津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川公由来の二つの神社

2015-02-11 16:28:31 | 歴史

 菊陽町の鉄炮小路は寛永12年細川忠利公によって新設された地筒衆の村で、東西3.6キロにわたり整然と屋敷が並んでいる。そのほとんどは生垣塀で祝祭日にはそれぞれのお宅が日章旗を掲げられるなど、見事な景観を保っている。ちょうど中間あたりに 蘇古鶴神社 がある。その名前の由来について菊陽町のHPでは「細川忠利公が鷹狩りでこの地に来られたとき、鶴が二羽(そこつ鶴)舞い降りてきたので、将来にわたり社号を阿蘇の蘇の字を鶴の上にかぶせて「蘇古鶴宮」とするように申し伝えた」としている。
神社の由来は サイト「蘇古鶴神社」 にある、【寛永12年(1635)9月、熊本藩主、細川忠利公が、熊本府から東北方の「鬼門」にあたるところから、また、この地に地鉄砲の者を仕立てるために、「鬼門」の厄を払い、併せて、鉄砲町(地鉄砲)の「守護神」として勧請されたものである】であろう。

一方、阿蘇市的石にある「隼鷹(はやたか)神社」は、細川綱利公の夢に由来するという。
由緒書によると、「綱利公が参勤のため船で江戸に向かう途中天候が悪くなり船が呑まれるような状態になった。そのとき白鷹が何所からともなく飛来して船柱にとまると、荒れ狂う波は静まり無事に航行することが出来たという。その晩綱利公は「その白鷹は的石天満宮の権化である」との神論を夢見、その霊験のあらたかなるを感じて京都から社殿建立の命を伝えた」とされる。
場所は的石の御茶屋に隣接している。サイト「隼鷹天満宮」に詳しい。 

二件とも鷹狩りに関するところが、いかにも殿様らしくて面白い。

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■古写真から「白金中屋敷」

2015-02-11 15:37:20 | 古写真

                                細川家の白金中屋敷と伝えられる古写真である。

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