■ 元和六年五月九日忠利書状(23抜粋)
築波知足院ゟ曾又左まて、御奉公人之儀被申上候由、我等にも被申候、
拙者も存たるものニて御座候、わかきものニて御座候へとも、一段かたき
りちきなるものと承候、見及申躰も、三四百石之知行にて被召置候ても、く
るしかるましきものかと奉存候事、此旨、宜御披露候、恐々謹言
五月九日
長舟十右衛門殿
■元和六年八月七日忠利書状(31抜粋)
知足院被申上候奉公人之儀、御書之通、築(筑)波へ申遣候、忝かりニて
御座候、則知足院ゟの状、懸御目候
八月七日
長舟十右衛門殿
さてこの文章だけでは、この奉公人を見つけ出すのは至難の業であるが、何とか見つけ出したいと思っている。