津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

切腹二日前

2013-02-02 08:59:39 | 史料

 赤穂義士の接待役であった堀内傳右衛門に「旦夕覚書」がある。旦夕(たんせき)とはすなわち傳右衛門の号であるが、義士16人の「朝暮」の覚の意ともとれる。
切腹前の二日まえからは、日付をもって記載されている。

               二月二日、番代り参、早速罷出候へは、内蔵之助被申候は、先頃は内記様御出被遊(綱利息・吉利14歳)、何れも御
               覧被成、難有仕合に候と、手を付候て被申候、扨は左様に御座候や、とく罷出被申度被存候へ共、付居候者共兎角と
               仕、致延引候、如御覧若年に御座候へとも、大ちゃくなる生つきにて、當正月初て年始之御禮に被致登城候節、足袋
               の紐とけ申儀に付、兼て心安出入仕候御城坊主に結はせ被申候、其節供に参候奥村安左衛門と申者承り、軽き者と
               ても御城御坊主之儀に御座候へは、重ては些遠慮被仕候様にと申候へは、いや/\軽き者共に申付け候へは、結句
               悦申候と被申候由、何も承候て笑申候と咄候へは、扨々乍憚大家様へ御生つき被遊候とて、皆々感し奉り儀と被申候、
               内蔵之助挨拶に、内記様被遊御覧候とは、尤成被申様、次之間之衆も同前にて、詞のあやまても、吟味被仕候と感申
               事に候、右之御足袋の紐御結はせ被成候事、後に上御屋敷にて、野田小三郎被咄候へは、初て聞被申候、萬事御附
               の衆中善悪共外様には、咄申さぬ事可有之候へとも、箇様之儀は何れもへ承せ、奉悦せ度候事 

               二月二日夜五つ半過の頃、上之間へ罷出候へは、内蔵之助、惣右衛門、十郎左衛門三人、中かさにて酒飲居被申候、 
               忠左衛門、久大夫、十内、彌兵衛は下戸にて甘、それを猪口にて飲居被申候へは、傳右衛門是へと呼被申候ニ付、能
               い所へ参候と申候へは、十郎左衛門其盃を内蔵之助、傳右衛門殿へさゝれ候へと被申候故、十郎左衛門さし被申、拙
               者も給申候へは、内蔵之助是へ被下候へと被申候故、是は慮外と申候へは、是非と被申、盃さし、其れを拙者へ返し
               被申、又給申候時、内蔵之助被申候は、十郎左衛門へ一つ御のませ候へと被申に付、直に指候へは、一盃飲被申、又
               一つと申候へは、先刻より殊外給申候間、御ゆるし候へと座を立被申候、内蔵之助被申候は、十郎左衛門は惣體能給
               候間、御とらへ御飲せ被成候へと被申候故、椽際へ追懸引留、是非と申候へは、誓言にて候、給酔申候間御免しと有
               之候故、其通りにていひ不申候、後に考候へは、右之様子暇乞の心にても可有之候、世上の批判も能く、とかく御赦免
               可被成候なとゝ申候故、會て切腹の心付は無く其内にも内蔵之助、又は物頭分は、遠島にても可被仰付候やなとゝ申
               たる事に候、正月中は御祝多、いつれも江戸巧者故、二月朔日過候へは、被仰付様の趣尋被申候、只今存當り候事の
               み多く、一入残念に存候事 

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