引に嫁にしようとした行為を反省するか、弘一さんが新しい嫁をみつけて幸せになるのか、どういう結末が待っているのであろうか。それともこのドラマは、井上親子を自業自得と言う形であの姿のまま置き去りにするのであろうか。
いっそのこと、あの美香さんの妹のソニンが井上弘一さんと結婚すると言うのはどうだろうか。
あのマリさんでさえ、あの坊ちゃんと突然くっついたのだから、意表をついてソニンが井上一家の嫁になってしまえ。そうしたら、何もかも丸く収まる。

               

さて、私はこれからも養育費を粘り強く入れてもらうつもりだ。
あまり催促する事もできないが、とにかく粘り強く直接連絡を入れようと思う。法的には何の手段もできない事が判った事で逆に心は軽くなった。逃げたら仕方ない。でも、最後まで粘る。

なぜなら、そうしないと後々本当に自分がお金に困った時に、絶対にこの事で後悔するからだ。「あの時もっと養育費を交渉するんだった」と言う思いから抜け出せなくなるからだ。だから、払ってもらえる所まで粘る。
養育費はきちんと払ってもらって、終わったらもう二度と会わない。どんなに困っても彼らからは二度と援助は受けない。

彼は、きちんと働いて、今の家族を幸せにして、養育費もきちんと入れる。
これしか道が無いと思う。
足が無くなったとか、目が見えなくなった訳ではない。
働かなくてはいけない。

彼は、今、携帯を解約して家族と口裏合わせて、私と連絡を止めてしらばっくれて逃げる事もできる。しかし、そんな逃避人生は自らの首を自ら締め上げているようなものだろう。

現実に喰らいつく。それしか生きる方法は無い。
彼はこれから働いて、家族を養って子供の養育費を払っていくのだ。
払い終えた時、きっと今の家族と幸せになっているだろう。

そして、私とkekeさんもそこからまた違う道をそれぞれ歩み始めるのである。

大きなモンスター

2004-09-06 | 母子家庭だから思うこと
好きな女と結婚するから離婚しろと言われた。

籍なんて抜いてやるもんかと思った。
10年でも20年でも戦ってやろうと思った。

弁護士さんが反対した。
時間を掛ければ金も精神も疲れ果てるだけだと言った。
新学期で気が変わり離婚する事にした。
そうすれば、子供が「途中で名前が変わる」と言う事が無いから。

名義変更したわずかな預貯金が『慰謝料』と言う名前で書面に残されていた。
こんなの慰謝料じゃねえと思った。
でも、長引いたら採算が取れないのも判った。

彼らは何もかも思い通りになったんだ。
借金も無かったし、ゼロからスタートできる。

「彼らは望みを叶え幸せに暮らしました」と言う
いつも大きなモンスターがそこには居た。
彼らは無傷だ。
私達を忘れて、面白おかしく暮らしているだろう、
もう邪魔者は居ないのだから。

 「面白おかしくなんて暮らしていなかったんだ。」

姑さんの話が事実なら、そう言う事になる。

6年ぶり、義母との会話

2004-09-05 | 母子家庭だから思うこと
また養育費が入らないことで、ドタマに来る。

払わない事も払わない事だが、それ以上に連絡一つよこさないのはおかしくないだろうか。
払う事はお金が無ければできないが、連絡はできるはずである。怒ってはいけない怒ってはいけない、と思っていたけれど、やっぱり今日こそは言わせて貰おうと思った。
もう、後であちらの御家族にどんなに笑い者になってもいいと思った。「あのしつこいキチガイ嫁とは縁を切って良かった」と祝杯を上げられてもいいと思った。
ちゃんと連絡一本そっちから入れんかい!

と、覚悟を決めて、電話を掛ける事で、私は6年ぶりに元姑さんと話すことになる。

しばらく彼はここには戻らないそうである。
携帯の番号も知らず、こちらからは帰ってくるまで連絡が取れないそうである。今は仕事もしていない。どうしているかも判らない。
あなたの言う事は当然だ、帰ってきたら息子には必ず伝えると言う。

「そ・・それでいいんですか?」と言ってしまう。
「もうヌケガラのようになっとんよ」と言う。
(でも、仕事行かせるようにしなければ。奥さんだって子供だってお義母さんだって居るのに!)と言いかけて止めた。

家族だって何もしないで放っておいた訳では無いのだろうから。

お義母さんはこの前送った写真を「ありがとう」と言った。
毎日拝んでいる、と言っていた。
kekeの様子を訊かれたので、
「親の言う事はきかないけれど、学校では真面目でよそのお母さんにも挨拶もよくする子だと言われるんですよ。」と言った。
お義母さんはとても喜んで安心したようだった。

