津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

爺域

2007-12-26 22:16:27 | 徒然
 小田和正は還暦だそうな。あの透明感のある歌声は一向衰えを見せていない。TVでの彼の二時間番組は珍しく昨日から今日へかけて、TVの前に陣取った。東北大学の建築科をでた学士様は、180度方向転換してミュージシャンとなった。年が五つほどしか違わないこともあって、彼の楽曲には親しみを持っている。齢を重ね声量がなくなり、「懐かしのメロディー」を引っさげて、歌番組に時折元歌手(?)のお歴々が登場したりすると、居たたまれなくなってTVのスイッチを切ってしまうのだが、和正さんは将に現役である。若い女の子に涙させる実力をお持ちだから恐れ入ってしまう。
こっちときたら行きつけの床屋さんで「年をとったら身嗜みをちゃんとしなきゃダメですよ」とお説教を食らうくらいに、爺域に深く足を踏み入れている。
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現実

2007-12-26 21:05:58 | 徒然
 当サイトでご紹介しているエッセイストK氏から薦められて、南木桂士氏のエッセイにはまり込んでいる。信州佐久の総合病院の医師である氏は、また鬱病という病歴を持つ患者でもある。病歴は長い。其の病歴ゆえに信州から外へ足を向けることはなく、心豊かに患者に対応し、満ちみつ自然の豊かさの中に身を委ねて、そんな患者や自然を題材にして癒しの文章を届けてくれる。

 銀行へ5・6分、郵便局へ10分、100台ほどの駐車場を持つ24時間営業のスーパーは2分ばかりの所に住んだのは、段々齢を重ねる私たち夫婦には最適の場所だと思って生活してきた。しかし便利さだけが「住」の条件ではない事にすぐ気づいた。スズメは飛んでくるものの、これは妻が毎日与える餌につられてやって来るもので、自然には程遠い。田舎に引っ越したいなーという思いが深まっていた時に、このエッセーに出会い心が揺れている。数年前一度その気になって、妻と二人あちこち見て回った事がある。俗な世界に未練がある優柔不断な私は、「図書館が遠くなるよなー」と変な理屈をつけてご破算にした。ご近所の庭先の花を愛で、スズメが飛び去る事がないよう、餌をやり続けて「街中の生活」をつづけるのだろうか。夢のない話しではある。
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御預け人

2007-12-26 20:01:22 | 歴史
 寛永十九年八月細川光尚は、幕府からのお尋ねに付き「御預ヶ人之覚」なる書類を提出している。これによると
1、最上義俊家来楯岡甲斐守
1、駿河大納言(徳川忠長)家来伊藤権兵衛
1、稲葉正勝弟内記(稲葉正利) の三件について記載されている。

 楯岡甲斐は元和九年1624)に預けられ、寛永六年(1629)に小倉で死んでいる(65)。二人の息子(21・15歳)は細川家に仕えた。娘があり44歳と記されていて、村井なる人に嫁いだとされるが絶家したものだろうか。

 伊藤権兵衛は妻子もなく、寛永十年供の者二人とともに預けられた。綱利時代の幕府への報告書はどうも誤記だと思われ(誤植?)、三十数年後に亡くなっている。供の二人も開放される事なく、夫々承應元年、万治四年に亡くなっている。

 稲葉正利は母親(春日局)の願いも有ってであろう、寛永十三年細川家に預けられたが(39歳)、奇行が多くてこずらせている。88歳と長生きした。側にあった女子に子を成させたが亡くなっている。藩士・松下市之進が縁戚の故を持ってせわをした。

 夫々が連座の罪であろうけれど、長い艱難の末の寂しい死を迎えている。
 その後も越後事件に連座した小栗氏の幼い兄弟や、赤穂義士を預かるなど「御預け人」が続いて行く。 
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