津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川家縁戚のお公家さん

2007-12-24 11:42:26 | 歴史
 中院通勝と烏丸光廣に共通するのは・・・幽齋の田邊籠城の際開城の使者であり・・、細川家の縁戚であり・・、共に勅勘を蒙っている。通勝は天正8年(1580・24歳)に正親町天皇の勅勘を蒙り慶長4年(1999・43歳)まで丹後・舞鶴に配流されているが、19年のながきに渡るとはいえ、幽齋の保護の元にあった。孝似はその時の子で、幽齋の女・千と婚し長岡姓となっている(後・嵯峨氏)。
 時代はずっと下るが(慶長14年・1609)、光廣は猪熊事件に連座した。この公卿衆のご乱行事件は、後陽成天皇の逆鱗に触れ、のち朝廷に対する幕府権力の介入を許すという深刻な事件である。二人の死罪(斬首)と、十人の配流、二人の恩免という幕府の処置についても、天皇は不満であった。そして徳川家康女・和子の入内問題が出るに及んで退位される事になる。そう考えると、烏丸氏の罪は重い。光廣の子、光賢に忠興女万が嫁ぎ(元和元年十月)、その娘禰々が光尚に嫁いだが(寛永十一年三月)、忠興は喜々としている。光廣と忠興の間でこの事件は、どう認識されていたのだろうか。
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