津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

古文書を読む会・発足

2006-06-03 18:33:17 | 熊本
 熊本の有志が集まり古文書を読む会が発足、第一回の集まりがあった。出席者11名、初回としてはまずまずだろう。テキストは文政四年の、熊本の豪農・弥富家当主の、日光参詣の「道中之記」である。弥富家は、横井小楠を経済的に援助をした家として知られるが、一方徳富蘆花の小説「灰燼」のモデルとなった家でもある。解説を努められた下津氏は下津棒庵のご子孫、荒尾在住の郷土史家である。コピーされた原文と、訓下文とを交互に眺めながら解説を聞く。出席者からの質問なども飛び交い、和気あいあい。その後、出席者の自己紹介もあって、旧知の間柄のような挨拶が飛び交う。次回、またお目にかかる事を約して散会。ほんとに有意義な数時間だった。次回開催日等は、決定次第ご紹介したい。
出席可能な方、いっぱい来てはいよ・・・面白かよ・・・
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叔父・甥

2006-06-03 09:50:03 | 歴史
 木下勝俊(長嘯子)の生母は、三渕伊賀守晴員(細川藤孝・父)女とする説がある(そうな)。勝俊は秀吉室(ねね)の兄・木下家定の長男だが、若狭の武田義統の子・元明の子で、四歳で木下家定の養子になったとされる。生母を京極龍子(のちの秀吉側室・松の丸=京極の局)とする説もある。長嘯子新集は「三渕晴員女」説、若狭守護代記は「京極竜子」説とし、勝俊生母は謎の中にある。
 歌道を通じて細川藤孝と木下勝俊は師弟の間柄であるが、仮に晴員女生母説をとると、二人はは叔父・甥の仲となる。さて真実は・・・

 ちなみに藤孝女宮川は、武田元明の祖父信豊の弟・武田信高室である。
コメント (4)
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