津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

織田と細川のえにし

2006-06-15 19:37:45 | 歴史
 細川家家臣に津田という家がある。織田の一族が良く使う姓だが、その内の一家・三十郎家は信長の弟信包(のぶかね)の流れを汲んでおり、細川とも血縁である。細川に仕えたのは津田三十郎、父は信包の長男、伊勢林藩主織田信重である。信重女が細川幽斎の妹(土御門久脩・簾中)の子二条泰重に嫁ついでいる。

 先祖附に面白いことが書かれている。信重は大変な子持ちだったらしく、子供の仕官口に苦労したらしい。正室は斯波氏である。細川家家臣津川氏は、織田信長と不和に成り官職停止となった、従四位下左兵衛督斯波義近の子辰珍を初代とするが、その妹が織田信重に嫁いだ。そんな津田三十郎だが、家禄は300石であった。伯父にあたる津川辰珍は、家禄1250石であったが、そのうちの700石をこの三十郎に分知している。これにより三十郎家は1000石となる。辰珍の養嗣子・辰房は跡目550石を相続、後に加増されて1400石となったが、不思議な話ではある。

 この三十郎のじい様織田信包は、丹波柏原(かいばら)藩36、000石の初代、伊勢安濃津からの移封である。三代目に継嗣なく断絶、柏原藩は一時期天領となった。
その後織田高長(長岡信友)から始まる、大和宇陀藩の織田信休(織田家4代)が減封されて転封、柏原藩主となった。父信武の乱心による騒動が原因である。信休の三男・信旧が6代目、細川宣紀女(利加)を正室とした。義兄細川宗孝の殿中での災難に当たって、この信旧が活躍している。下って11代目は養嗣子であるが、これは宇土細川家10代目の藩主・行芬の三男信敬(のぶのり)である。行芬の実兄は細川宗家を継いだ12代齋護である。

このように、織田と細川の関係は纏綿と続いている。
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織田高長(長岡信友)

2006-06-15 15:46:41 | 歴史
 織田信長の二男信雄の五男である。綿考輯録は長岡信友を、藪内匠の娘壻と紹介している。労を惜しまず紹介すると、慶長十六年(1611)項に次のようにある。
「今年長岡主膳信友御家を被立退候 信友ハ織田信雄の二男(ママ)也、豊前ニ御呼被成、藪内匠か壻ニ被成、妙庵主御卒去後竜王城御預被被置候処、今度御立退、無程公儀ニ被召出、織田出雲守(一ニ出羽守)高長と改、従四位下ニ叙任、二万石被下候・・」
 藪内匠は藪伊賀守の子、中村一氏に仕え六千石を領していたが致仕、後豊前にて忠興に召し出されて一万二千石を領した。藪家系図は「女・長岡主膳信友嫁、織田出雲守再嫁」と記している。信友及び出雲守とあるが、同一人だろう。

 信友(高長)は天正18年(1590)生まれとあるから、豊前を放れたときは21歳である。父信雄から呼び戻されたのだろうか。兄信由がなくなった(寛永3年-1623)後、その子信昌の後見を信雄から命ぜられている。そして、寛永6年(1629)、父信雄の隠居領・大和宇陀松山31,200石を相続することになる。ウィキペディアによると、正室はいないとされるが、五男六女があり、二男が宇陀松山藩を相続、三男は寄合交代衆、四男は上野小幡藩主と枝葉は栄えている。さて藪内匠女、信友の嫁となり、出雲守に再嫁したというのは、どういう事情があってのことだろうか。どなたかご存知であればご教示いただきたい。

 ちなみに父信雄は一時期北畠(木造)具教の婿養子となり、義父を殺害して北畠家を乗っ取ったとされる。信長亡き後三法師の後見を務め織田に復姓したとされる。具教女との間の子が信由、信由の正室は下津棒庵女である。高長は信由とは異腹である。

 熊本における、このような事情はウィキペディアも御存知ない。
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「鳴け聞こう 我が領分の ほととぎす」

2006-06-15 10:55:33 | 熊本
 鳴かぬ時鳥になぞらえて、「殺してしまえ」という信長、「鳴かせてみよう」という秀吉、「鳴くまでまとう」という家康、それぞれの性格を良くとらえた有名な歌だが、加藤清正にこんな(上記)歌があるとは知らなかった。熊本における加藤清正の治世は、天正16年(1588)から、亡くなる慶長16年(1611)までの23年間だが、自らは戦乱の間只中に身をおきながらも、農業土木などで後世に伝えられる仕事を残し、現在も熊本では「せいしょこさん」と呼ばれ親しまれている。誰が作った歌かは知らないが、なるほどと思わせる。熊本城築城400年を来年迎えるにあたり、いろんなスケジュールも発表されている。「官」主導のこの催し、「鳴け聞こう」の気持ちで、より良いものにしていただきたいものだが、さて主役の清正公どう御覧になるのか・・・・
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