津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

これ何方・2

2013-02-12 09:37:30 | 徒然

 大日本近世史料・細川家史料八 の、人名索引「知足院」から、簡単に答えが出てしまった。

元和六年九月二日忠利書状案(36抜粋)

 ちそく院より進上被申候太田八郎右衛門儀、廣島ニ太田名字さまをくゝり申者御座候由
被聞召候、中/\右之者ニては候ましく候へ共、萬ニ一もそれニ候ハゝ、御抱候ましき由、
又左への御状ニ被仰越候由承、法印へ申遣候ヘハ、如此之状給候、此等之趣、可然様
可被申上候、恐々謹言
    九月二日
                          魚住傳左衛門殿

 

筑波知足院から又左(曽我尚祐)をもっての召し抱えの依頼であるが、ここでは太田八郎右衛門であることが判る。
廣島とは福島正則の家臣でもあったのだろうか。身上調査を行っていることが判り召し抱えには躊躇している様子が伺える。
再び人命索引から太田八郎右衛門を検索すると、どうやらこの人物は召し抱えられている。

 太田八郎右衛門 元和九年知行五百七十九石餘 (豊前御侍帳)   とある。

ところがその後の侍帳には一切この人物の名前は見受けられない。どのような人物であったのか闇の中である。 

コメント
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