津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

「旦夕覚書」から・赤穂義士のそれぞれ (四)

2013-02-09 14:16:35 | 論考

一、二月九日、江村節齋被参候而被申候は、扨今朝も於 御前御相伴被仰付候、一七日は御精進被遊候由、御意被遊候は、三人の老人共、定て此咄計
   にて残念かり可申候、いかゞと御意被遊候儀に付申上候は■(判読不可)夜共寄合、此咄より外無御座と申上候へは、傳右衛門別て心安いたし候もの
     多く、多分寺参なと可致と被思召上候、今程が傳右衛門志にて参詣候ても、泉岳寺の出家共御名代と可奉存候、左様之沙汰有之候ては、 公儀へ對し 
  不可然儀に被思召上候間、見合候様にとの儀に付、可申聞ために参候と被申候、拙者申候は扨は左様に被思召上候哉奉畏候、明十日は一七日に相
  當申候間、なにとそ駕にて成ともと存居候處に、今日御意の趣を承候事、誠に仕合成儀と申候へは、此御意の咄は、兵助・源兵衛にも申聞ましく候、傳
  右衛門はと計御意にて候間、其心得いたし申候へと被申候事、右之趣はおもひ出し/\調候故、前後は可有之候へとも、譯は相違無之候、尤覚悟仕候
  ての儀に候へは、他家の御屋敷并寺又は町屋共に、十七人衆存生之内、通し申所多く候、従 公儀御預り被成衆中の事故、拙者あの衆に懇にいたした
  る事、萬一後御吟味に逢可申儀も有之、太守様御越度に成せられさる様にと、専ら心を付、若もの事も候はゞ指出可申と、如此の口上書を調、致懐中居
  申し候、紙面左之通

      越中守儀、兼而奉重 公儀、毎度参勤之節は、國許にて、御當地江發足仕而は、當屋敷に而、上下の侍共不残呼出、直に申聞候は、 公儀御
      代々御重恩、就中越中守は幼少より大國を御預被置、家中之者上下共に妻子相育申候、 公儀之御恩と奉存候様に、道中船中在江戸共に、御
      法度之趣堅相守候様に、常々申付候故、今度御預り之儀は、別而入念候様にと、家老共に度々申渡候、然處に私心底には、無雙の忠臣共と
      奉存、何れも存生之内、母兄弟息災成る事知せ申度、在所承候へは、中々不申聞候故、越中守為にならぬ儀は、可被申聞も無之候、私之為い
      かゞかと被存儀は、毛頭遠慮被仕間敷候、日本の大小神祗を奉懸身命を惜み不申承度と、切々申候故、何も歓委細咄被申承候而、いかにも通
      し申候、御吟味にて唯今罷出候へと、兼て越中守念を入申儀を背き申たると奉存候へは、私儀は不忠罷成候、此段不及是非奉存候、此外別に
      申上候儀少も無御座候、以上

  右之通申上、果可申覚悟にて候、今度喜左衛門御使に被参、逗留被仕候へ共、喜左衛門は御役勤居被申候故、右之趣委細に可申様も無之候、荒増
  は二十一日に立申候に付、初て申聞候而、下著之上咄可申候事
      日の本の名まで揚ぬる武士の親とやいはん四十六人
                                                   おかしく候
         未二月二十九日                          堀内傳右衛門
              堀内勝助殿へ
       

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「旦夕覚書」から・赤穂義士のそれぞれ (三)

2013-02-09 11:03:40 | 史料

一、十七人衆切腹相済申候場所は、芝御屋敷大書院御舞臺脇、御手水石の向にて、御小書院より御出被遊、御大書院之間、御唐紙に御立被遊御覧候、
   扨後に御座敷清め申ため、眞蔵允へ御奉行所より申参候へとも、不及其儀候、尤達 御聴候得は夫に及事に不被思召上候、其儘召置き候へ、十七人
   の勇士は、御屋敷の能守神と被思召上との御意にて候、草葉の陰にても、何れも難有可被存候と感涙を流さぬ者無之候、残る御三人様にては、清め
   申候由、伯耆守様なとは、疊の表かへ、腰張唐紙にて御張替成たるとの儀に候、大目附にて候へは、定て格別の思召寄も可有之候、其以後江戸中も
   沙汰廣く、奉譽たると承及候事
一、夜に入候て、忠左衛門殿、藤兵衛殿、皆共へ被申儀は、十七人衆の衣類はな紙、何そ書付たる物なそ、夫々数吟味候て、若不審成物も御座候はゞ、
   此方へ見せ候へとの事に候、林兵助は泉岳寺へ参候、村井源兵衛、吉弘嘉左衛門、八木市太夫拙者抔改、夫々長持に入泉岳寺へ遣申候事
一、内蔵之助着込、留理紺の段子、小手も同前、股引くさり入、源五右衛門・十郎左衛門共に同様にて、十郎左衛門衣類之内に、布の香袋のやうなる物
   有之候、匂ひなともなく、いな事と存候處に、後に清休寺の住持に咄申候へは、夫は血脈にて可有之候、存生の中遠方へやかて参候、何方にて果可
   申も知不申迚、被致所望候事
一、十内着込は、具足の様に、くさり布の両面、中かたのどんす、紋を鼠色に染、總體ケサンくさりにて七ツ、殊の外重く、中男より大く、力も有之たると承申
   候事
一、いつれも不残白布細くくけ、内にはくさり入たる手縫にて、衣類を結候て、銘々名札付居申候事
一、甲頭巾上を黒革にて包、白革にて縁を取、■(革に周)付居候、内蔵之助は表に良雄と名乗有之候、忍の緒は大かたの紅のしらへにて有之候事
一、右念を入改候様にととの事に候へとも、及落涙、委しく見え不申候、いつれも必至の覺悟故、むさとしたる物を入置可被申様も無之候、浴衣十七有之候
       但右之通仕廻、御夜食頂戴仕候へとも、食気も無之、湯漬なといたし給、九ツ過町宅へ歸申候、
一、二月六日上御屋敷へ御侍中不残被召寄御直に被仰渡候は、今度御預りに付、何れも骨を折儀、此屋敷に居候者共も、御番等も繁く同前に候、扨十七 
   人の勇士共事は、定て御上にも色々と被思召候故、五十日程も有之候、か様に被仰聞候も何とやらん上を御憚被遊候事、いかゞに被思召候へ共、定て
   権現様以来の御仕置と被思召切腹被仰付たると被思召上候、尤他所の者も尋申候節、不存と可申機は無之候へとも、揃たる勇士共に思召候へば、善  
     悪可有之とも不被思召上儀、能々了簡仕候て咄なとも可仕との御意にて候、いか様勇士共と、三度まて御意被遊候儀、誠皆共迄も難有草葉の陰にても
   さこそ難有おもひ可被申と及落涙候事 

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