当ブログから 熊本の堀部家四家 もご覧ください。
「古文書で読む参勤交代」にある熊本藩の参勤交代は堀部家の記録によるものです。
「嶋原大変肥後迷惑」といわれた、寛政四年島原普賢岳の大噴火に伴う大津波の発生事件の瓦版である。
當三月朔日ゟ七日の間昼夜を別たず大地震にて、九州九ヶ国並に天草に至る大地割れること夥だしく、その音
天地を覆す、硫黄島の割れ口より火入そのうちをくゞり、天に登り、人家大石大木を飛ばし、人は一人も残らず、な
を海の底を火くゞり、波をかへし、舟は皆沈み、魚類のはらわたをかへし、大魚小魚は陸に打ちあげて凄まじく、右
の割れ口より諸物を埋む、八日の朝より少々おさまりたるよしなれども、これもいてみたる人々はよく御ぞんじなら
ん、さてその硫黄の煙にむせて中毒の人々大きに苦しむ。
この瓦版がどこで出されたのかははっきりしない。天草が津波の被害を受けている様子が描かれている。上部には地図らしきものが書かれているが、右から豊前・肥前・肥後とあるが、かなり稚拙であり江戸あたりで作られたものかもしれない。