津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

「おきく物語」と登場人物 ・1 竹田永翁

2014-01-10 13:54:35 | 熊本史談会

 今年初めての史談会は、「おきく物語」を取り上げることにした。おきくなる人物は田中意徳の祖母だとされている。この田中意徳なる人物はこの物語では「池田侯の医也」とあり、細川家家臣で細川忠利に殉死した田中意徳とは同名異人であることは間違いない。
                              田中意徳なる人物

この物語の中にいろんな人が実名で登場する。おきくなる人物は「淀殿」に仕えていたとされるが、これ等登場人物をよく知りうる立場にあった人であろうことが推察できる。筆頭に登場するのが武田栄翁である。

■武田栄翁(竹田永翁) 
      (前略)御台どころへ出申侯へば、武田栄翁くろき具足を着てをり申候。そのほか。見しらざるさふらひも二人をり申候。女中に、あるひは知らざ
           る士、御台どころ外にて肩口のきずをみて給はれ、上おびをもしめて給はり候へと申こゑをも聞ながら、その女中は如何しめされ候や、かまひ
           申さずさしいそぎ出申侯。女中がたいでられ申さず候やうに、栄翁申候へども、それにもかまひ申さず出申候。 

   竹田永翁は下図で示す如く母(沼田光長女)の縁をもって細川家・松井家その他につながっている。
 豊臣秀次の謀叛(?)事件に於いては、忠興も女(長)婿・前野出雲守長重が秀次の家老であったため切腹させられ、自身も連座の責任により賜死の状
 況に
在ったとき、永翁の情報を得て松井康之が奔走し命を拾ったことがある。忠興にとって最大の危機を逃れることが出来たのは、ひとえに永翁の働き
 によ
る処が大きい。細川家家譜には特に次のように記している。 

