熊本とはなじみ深い柳川立花家、立花宗茂夫人・千代に関する資料の展観である。千代は立花家没落の砌、加藤清正により保護され、熊本の長洲の地で過ごしている。この地で没し、ぼたもちさんという面白い形をしたお墓が建てられている。また立花家の家臣をあずかり、熊本城にほど近い京町に「柳川丁」をもうけて、此処に住まわせたりしている。
また、継室ではあるが忠興の弟・興元に宗茂女が輿入れしている。
元和六年、三齋が娘・萬(烏丸)にあてた書状だが、父娘の情にあふれた書状で、私が一番好きなものである。(大日本近世史料・細川家史料八--1911)
病み上がりの三齋がやせて、頭も丸めその姿が父・幽齋にあまりにも似てきたことに自分自身驚いている。
「歌道をしらぬ幽齋」のようだと想像してもらうと良いと云いながらも楽しそうである。
私たちがよく目にするすっかり痩せた三齋の姿というのは、この時期あたりからそうなったのであろうか・・・・・