一、彌兵衛は内々御咄申候様に、同名甚之丞に御酒を給候に、御下着の上御咄可被下と、笑ひ/\被申候事
一、勘六は、如御存此間手を痛居申候處に、外科本道衆まて御付置被下、御懇意の仕合故、昨日迄に快成候て、箇様の事誠に難有儀と奉存候、長福寺
にて文良に御傳被下候へと被申候、得貴意候と申候事
一、助右衛門は只今御聞被成候通、十左衛門様内蔵之助へ御挨拶被成候は、今日吉良左兵衛事、今度之仕形不届に思召儀故、領知被召上、諏訪安藝
守様へ被成御預候、此儀我等心得にて御噺被成との事にて、扨々本望奉存候、乍此上老母事被附御心被下候へと被申候故、得貴意候と申候へは、
辞世と戒名も少前に書付遣被申候
春帆獨讃 富森助右衛門
四日は姉の忌日なれば
先立ちし人もありけり今日の日を終の旅路のおもひ出にして
一、巻紙に書付置儀故不具候、其後助右衛門旦那寺、浅草の長延寺へ致参詣申候へば、位牌有之、戒名黒塗に金粉にて書付有之、日付とては可有之
儀もなく、助右衛門存生の内節々参詣被仕、とくより調置被申候故、住持咄被仕候
但書状之書付、在所は播州加西郡北條に而、渡邊與右衛門と申者にて御座候、同國加古川本陳、中屋與右衛門に被仰付候へは、北條村へ早速
相達申候、道のり加古川ゟ五里程御座候
一、潮田又之丞も、辞世又は通し申所を書付、少前に遣被申候、播州加西郡北條村、同國加古川本陳、中屋與右衛門に頼候へは、北條村へ即刻通し申
事に候、加古川より北條へ五里有之候、我等下着候はゞ、直に可申聞候、其内慥成便も候はゞ可申遣候
武士の道とはかりを一筋におもひ立ぬる死出の旅路に
一、早水藤左衛門は、御家に前廉居被申候早水助兵衛、亡父と別て咄覚居申候、御暇被成候刻、古町の光明寺右助兵衛聟故、彼寺へ引取居候事覚居
申候に付、熊本光明寺と申寺は、御存被成候哉と被申候、知人にては無御座候へとも、承り及居申候と申候へは、辞世を書て給候
地水風空のうちより出し身のたとりて歸る本のすみかに
一、赤埴源蔵は、此間より如御存、小瘡出来いたし、致難儀候へとも、御懇にて本道外科衆御附被成候故昨日より快、今日 上意にて切腹仕候段、本望
奉存候、此旨土屋相模守様御内、本間安兵衛と申者に御通被下候へと被申候、相模守様に、今枝彌右衛門と申者、御取次相勤居申候は、我等縁者
のものにて、其方へ相頼、早速知らせ遣し候
一、奥田孫太夫は、内々御咄申候様に、一類共へ御咄被下候へと被申候、少前に若■衆と咄居被申候、傳右衛門殿私は切腹の仕様不存候、いかゞ仕
ものにて候哉と被申候、我等も終に見申たる事も無之候、三方に小脇差出候様に承候、肩衣を御抜不被成内か、兎角なとゝ申内に、助右衛門其外若
き衆、扨々不入稽古、いか様にも不苦候、唯首を受討れたるか能可有之なと被申談止申候、夫故色々遅速、或は首を受て居被申候衆も有之たると後
に承り候、何れもへ挨拶なと仕候に付、切腹の場へ出不申候、十七人衆いつれも、茶たはこなと給咄被申、常に少しも替り不申、其筈の事なから感入
たる事
一、五郎右衛門は、内々御咄申候様に刀を折申候て、相手の刀を取候て差居申候、一類共いな事と可存候間、御咄申置候間、御通し可被下候と被申候
に付、少も被懸御意間敷候、委細に通可申と及挨拶候、御町奉行松前伊豆守様御與力に吉川藤十郎と申仁有之候、右藤次郎は、五郎右衛門伯父に
て、尋参候て具に咄申候へは、悦にて候、五郎右衛門子息作十郎は、御旗本衆之幼少故参被申候事
一、瀬左衛門は、大石無人子息郷右衛門父子へ、今日の首尾を御通し被下候様に被申候、近日参咄可申と申候、其後津軽越中守様御屋敷へ参候て、
無人と郷右衛門・三平父子三人へ知人に成り咄申候事
一、右十七人座配、次第のごとく、一番に内蔵之助殿、御出候へと、吉弘嘉左衛門、八木市太夫両人にて呼立、切腹場に伴ひ申候、内蔵之助殿と呼候
時、潮田聲を懸、内蔵之助殿、何れも追参可申と被申候事
一、右之通段々に罷出被申候、嘉左衛門、市太夫、内蔵之助殿首尾よく御仕廻被成候、忠左衛門殿首尾好御仕廻被成候と、毎度申候に付、拙者指圖い
たし候は、首尾好との事を不被申候共、唯名前御呼立可然候、介錯人も次第のごとく、待被居候故と申候へは、氏家平吉承り、尤に存候、あの衆の首
尾能はいらぬものとて、わらひ被申候事
(只今書き込み中)