「ひとめ会いたいと思うけれど、こちらから言えることじゃないから」
と言われて私は涙を流した。
会わせてあげたいと一瞬は思った。
また、今度も写真を撮って送ろう。
「写真、枚数少なくてすみません、もう子供がカメラ向けると怒るから取れないんです。」
うんうんとお義母さんは聞いていた。

お義母さんは、今でもパートに出ていると言う。
亡くなったお義父さんも働けない時期があって、苦労したと聞いたことがある。
ずっと働いて、今でも働いている。

電話を切ると、ボーゼンとしたまま、ふらふらとスーパーに買い物にでかけた。
そして、その事がずっと頭から離れない。

「その時は死にます」

2004-09-03 | その前の会社
上司BRさんと、年金の話にまたなってしまう。
上司BRさんはいつかは年金が破綻すると信じている人だった。その一方で、私は今は苦しくても老後はゆっくり好きなことをしたいと思っているから、年金だけは最低限整えて、安心させて欲しいと国に願っている。そんな二人の会話がうまくまとまる事は無かった。

上司BRさんがまた年金の悪口ばかり言っていた。
「sakeさん、これから消費税が10%になると、あなたは給料の10%を消費税で払うとして、幾ら払い続けると思う?それであとで年金を貰う時に何年貰えばそれがチャラになると思う?」

どうなんだろう?
いちいち電卓で計算するのが面倒だし、精神論的に楽は後からしたい性格なので、「でも、今は消費税が少々上がっても、将来は安心して年金で生活したいな~~^^」と言った。

BRさんは更に得意になって、
「sakeさんは専業主婦だった時代があって離婚したから、その期間は年金が換算されないんだよね。(だから安心できるほどなんてアンタは貰えないよという意味)だとすると、どうよ、年金なんて何の意味もないんだよ」

「それじゃ、生活保護の申請もしないといけませんね。^^;ハハ」と答えると、BRさんは「sakeさん、生活保護は何で賄われているか知ってる?税金だよ、税金。その税金が今足りなくて大騒ぎになっているんだからね。さぁ、どうするよ」と言った。

答えに困ったので、「じゃあ、その時は死にます」と思わず言ってしまった。
それ以外の答えを思い浮かべる事ができなかった。
カマキリもトカゲも餌が取れなくなったら、死ぬ。生きとし生けるものの運命であろう。

気が付くと、私は困った問題にぶつかった時、将来に向って行くのが気が遠くなるほど遠くて恐ろしくなる時、心でつぶやいているようだ。
「どうしょうも無くなったら、死ねばいい、死ぬしかないのだから」
そう、つぶやいて、次にこうつぶやく。
「今はまだ死ぬ時期じゃ無い」
この二つの言葉を繰り返して、今日この日まで生きてきたと言えよう。

死ぬ死ぬと心ン中でつぶやいている割には、本当に真剣に「死ぬ」方法を考えた事が無い辺りが自分のお気楽な所だ。さて今日で死のうとしても、死ぬ段取りをするまでに、私の場合はかなりの時間が掛るものと思われる。どういう方法が一番確実で苦しまないかをまず調べなければならないし、できれば誰にも迷惑は掛けたくないもの(発見者の苦痛、死体の処理など)だ。(たぶん、死ぬ方法を調べる間にまた生きてみたくなるであろうと言う意味も込めて、あえて死ぬ方法は今から調べる事にはしない)

あの離婚騒動の時こそ、「もう自分はダメだ、生きてなんかいけない、今ここで死にたい」とはっきり自覚したにも関らず、子供と一緒に死ぬか、子供に自分の死体を見せるか、で悩んだ記憶は無い。この究極の選択が無かった事は、私が心のどこかで「生きる望み」を繋いでいた事が分かる。真剣に本気で死のうとは思っていなかったのだ。

死ぬ死ぬと心でつぶやいている割に、自分と死はまだうんと距離がある。
死ぬことに対して、片鱗すら見えていない。
母は死んだ。父は生きている。
死んでも尚且つ、心で生き続ける方法がある事を知った。
生きている間にできる事がある。
生きていなければできない事がある。

「じゃあ、その時は死にます」と言う私は、コンビ二のゴミ箱をひっくり返して、他人の食べ残しを漁っても、生きようとするかもしれない。死ぬほど腹をすかせた事が一度も無い。その時何を考えるのだろう。
分からない、全く想像つかない。
その時になってみないと、分からない。
私にとって「その時は死にます」と言う言葉はお守りのような言葉なのだろう。

BRさんは「ハッハッハ!sakeさんって時々面白い事言うなぁ~」と大笑いしていた。
どうやら、これはギャグだと思われたようである。