一、翌四日の朝、花を出し候へは、何れも忝り被申候、飯後に林兵助代りに参候故、拙者は何心なく代り相引取候、四日には太守様御入被遊沙汰前夜
より有之、依て何れも衣類改居被申候、次之間に出候へは、十郎左衛門被申候は、今日は御代り被成候由、重て御越被成候砌迄はいかゞ、多分其
内埒仕にて可有御座候、何れも様御懇難申盡存候、就中傳右衛門殿、何れも御心易存居申候、とてもの事に、御詰内に埒明申様に、願申事に候と
被申候に付、拙者も何の気も不付、被仰出前以承申にて可有御座候間、詰前にて無御座候共、罷越候て可得御意候と申候て罷立、詰所に参候へ
は、関惣左衛門も参居申、何とやらん急に歸候心もなく咄居申候處に、堀尾萬右衛門被参候て被申候は、我等へは其儘逗留にて咄候様にと被申候
付、私宿へは同名喜左衛門罷越、逗留致居申候故歸り可申候、こなたは何とやら、各様がおそろしく候と、雑談なと申候て立申候、四日には代あひ
にて歸候儀と、同名平八は兼て存居、其日は平八方へ他客も有之、精進日を能存候故、是非立寄候へと、約束いたし置候事を存出し、数寄屋橋邊
にて、御借馬の仲間に時を尋候へは、九ツ半過と申故、夕飯時分もと存候て、小姓并に挟箱は町宅へ直に返し、鑓斗にて数寄屋橋御門内へ乗込候
へは、向より平野丹右衛門羽織着、馬に乗参候にあひ、様子尋申候へは、追付芝え上使有之候と申候故、早速草履取を町宅へ遣し、小姓挟箱なと
参候へと申遣し、丹右衛門と致同道、丹右衛門は愛宕廣丁通参候、拙者は近道日影丁参り、増上寺門前通にて、堀七郎兵衛に逢ひ上使有之故、御
用に付参り候とて立別れ、夫より新堀にて鎌田軍之助に追付申、些用事御座候迚乗通、目黒御門番に馬を預、其儘裏玄関に上り候へは、何れも麻
上下着用に付、同名喜左衛門方へ麻上下取遣、着用仕候てより、丹右衛門なと追々参申候、夫に付兼ても申候様に、武藝の内にても、馬は生もの
にて候、乗手をよく存候、兵法鑓は必の働にて候故、大體に有之候てもよく有之候、當時馬少き時節故、稽古成兼可申候へとも、心懸候はゞ成可申
儀と、亡父も度々申候、上手に成候ても武藝の名高き武士は、昔は嫌ひ申候、心懸有之事肝要と存候
但拙者今朝代り歸候處、其儘出候はゞ、何れも不審に可被存と、指控のそき候て見申候、總體諸人の顔
色、其外の様子共、何共合點不被仕様子にて、御料理給被申内にも、互に見合早く仕廻度との様子に見
え申候、いつれも給仕廻被申候て、八木市太夫罷出、上使にて御座候間、麻上下御着用可然と申候て、
黒羽二重小袖、浅黄無垢二宛、麻上下、上帯、足袋出申候、我等も罷出、十郎左衛門助右衛門なとには、
袴の腰を當遣候事
一、内蔵之助被申候は、傳右衛門殿もし花は御取入被成間敷哉と被申候、依之花は自身に取入申候、扨十七人衆上の間に次第のことく着座有之候事
一、上使御使番久永内記様、御目附荒木十左衛門様、御通り被成候、御跡より此方御側衆なと、段々次第のことく罷出被申候、拙者も唐紙越に承候、上
使の趣は、浅野内匠儀、勅使御馳走之御用被 仰付置、其上時節柄殿中をも不憚、不届之仕形に付、御仕置被 仰付、吉良上野儀、無御構被差置
候處、主人のあたを報儀と申立、内匠家来四十六人致徒黨、上野宅え押込、飛道具抔持参、上野を討候儀、始末 公儀を不恐候段重疊不届候、依
之切腹申付者也と、十七人の名字共一々御よみ被成候、内蔵之助御請に、いか様に可被仰付も難計奉存候處に、すべ能切腹被仰付候段、難有仕
合奉存候と申候、又十左衛門様なと何か被仰候やうに有之、内蔵之助も御返答被申候様に候へとも、譯はとくと不承候、總體内蔵之助は、小聲なる
人にて候、其後助右衛門側に指寄申候は、右の譯を被申聞候、助右衛門所に書付置候事
一、上使御立以後、我等も其儘可罷出と存候處に、宮村團之進被罷出候て、内蔵之助を呼立、何か暫被申候、堀部彌兵衛は長瀬助之進呼立、是も右
の通にて候、定而御意の趣有之事と存候、團之進、助之進被立候跡にて、上の間へ出候へは、内蔵之助上之間に被参候て、扨々難有仕合、御意の
趣可申候間、何れも御寄候へと被申、老人衆被申候、其譯は何も分り不申候へ共、内蔵之助落涙の體にて、段々有難事共と被申す候、事は聞え不
申候事
但右の様子、外に見申たる衆も無之、其後江村節齋に逢咄候へは、達御聴被申候へは、何とも不被遊御
意、いかにも左様に可有之との御意と申候
一、御酒土器銘々に出申候、心易咄申候衆には盃所望仕候事
一、鎌田軍之助・長瀬助之進我等へ被申候は、心安衆有之候て若介錯を頼被申候事も可有之候、仁柄極書付御目附衆へ出申候、其心得仕候様にと
被申候、然共箇様の事頼被申候事無之候事
(続く)