(傳右衛門大あくびの顛末)
一、御中小姓にて御駕奉行勤候時江戸にて村井四五十日相煩候て拙者一人にて勤 家綱公五月八日の御 (延宝八年没)
一周忌にて芝より上のへ被成御座候 事の外草臥少腹中もすき本覺寺に 太守様は被成御待黒門外
に惣御供も寺を御借り被召置本覺院には大矢野源左衛門拙者新組一人三人被召連小姓頭岩間彌左衛
門其外三人玄関にて布衣の装束被申候を外より見候得は茶菓子有之候得は傳右壹人にて毎度苦
身茶こ有之候 給候はぬかと可被申處に能き公家かなとゝたわ事斗のみにて偖々気のつかぬ男計と存
候處に須佐美源左衛門参芝よりは別て御苦身茶参候得宿坊へ同道可申と被申候得は大矢野源左衛門
申候は此中源兵衛久々相煩申傳右衛壹人勤申候由申候へは是へ/\と大矢野拙者同道仕宿坊へ被参
候て此両人は今朝芝ゟ供に参候茶つけ御振舞被下候得と申置須佐美歸申候 跡にてなら茶給申仕舞候
て大矢野申候は偖も/\須佐美聞番勤候程有之候 岩間か親は百五拾石取朝山何(太兵衛)とかいふて子拾貮
人持ふとん壹つにならへて寐させたるものゝ子なれども兒小姓の時出頭して岩間小十か養子に成早
幼少にて親にかゝりたることは忘れ先刻茶さへ呑といわず三人共に同類の男皆にさのみかわらぬ
男共仕合よけれはなとゝさん/\わる口申候 偖芝へ御歸候時は暮六ツ半比にて御玄関に御駕すへ其
儘御出被成色付の間御廣間唐紙より内に被成御座候迄草臥立申時に大あくび仕候 南風吹多分達御
耳可申候 御手廻り御駕の者か兎角病人と聞へ候吟味申候へと小姓頭御側衆被申候由御廣間御取次
澤猪左衛門居申肝つふし申由後に承り申候 翌九日戸越御屋敷に御供小屋に致休息居申候處御廣間よ
り御用有之間参候へと堀次郎右衛門殿御申候由小使参候故罷出候へは昨夜上野ゟ御歸被成候刻大あ
くひしたる人有之候拙者も御供と承候誰か定て可存候由被申候 いや私にて御座候と申候へは神以肝
つふし偖も/\苦々敷事昨日は御一周忌にて御参拝被成殊の外萬事御慎被遊候故今に御尋なく候 先
頃讃岐守様御出御用の事有之間次の者共退候得と御意被成候以後御書院の方に人音聞へ申由にて拙
者に誰か穿鑿仕候得と御意被成候故御次坊主に尋申候得は何某殿と申候 偖々無勿躰歴々にて侍の作
法に違たる儀故神以不申上知れ兼申由申上候へは何と思召候や其後は御尋不被成候 拙者は仕合何も
承候程の事御聞不被成事は有間敷候得共多分上野の御歸と思召御穿鑿不被遊と覺申候 右の仕合故承
度存候に扨も/\何と仕たる事かと被申候故ケ様/\御奉公随分精を出し勤申候ても草臥はて申候
皆共或は御小姓頭なと心付られ可申事なとゝ如形悪口申候へは笑ひ/\三人の噂に成申候 立聞侍の
第一きらひ候事名は傳右衛門に御申聞候 是には書不申候 其後舎人殿も御尋次郎右衛殿へ申ことく咄
申候 岩間と其後縁者になられ候魚住又助御次方ゟ歸り候刻家来に尋申候へはあくひ傳右衛門様と申
又助も気遣いたし候由御廣間御番は不及申右の仕合にて何の御吟味なく八十迄存命居誠に/\天の
恵みと難有奉存候