津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

新刊書「幕末武家の時代相・熊本藩郡代中村恕斎」

2007-12-17 16:01:50 | 書籍・読書
 熊本大学文学部教授・中村豊雄氏が平成15年1月15日から、地元熊本日日新聞に週一回延べ158回にわたり、「恕斎日録抄・幕末武家の時代相」を連載してこられた。低本は細川家家臣中村庄右衛門加善・号恕斎が、弘化二年(41歳)から明治三年(死去・67歳)まで、二十六年間にわたり認めた日録である。この膨大な日録は2002年9月、「肥後中村恕斎日録」として、その一部が日の目を見た。12巻予定の第1巻であったが、2巻以降の刊行が待たれる中での、新聞連載が私たちを楽しませてくれた。その記録は藩の政治、経済、社会、庶民の生活ぶり等々詳細を極め、熊本の幕末期を知る上で貴重なものである。私はこの連載がなんとか「本」に成らないものかを願ってきた。それは、熊本の幕末期藩政の第一線で頑張っている藩士たちの、真実の姿を知る事ができるからである。今般その夢が叶い発刊されたと知り感動している。実学党をして「善」とし、その他は「悪」とでもするような、偏見に満ちた考え方を改めなければ成らない。座右の書がまた増える事を嬉しく思う。
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藩の存続

2007-12-17 12:26:55 | 歴史
 細川家初代藤孝から14代護久までの平均年齢は55.1歳である。ダントツ長生きは忠興で83歳、寛永十七年(77歳)には娘まで成しているからお見事といわざるを得ない。次が十代斉茲の81歳、そして藤孝の77歳、四番目が五代綱利の71歳、五番目が八代重賢の66歳と続く。六代宣紀は肥満の為、江戸城中では杖の使用を願い出て許されているが、57歳。
 若い方からいくと、九代治年の28歳、七代宗孝の30歳(不慮の死だが)、四代光尚の31歳と続く。お二方とも胸の病であろう。光尚の跡継ぎ問題は息・六丸が幼少で藩の存続まで危ぶまれたが、治年の場合には継嗣がなく急遽分家・宇土細川家の立礼に白羽の矢が立った。「事被為切々」という状態の中、躊躇する立礼に対し祖母清源院(細川興里室・細川重賢妹)の、「此儀はいか躰にも御断は相立不申候」という強い説得と後押しにより、ようようの決着を迎える。治年逝去(9/16)の僅か四日前(9/12)の事である。十代宗藩主斉茲の誕生である。宇土支藩は立礼(斉茲)の子・与松が僅か三歳余で相続することとなる。藩存続の危機は光尚の歿後の事が多く語られるが、治年後継についても綱渡り状態であった。まずはめでたし。
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