【忠興、秀次謀反の連座を問はれる】
七月十五日関白秀次異志アツテ自裁ス 此時諸将改易等有ル内ニ忠興ノ女壻前野出雲守父但
馬守モ切腹シ出雲守室ハ忠興へ預ケラル 此頃伏見普請ノ事ニ付加茂三カノ原ハ石取場ナル故
忠興ハ奈良ノ如意院ニアリケルカ太閤ノ召ニヨツテ伏見ニ登リケル時藪ノ内ヨリ歳ノ程五十計リナ
ル者出テ與一郎サマニテ有リケルカ密ニ言上致シ度事アリト申ケル故傍ニ立寄リケレハ彼者申
様フ今度太閤ヨリ君ヲ召サル子細ハ秀次へ一味セラレシ由三成讒シケル故切腹セラルヘキトノ事
ナリ是ヨリ丹後へ歸國セラレ然ルヘキヨシ申述フ 忠興聞テ身ニ於テ罪ナケレハ直ニ伏見ニ至リ其
旨條陳スヘシ其方ハ如何ナル者ソト問ケレ共何ノ答モナク逃去リヌ 夫ヨリ直ニ伏見ノ屋形ニ赴キ
歸着の趣言上シケレハ太閤ヨリ秀次へ一味シ黄金百枚貰ヒ受タル由實否分明ノ間ハ閉門致スへ
シトノ命アリ 或日石田・長束・増田・徳善院ナト啇議シ太閤ヨリ忠興ニ死ヲ賜ハルトノ書簡相調へ
ケル由徳善院は忠興ト交リ深カリケレハ手ヲ拍テ坊主衆茶ヲ持チ参レト申セシカハ竹田永翁持来
リシヲ一口飲テ熱シトテ返シサマニ屹ト睨ミケレハ永翁心早キ者ニテ是ヲ悟リ急キ松井康之方へ
行キ奉行衆ヨリ忠興君へ死ヲ賜ハルトノ状来ルヘシ是奉書ニテハ無ク石田等四人ノ偽状ト見ヘタ
ルトテ徳善院ノ風情モ語リシカ評議替リケルニヤ其状ハ来ラス 其後モ永翁ヨリ石田カ讒口頻リナ
ル由康之ニ告知セタリ 忠興大ニ憤リ年来ノ戦功モ恩賞アルヘキ共日比三成ト不和ナル故支ヘテ
僅ノ恩補モナケレハ有功ノ家臣ヲ賞スヘキヤウ無シ此上彌讒言ヲ信シ死ヲ賜ハラハ容易ニ腹ハ切
ルマシ三成ヲ襲ヒ伏見ヲ黒土ニシテ自ラ首ヲ掻落スヘキト申シケレハ康之諌テ尊父母ヲ安穏ニ宥
免アラハ孝行ノ為ニ何事無ク切腹シ玉フヘシ介錯相勤メ殉死仕ルヘシト申シケレハ忠興深ク是ヲ
感シ夫ヨリハ切腹命セラルゝ時ノ用心ニ毎日沐浴シ白キ肌着ヲ着用セリ 米田是政ハ命ヲ受テ聚
楽ノ私邸ニ赴キ伏見ヨリ左右次第ニ忠興カ妻子ヲ殺シ家ニ火ヲ放チ切腹セント其期ヲ待居タリ 忠
興又徳善院玄以・醫師壽命院悰以ヲ頼ミ黄金ノ儀ハ手前不如意ニ付施薬院 全宗 ヲ頼ミ秀次へ借
用セシ事其隠レ無シト云ヘ共全ク賜リタルニテハ之レ無ク一味ノ儀ハ素ヨリ思モヨラスト條陳シケ
ルヲ両人ヨリ反復言上シケレハ太閤ノ命ニ先年明智光秀サヘ與ミセサレハマシテ黄金百枚ノ事ニ
謀叛ニハ與スマシ然レ共前野出雲守縁者ナレハ疑ヒ無キ二シモアラス先ツ黄金百枚ヲ返シ娘ヲ
出スヘシトナリ 折節黄金無カリシ二太閤ノ金奉行ヨリハ返納ヲ促ス事頻ナリ 忠興加賀大納言へ
子細ヲ告ケ娘ハ出スマシケレト黄金ハ返納ノ覚悟ナリ然レ共當時拂底ユヘ恩借ニ預リ度ト乞ヒケ
レ共折節金乏シク米ノミ少々所持セリトノ返答ナリ 之ニ依テ日頃懇意ノ市人ニ頼ミケレハ五十枚
ハ調達スヘケレ共残リ五十枚調ヒ兼ヌル由申出ケル故松井康之ヲ使トシテ事ノ顛末ヲ家康へ告テ
依頼ス 家康風邪ニテ紙幮ノ内ニ居ラレシカ康之ヲ呼ヒ紙幮ヲ揚ケ對面セラレ五十枚トアレ共如何
程ニテモ貸スヘシトテ鎧櫃ヲ取寄セ黄金百枚ヲ康之ニ授ケ息女ヲ出サレ間敷トノ事ハ吾觧シ得サ
ルナリ士ノ恨ハ言時カアルモノナリト申サル 康之畏テ領掌シ金子ハ丹後ヨリ取寄次第返上スヘ
シト云ケレハ家康夫ハ心得違ナルヘシ是程ノ黄金ハ越中殿ノ為ニナラス此三人 此時両本多列座ナリ 
ノ外知ル者ナシ心易ク思フヘシトアリケル故康之再三拝謝シ雀躍シテ馳歸リ委細報シケレハ忠興
感喜骨髄ニ徹ス 斯ニ於テ黄金ハ直ニ納ムヘシ然レ共息女ハ出スマシ是非殺害ノ命アラハ死ヲ倶
ニセント覺悟シテ助命ノ事ヲ乞ヒケレハ則赦免セラレタリ サテ黄金百枚ニ宇治ノ川鱸ヲ添ヘ康之
ヲ以テ太閤ニ呈シケルヲ徳善院具サニ啓達シケレハ忠興ハ吾曽テ慈愛シ近畿ニ置ケリ讒スル者
アリ共用ユヘキ事ニアラス先二信長弑セラレシ時明智光秀ニ與セサレハマシテ金子如キヲ秀次與
フ共豈逆徒ニ加ルヘケンヤ此金子ハ直ニ忠興ニ與フヘシトテ康之ヲ座前ニ呼ヒ手ツカラ瓜ヲ與ヘテ
喰ハシメ此程ノ辛苦察セリトアリテ因州鳥取以来ノ軍功等ヲ擧ケ様々懇命アリテ忠興ニモ登城ス
ヘキトノ命アリ 康之復命ノ後忠興忽チ閉門赦免アリテ登城シケレハ奥ノ間ニ延カル太閤ハ床ヲ枕
ニシテ居ラレケルカ三成カ訴ヘ捧ル處ノ一味連判帳ヲ出シ是ハ汝ノ判ニテハナキカト問ハル 忠興
之ヲ見テ如何ニモ能ク似タル判ナレ共筆畫違ヒタル由答フ 左コソ有ルヘシ近ク寄レトテ忠興カ懐
口ニ手ヲ入レ探ラレケレ共匕首如キモ無カリケレハ彌心觧テ此程ハサソ氣詰リタラン茶ノ湯シテ慰
ムヘシトテ有明ト云茶入ヲ賜ハル 忠興畏テ拝謝ス 近侍ノ人サテモ結構ナルモノヲ拝領セラレケ
ルヨト申セハ太閤夫ヨリモ大事ノモノ遣シタリト申サル 忠興暫ク思案シテ誠ニ此以前モ時雨ノ茶
壷ヲ拝領仕リシト答ヘケレハイヤ夫ニテハナシ一大事ノ命ヲ遣ハシタリト申サレタリ

