津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

大坂の陣と細川家

2014-01-19 12:04:11 | 歴史

  急度申遣候
一昨日六日に大坂より飯守下と大和口とへ人数六七万出候処に、藤堂手より合戦候而、首数多討取候、井伊掃阝手、本多美濃(忠政)手にて合戦候而
  首数多上り申候、大坂ニ而物頭衆相果候衆、木村長門後藤又兵衛薄田隼人にて候事
一今日七日午之下刻大坂へ少々よせ被成候処に、茶臼山より岡山迄取つゝけ、七八万も可有之候、此方之人数を立、此方よりひた物、無理に合戦をか
  け候処に及一戦、数刻相支候而半分ハ此方へ半分ハ大坂方勝に成候つれ共、此方之御人数之段数多候ニ付御勝に成、不残討果被候、度/\せり合
  中/\推量之外ニ候、本多雲(忠朝)も討死、小笠原兵阝(秀政)殿も手負候、是にて可推量候、我々事先書ニ如申鉄炮頭三人、其外小姓計にて大
  坂へ参候、合戦に逢申候事
一槍つき候衆、一番七助(清田乗栄)、二番縫殿助(村上景則)、藪三左衛門(政三)、佐藤伝右衛門、佐方与左衛門(友信)、吉住半四郎(正景)、續少助(重友)
一又其後大崩に成候処、右近(松井昌永)一人取て返し候処に、酒井左衛門(家次)殿も被見へ候、又酒井左衛門小姓も右近と返し、中程に而にけ、又
  右近を傍へ返し候つる由にて筈を取申候刻、右近ハ甲共に頭を取申候事
一七助鑓ハ先を突まけ申候、伝右衛門も鑓二本之先つきまけ申候事
一首二亀之助(続重政)、首二主水(乃美景嘉)、首一加々山半兵衛、首一朽木与五郎(友綱)、首三主水内之者取候事
一大坂御城天守も、申之下刻に火懸り申候、不残御果被成、一時之内に天下太平に成候事
一此状之内被見候而、不草臥飛脚にはやき者にもたせ、豊前に可被下候、取紛書状かきかね申候、恐々謹言
     五月七日                        越中 忠興
          内記殿
  又申候、我ら小姓共迄物に相候事申上候ヘハ、大御所様御前へ被召出候、是にて仕合可有推量候

 

大坂城落城直後の忠利に宛てた忠興の書状である。非常に簡明に主だった敵味方の死者の事や、細川家の働きについて記している。
この書状をはじめとして、大坂の陣における細川家の動きを見て行こうと思っている。
 

  

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