忠興の、女・万(烏丸光賢室)や、孫娘彌々(光尚室)に対する愛情は、他の子等に比べいささか頭抜けている。烏丸家への経済援助的扶持が万に対して行われている。中津時代には一家を招待して能興行や、花火を上げての饗応があった。万の生母は、忠興の妾・明智次右衛門女(小也)とされる。寛永十二年十一月八代で亡くなっている。次右衛門とは光忠の事だろう。光秀の伯父で妻は光秀女とウィキペディアは解説しているが、確かだろうか。真実とすると女・小也はガラシャの姪ということになる。ガラシャに近侍していたのか・・? 光秀の謀反に対しては、大変批判的であった忠興の光秀感は一貫していて、「常の御物語」に「明智光秀本能寺の変は不義之至、無道の極也」としている。その一方で明智一族に対する温情みたいなものを感じる。三宅氏の重用などもその一つだろう。明智のDNAは烏丸にも入っている。
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