       

 関係略系図(作成責・津々堂)    

 光兼---+--光長---+-----女
    |    |   ∥
    |    | 竹田梅松軒---+--松井織部---松井角左衛門・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→ 松井家家臣竹田家
    |    |       |
    |    |       +--源助長勝
    |    |       |
    |    |       +--永翁
    |    |       |  初代
    |    |       +--半左衛門---平大夫---安右衛門--+--平大夫・・・・・・・・・・・・・・→ 細川家家臣竹田家
    |    |                       |
    |    |                       +---早之允 (以下不明・絶家カ)

    |    |
    |    +---女
    |      ∥
    |     松井康之
    |
    +--女(荒川治部少輔晴宣室)---菅野輝宗
    |
    +--女(飯河山城守信堅室)---飯河豊前宗祐---長岡肥後宗信
    |                     
    |    +--女(細川興元室)
    |    |
    +---清延--+---延元---+--延之 +--延相---兼辰
    |          |    |        
    |          +--延将---+=====兼辰---元昭---将休(熊五郎)
    |
    +---女・若州前川城主山形刑部少輔源秀之室--圭長老
    |
    |  細川藤孝(幽齋)---+--忠興      
    |   ∥        |
    +-----麝香       +--興元  
    |
    +---女・北畠左衛門佐教正室---女・米田求政室
    |
    +---女・進士美作守国秀室-----進士作左衛門(田辺城籠城)---牛之助
    |
    +---女・築山弥十郎貞俊室(義晴命により藤孝生母付き)

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土芥寇讎記

2014-01-10 09:26:49 | イベント

 いわゆる大名評判記ともいえる磯田道史氏の「殿様の通信簿」(朝日新聞社)や、中嶋繁雄氏の「名君・暗君 江戸のお殿様」(平凡社新書)など読んでいると、中々面白い。
出所はいろいろだろうが、「土芥寇讎記」(どかいこうしゅうき)などが考えられる。全42巻に及ぶ膨大なものだが、我が肥後細川家は第6巻に綱利公が登場している。

編者も判然としないこの著作は、巡見使や隠密の知る処としてオリジナルな記事もありうるのであろうが、一方では先行して発刊された『武家諫忍記』『武家勧懲記』などの記述を引用しているところもあるといわれ、その為「個別の大名を論じたり、近世大名支配のありようを見ようとする研究は、もはや立ちゆかなくなってしまった。」とする研究者も有る。http://www.soc.hit-u.ac.jp/~wakao/daimyo2.htm
 
刊本として金井圓校注の 「土芥寇讎記」(『江戸史料叢書』 人物往来社 昭和42年刊、新人物往来社 昭和60年改定版)がある。
熊本県立図書館には昭和60年版を一冊だけ所蔵しているが貸し出しが出来ない。地方図書館の現実の悲しさである。

「日本の古本屋」を眺めていたら一冊だけあった。5,000円というからお手頃なのかもしれない。さてどうしようかと思案しているところだが、このブログを読まれた方が求められて後の祭りに成るかも知れない。
 

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